寮生活、2日目…の前に。Side阿貴
110号室に一人残された阿貴。
昼間の一大騒動の後、張り詰めていたものが切れて、そのままベッドに伏せたまでは覚えている。
次に目を覚ました時には、既に夕方。
春海に言われていた説明会の時間まで間もなかった。
「……行かなきゃ」
誰に聞かせるでもなく、寝起きの頭のまま、阿貴は身を起こした。
軽く体を伸ばし、着ていた服もそのまま、部屋の扉を開ける。
同じ1階でもあるし、距離はそれほど離れていないが、それでも。
無意識に足早に、食堂へ向かっていた。
廊下では、同じ新入寮生の会話の声が漏れ聞こえてくる。
どこの中学出身、とか、部活はどこに入るつもりだ、とか、そんなまだお互い距離感を測りかねているようなぎこちない会話だ。
そんな声を聞きながら歩いていて、それでも阿貴の意識は、別の所に向いていた。
昼間の出来事が、頭から離れない。
春海からは「無理しなくていい」とは言われていたが、それでも聞くべきところは聞いておきたい。
入寮前に貰った資料の捕捉もあるかもしれないからだ。
それに。
─────あの人、どうしてるんだろう。
それが頭から離れてくれなかった。
初対面。
どう見ても女の子にしか見えない相手。
会ってたった数分で、押し倒され、唇まで奪われた相手。
阿久津成美。
あの時は、なぜこんなことをしてくるのか全く理解できなくて。
あまりにも突然で、純粋に怖くて。
この先まで流されていたら、どうなっていたんだろう─────そんな事すら考える余裕もないままに。
ただ、反射で、全力で突き飛ばしていた。
あの後の事は、よく覚えていない。
床に倒れた成美の事も、正しく言うなら、見えていても、目に入っていなかった。
玄関にいた二人─────春海と誠伍がドアを蹴破って入ってきたことも。
「オレはそこまでやれとは言ってねえ!」
「お前とんでもねえことやらかしたんだぞ!!!」
あの快活そうな寮長から聞こえた本気の怒声だけが、頭に残っていた。
春海と成美が二人そろって地べたに頭擦り付けて土下座した姿も。
そして、成美が連れていかれて。
覚えているのは、そこまでだった。
そして、食堂に着いて、周囲を見回す。
入り口から正面の一番奥のステージのような台の上に立つ春海と、その周りで他の新入生を席に着かせる誠伍。
他にも上級生もいたし、新入生たちとはその雰囲気がはっきり分かれていた。
だが。
─────いない。
本来ここにいるべき、自分と同じタイミングで寮に入ったはずの。
阿久津成美の姿が。
説明会そのものは、阿貴が事前に読んでいた資料の捕捉もあり、すんなりと理解できた。
他の寮生も同じだっただろう。
門限。
消灯時間。
風呂、食堂の利用時間。
どれも生活する上で、必要な確認ばかりだ。
「わかんねえことがあったら─────そこらの上級生とっ捕まえて聞いておけ。大体何とかなるし、割と協力的だぞ」
その声に、食堂のあちこちで、小さな笑いが起きる。
昼間の怒声は何だったのか、とすら思える、玄関口で出会った印象のままの快活な口調だった。
説明会が終わり、周りの新入生が続々と席を立ち始めた頃。
自分も立ち上がったところで、
「宇都宮」
と。
春海と一緒にいた先輩─────誠伍が、声をかけてきた。
「悪いが、今日は一人で寝ていてくれ」
と、短く。
「成美は引き続き俺らが詰めとく」
それだけを言い残す。
「……はい」
阿貴は、ただ頷くしかなかった。
一人、110号室に戻る。
先ほどまで結構寝ていたため、起きたばかりよりは頭も冴えてきていた。
しかし、
「…なんで、あんな…」
あそこまで身体的に距離を詰められるのも、ましてやキスされるなんて。
口の中に侵入される、初めての、未知の感覚に改めてぞくり、と身を震わせる。
しかも相手は、自ら「男だよ」と名乗った相手だ。
始めは、恐怖でしかなかった。
では、今は?
─────僕は、どう感じてた?
嫌だったのか。
怖かったのか。
それとも、別の何かだったのか。
それすらも、自分でもよくわからなかった。
何よりも。
あんな事されたのに。
怖かったはずなのに。
どうして、あの人の事が頭から離れないんだろう─────
2日目の生活に入る前の、阿貴の一人になってからの心境のつもりです。




