第1章:1.4 晨光初透の喧騒と、沈香木馬車の真容
卯の刻。
空の端が薄絹のような魚肚白に染まり始めたばかりだった。
京城の朝霧がまだ晴れ切らないうちに、午門の広場一帯は、厳粛かつ重々しい空気にすっぽりと包み込まれていた。
鑾輿に腰を下ろした闕恆遠は、片手で頬杖をつきながら、目の前に広がる大がかりな光景を面白そうに眺めている。
いつものゆったりとした黄色い寝衣を脱ぎ捨て、彼の身には正式な巡幸用の装いが纏われていた。
気高い青と赤が織りなす細身の袖口の長袍に、腰には幅の広い犀角の帯を締め、肩には黒狐の大氅を羽織っている。
その出で立ちが、普段の気だるげな気配をわずかに引き締め、見る者を気圧すような圧倒的な威厳を醸し出していた。
それでもその瞳には相変わらず三分ばかりの悪戯っぽい光が宿っている。
特に、我が物顔で見送りに集まった皇兄や皇弟たちの顔に張り付いた「一刻も早く消えてくれ」と言わんばかりの偽善的な笑みを目にしたとき、彼の口元に浮かんだ笑みはいっそう深くなった。
「公子、馬車の準備が整いました」
左沐晨がそっと彼の傍らに歩み寄り、静かな声で告げた。
今日の彼女は、動きやすい青色のすっきりとした束袖装に身を包み、黒髪を高らかに結い上げていて、見違えるほど凛々しく引き締まっている。
闕恆遠はふと顔を向け、広場の中心にでんと据えられた、もはや壮大としか言いようのない「乗り物」へと視線を移した。
それは彼自身が特命を下して造らせた、極上の沈香木による大馬車だった。
車体全体が、滅多にお目にかかれない千年の沈香木で贅沢に組まれており、きめ細やかな木肌からはかすかに清らかな芳香が漂っている。
窓には贅沢に透明な琉璃がはめ込まれ、その周囲には雲の文様が繊細に刺繍された重厚な錦の幕が静かに垂れ下がっていた。
何より目を引くのは、屋根の四隅にそれぞれしつらえられた魔除けの黄金の鈴だった。
微風が通り抜けるたびに、チリン、チリンと心地よい澄んだ音が響き渡り、まるで人の心の澱をも清めていくかのようだ。
「なかなかやるじゃないか。この大きさといい、見栄えといい十分すぎるほどだな」
闕恆遠は左沐晨の肩を軽く叩いた。
その手つきこそ優しいものだったが、言葉には確かな称賛の色が滲んでいた。
この馬車の内部は、まさに別世界だった。
三、四人が同時にゆったりと横になれるほどの広さを誇り、巧妙な仕掛けの隠し棚には、最高級の銘酒や菓子のほか、万が一のための武器までもがしっかりと収められている。
さらに、左氏の姉妹が何重もの柔らかな蚕絲の敷物と雪狐の毛皮をしつらえていたため、どれほど険しく揺れる古道であっても、自らの主が心地よく眠れるよう配慮が行き届いていた。
「恆遠、これからの旅路は遠い。くれぐれも国家の大事を忘れるなよ」
太子の鑾輿の傍らに立ち、淀みなく言い放つその声の奥底には、隠しきれない焦燥と野心がぎらついていた。
「後宮の件は母上が采配してくださるのだから、お前は無事に姫たちを連れ帰ることに集中すればよい」
「兄上、ご心配なく」
闕恆遠はすっと立ち上がり、黒狐の大氅を軽やかに翻した。その生まれながらの圧倒的な覇気に、控えていた武将たちの胸が一瞬にして凍りつく。
彼は太子の目の前まで歩み寄り、二人だけにしか聞こえない低い声で、悪戯っぽく笑ってみせた。
「朕の不在の間、兄上もしっかりと体を大切になさってください」
