寮長の依頼
「実は、彼女は女性です」
寮長室のソファに腰かけている、亜麻色の長髪の整った顔立ち。
阿久津成美、と名前を出し、自分のルームメイト、とも紹介されたその相手が。
実は女性だった?
「……………………は?」
間の抜けた声が、口から洩れる。
確かに、顔立ち、髪の毛の艶、佇まい。その全てが、誰がどう見ても美少女のそれであり、女性、と言われても寧ろまあその通りだとしか思えない。
だが、問題は。
ここが男子寮で、彼女が自分の同室だという事実だ。
「驚かれるのも無理はありません。しかし─────彼女は家の事情が繊細かつ特殊な出自でして。理由あって、男子として高校を卒業しなければならないのです」
ちょっと待て、と。
頭の中でツッコミが止まらない。
今時そんな家あんのか、と。
だが。
清純には中学3年間で散々刷り込まれてきた言葉があった。
「ここは青碧だから」
ならば、そういう家もあってもおかしくないのかもしれない。
「…それが、俺に何の関係があるんすか」
かろうじて、出てきた言葉がこれであった。
成美は、相変わらずにこにこと笑みを浮かべている。
「本題はここからです」
清純の思考を留めるように、一郎の声が飛んできた。
空気が変わる。
口調は相変わらず穏やかだが、トーンが1段階、落ちた。
そう実感できるほど、「これは真面目な話だ」と清純の脳に警報が鳴る。
「彼女の事情についてはご理解いただけたと存じますが─────」
と、一旦言葉を止める。
「君を呼び出したのは、単に彼女を紹介するためではない、と認識していただけると幸いです」
それだけならば部屋で話は済んだはずだからだ。
だが。
そうではないからこそ、今こうして密室で話をしている。
そう、実感できた。
「先ほど申し上げたように、彼女は、家の事情で高校卒業まで男子として過ごさなければなりません。そこで─────僕も大変心苦しいのですが、ルームメイトである君に重大な任務をお願いしたい」
「ってまさか─────!」
「はい。阿久津くんを無事に卒業できるまで、守っていただきたいのです」
まさか。
この秘密を抱えたまま3年間?!
あまりにも重いミッションが降りかかってきた、と確信した。
一郎は、さらに続ける。
「君の貴重な3年間を、斯様な形で使っていただくのは些か以上に心苦しいのは察してください」
と。
「しかし─────四六時中彼女に付きっ切りでお世話をしろ、などとは申しません。君は君の生活を送りながら、それとなく彼女を気にかけていただきたいのです」
「ちょっと待ってくださいよ!それ、俺じゃないとできない事なんすか?!」
「加納くん」
立ち上がりかけた清純を制するように。
「寧ろ、君だからこそ、お願いするのです」
口調はあくまでも静かに。しかし有無を言わせぬ空気は確かにあった。
「無論、斯様な役目をただで引き受けろなどと虫のいいことは申しません。彼女の家は地元では相当な名士である、と聞き及んでいます」
そして、核心に触れる。
「君の家にとっても─────彼女と所縁を得ておくのは、悪い話ではないはずです」
清純は、実家が極道であることは隠してもいないが、特に公言もしていない。
だが。
「─────アンタ…」
「僕も業務上、それなりに調べさせていただきましたので。そして、重要なのは」
「「阿久津成美が女性である」─────それを知るのは、学生ではここにいる僕たちだけです。教師たちでさえごく限られた数名だけです。守られるべき秘密というものは、共有する人数はできる限り絞られるべきですから」
そして。
「この件は、決して外に知られてはならない秘密です。万一口を滑らせたなら、彼女の現在…否、将来にまで悪影響を及ぼすことになるでしょう」
その空気のまま、最後に付け加えるように。
「心配なさらずとも、僕も相応のサポートは約束します。それに先ほども言いましたが、君の家にとっても、彼女の実家と誼を得ておくのは悪い話ではないと断言します」
どうか、お願いします、と最後に深々と頭を下げられれば。
軽々しく受けられない話ではあるが、聞いてしまった以上受けないわけにもいかない、と。