「玉座の座り心地がどんなものか、まずは兄上が代わりに味わうといい。だが、朕が戻ってきたときには、一寸の狂いもなく返してもらうぞ」
太子の顔色がわずかに強ばり、ひきつった笑みを浮かべる。
しかし闕恆遠はそんな下心みえみえの親族など一瞥もくれず、大股で特製の沈香木馬車へと歩み寄った。
すでに九人の側近たちはそれぞれの持ち場についている。
紅衣を纏った上官婉、上官璇、上官語の三人は車駕の右側に控え、凛々しさと侵しがたい気高さを漂わせている。
紫衣の沈若嵐と沈若汐は、一足先に車内へと入り込んで内部の整理を終えており、垂れ幕の隙間から外を覗き見るその瞳には、これから始まる旅への期待と興奮が満ちていた。
青衣の左沐晨と左沐曦は馬車の後方に陣取り、随行する荷馬や物資の点検に目を光らせている。
そして緑衣の裴子瑜と裴子瑄はそれぞれ駿馬に跨り、車駕の両翼を固めるように護衛についていた。
手はいつでも柄にかけられる状態で、鷹のように鋭い眼光は方丈十丈の微細な気配をも逃さない。
「公子、御乗車を」
上官婉が深く頭を垂れ、朝風の中に紅の袖を美しく揺らす。
金と玉で飾られた踏み台に足をかけ、闕恆遠は馬車へと身を滑らせた。
垂れ幕をくぐる直前、彼はふと振り返り、数年にわたり支配し続けてきたこの大いなる皇城へと視線を投げた。
立ち込める朝の光が午門の楼閣を黄金色に染め上げていく。
それはどこまでも宏大でありながら、同時に底知れぬ冷たさを帯びていた。
「出発だ」
彼は静かにそう命じた。
「御発車――!」
司礼太監のひときわ高い、よく通る声が響き渡る。
六頭の汗血馬が一斉にいななき、鉄の蹄が青石の敷石を蹴立てる音が天を揺るがした。
特製の沈香木馬車は、九人の美しき女官たちに護衛されながら、ゆっくりと午門の外へと動き出した。
馬車の車内に入るやいなや、闕恆遠はふうっと力を抜き、雪狐の毛皮の山へとどっかりと身体を投げ出した。
沈若汐がすかさず、氷室から取り出したばかりの皮を剥いた冷え冷えの葡萄を差し出し、愛らしい笑みを浮かべながら彼の口元へと運ぶ。
「公子、やっと都を出ましたね」
「さっき大皇子殿下に仰っていた言葉、意地悪すぎますよ」
沈若汐はくすくすと可愛らしく笑い声を立てながら、その柔らかい身体をそのまま闕恆遠の膝へと預けた。
「あれはただの事実を述べたまでさ」
闕恆遠は、馬車の心地よい揺れを感じながら、車内に漂う沈香と花の香りに身を委ねていた。
ふと手を伸ばし、傍らで地図を広げていた上官婉を引き寄せると、そのまま自分の腕の中に抱え込む。
「婉兒、教えてくれ。記念すべき最初の目的地は、あの堅苦しい縹緲国にするべきか、それとも途中でどこか良さそうな場所を見つけて、昨夜の残りの酒の続きを楽しむべきか」
上官婉は、都を出発した途端に遊びのことしか頭にない主君を呆れたように見つめながらも、その頬には温かな笑みが浮かんでいた。
「公子、旅のしきたりでは、最初の経由地は二国の国境にほど近い『楓林古道』となっております」
「ですが、そこへ向かう道すがらに、『酔楓酒肆』という名高い酒場がございまして……」
「よし! ならば行き先は『酔楓酒肆』に決定だ!」
闕恆遠は豪快に笑い声を上げ、その両腕で二人の美女をさらにしっかりと抱き寄せた。
馬車の外では黄金の鈴が軽やかに鳴り響き、京郊の清々しい朝の静寂を心地よく切り裂いていく。
この前代未聞の盛大な娶り婿の旅は、まばゆい陽光を浴びながら、こうして本格的な幕を開けたのだった。