結局は、
「─────わかったっす」
と。受け入れるしかなかった。
一部始終を黙って聞いていた成美と、一郎の傍らに立つもう一人の上級生。
この秘密を知っているのは、ここにいる面々だけ。
─────厄介な事を引き受けちまったもんだ
心の中でだけ、清純は思った。
そんな心中を知ることもないかのように、成美はふわり、と微笑を見せて。
「えへ、これからよろしくね。加納くん」
その声まで、完全に「本物」だった。
一郎は、成美に目をやり、
「では、阿久津くんは部屋に戻っていてください。加納くんにはもう少しだけ、話しておくべきことがあります」
「はーい。じゃ、またね」
成美は、上級生に対するとは思えない人懐こい態度でひらひらと手を振って、部屋を出て行った。
そして、寮長室には、一郎、もう一人の上級生、清純の三人だけになり。
一郎は先ほどの穏やかな口調なれど、圧をたたえた真面目な態度で。
しっかりと釘を刺すように言う。
「加納くん。ひとつ肝心な捕捉があります。くれぐれも、忘れないように」
清純は、一郎の目をじっと見つめて、次の言葉を待つ。
「先ほども申し上げましたが、彼女は「男子として」「高校を卒業しなければならない」─────つまりは、万に一つでも「間違い」があってはならないという事です」
間違い。
直接言葉にしなくても、その意味は清純にも想像はついた。
「君もこの年頃の男子ですし、「そういう欲求」があるのは寧ろ正常でしょう。ですが、それを彼女に向けるなど、許されない事と理解してください」
そして。
「万一彼女にもしもの事があったら─────僕たちが、君を無事では済ませないでしょう」
低い声とともに一段圧が上がる。
「そんな事しねえっすよ」とか「俺を何だと思ってるんすか」とか、清純には反論のしようもあったが。
一郎とその横に立つ上級生の無言の圧が、口を開くことを諦めさせた。
そして、清純が部屋を出て。
「なあ」
清純、成美がいる間一言も喋らなかった男─────村中謙治が、初めて口を開いた。
「何ですか、村中くん」
「俺、ここにいる意味あったのか?」
謙治がこの場にいるに当たって、一郎から言い含められていたのは、「ただ黙ってここに立っていてください」だけだった。
「もちろんです。僕だけでは上級生の圧としては不安でしたので」
「本気でそう思ってるのなら、お前は一度医者に診てもらえ」
これまでの空気が嘘のように、軽口が飛ぶ。
「何が始まるのかと思えば、こんな話を聞かせるためだったとはな?」
「彼に本気で信じていただくために、もう一人協力者が必要でしたので」
「…お前、本当に3年間も彼女のお守をさせるつもりか?」
しばしの間、あって、一郎は薄く笑った。
「─────できるわけがないでしょう」
と。
「まあ、もって3日くらい、でしょうか」
「─────は?」
謙治は、ぽかんと口を開けたまま固まってしまっていた。
「正直に申し上げますと、ここで今まで話したことはすべて嘘なんです」
「おいちょっと待て」
「精々3日ほど騙されていただいて、その上でネタバレをする流れのつもりです」
「お前」
「それだけの時間があれば、こんな荒唐無稽な話、嫌でも疑うでしょう?」
「じゃあお前…あの子が実は女だって話も、訳あって3年間男として過ごさなきゃいけない話も全部嘘か!」
「はい。ただ、阿久津くんのご実家が地元の名士である、という点だけは事実です」
「裏を返せば本当の事ってそれだけじゃねえか!最悪だなお前!!!」
「まあ加納くんには些か気の毒な事をしましたが…これも新入生歓迎の意味を込めたコミュニケーションです」
寮長就任後の、初のミッションですしね、とも付け加えて。
「今お前が何を言ってもシバきたくなる気がする…が、一つ答えろ」
「何ですか?」
「あの阿久津って…本当に男か?」
謙治も初めてその姿を見て、一郎の話を聞いているうちに、成美を女子だとしか思えなくなりかけていた。
「安心してください。彼は男性です」
きちんと身分証明書も見せていただきましたしね、と付け加える。




