110号室の同居人(修羅場)
いよいよ、この章の最も重要なターンに入ります。
「いやああああああっ!!!」
突然聞こえた寮中に響く悲鳴に、玄関にいた春海と誠伍が即座に反応を示した。
「あのバカ…」
声の方向から、どこかはすぐに分かった。
何か、まではわからないが、やらかしやがった、とも確信した。
「行くぞ、春海」
誠伍が一足早く、悲鳴が上がった部屋へ走り出した。
春海も、その後を追う。
「成美!!」
110号室のドアを、ノックもなく蹴り開け、部屋に飛び込んだ。
その先に見えたものは。
ベッドの上で、壁を背にして顔を真っ赤にしながら固まっている阿貴。
視線は一か所に縫い付けられたように動かず、その身体は小刻みに震えている。
その視線の先には、床に突っ伏して気絶している成美の姿。
何が起きたか理解が追いついていないのか、部屋に春海たちが入って来たことにも気付かない様子で、
一見すると睨みつけている─────というよりは、恐怖でそこから視線を外せずにいる、が正しいようだ。
春海が、ゆっくりと阿貴に近付き、若干屈んでその顔を見ると。
その眼には涙がわずかに浮かんでいた。
こちらが部屋に入ったことにも気付いていない阿貴の肩を掴んで、軽く揺さぶる。
それにも反応がなく、静かに声をかける。
「…大丈夫か?」
こちらの呼びかけに、ようやく気付いたのか、阿貴の目が春海のそれと合う。
「…やっぱり、成美か?」
やっぱり、を若干協調するかのような、これは問いかけと言うよりも、確認だった。
阿貴が、こくん、と声を発せぬまま頷いた。
「………」
一部始終を見ていた誠伍は、額に手を当て、ため息を一つついた。
そして、おもむろにまだ倒れたままの成美に歩み寄り─────
その細腰を、何のためらいもなく蹴り飛ばした。
「…っ…いっ…たー…っ…」
突き飛ばされた拍子でぶつけたらしい後頭部を右手で抑えながら、腰の痛みに意識を引っ張り戻され、むっくりと起き上がった。
その成美の目に入ったのは。
自分を怖い顔で見下ろしている誠伍の顔だった。
成美は、立ち上がってもなお見上げる形でその顔を見つめ返して、
「何すんのさ!今蹴ったの君でしょ、誠伍!痛いじゃないか!」
「それはこっちのセリフだ、このバカ!!!お前何してやがる!!!」
痛いじゃないか、と食って掛かる成美に、それ以上の大喝を浴びせる誠伍。
(あ、これヤバい…誠伍、本気で怒ってる)
と、即座に理解した。
誠伍は、部屋に入って来た時の状況で、何が起こったのか大体は察していた。
具体的に何があったのかはわからなくても、成美が何かやらかして、阿貴がそれに対して反撃したのだろう、と見ていた。
それも、成美との長い付き合いで身に染みていることだった。
「………で?」
何が起こった、とか。
とりあえず聞いてやるから言ってみろ、とのニュアンスを含めて、低く言い放つ。
それに対して成美、悪びれもせず、
「ガマンできなかったんだもん。あんまり可愛いから、つい─────」
「つい?」
一旦言葉を切った成美を、急かすように。
その圧に負けて、成美は素直に口を開いて。
「─────押し倒して、ぎゅーして……キスしちゃった」
ごめんね、と悪戯っぽく笑った。
「おま…オレはそこまでやれとは言ってねえぞ!」
あまりにも正直すぎる白状に、春海はつい口を挟んでしまった。
「あ」
「……あ」
しまった、という空気のまま、声が重なる。
よりによって、寮随一の常識人である誠伍の前で、それはあまりにも迂闊だった。
「…おい」
その空気の変化を見逃さず、低い声で問いかける。
その一言で、自分が墓穴を掘ったことに、春海も気付く。
誠伍、春海、成美の視線が静かに交錯する。
その気まずさに耐えきれず、先に目を逸らした春海に、誠伍はつかつかと歩み寄って、
「それ、どういう意味だ?」
声のトーンは変わらぬまま。やはり余計な事を仕込んでいたか、と確信を込めて。
そこに先に口を開いたのは、成美だった。
「あのね、誠伍。ぼくは春海に、『新入生をちょっとドキドキさせてやろうぜ』って言われて、その通りにしただけなの。悪いのはみんな春海なの」
全責任を押し付けようとする成美に、春海が慌てて、
「いや、ちょっと待て!手順だったらもう少ししたらオレが入ってきて、ネタばらしする予定だったのに、何先走ってんだ!オレ一人のせいにするな!」
「あーん、酷いよぉ、ぼくも最初はそのつもりだったんだよ?ちょっとだけドギマギさせて、ってつもりだったのっ!でもね…」
ほんの一瞬だけ、フリーズしたままの阿貴を見て
「─────…止まれなくなっちゃったの」
「お前なあ…」
呆れたように春海がこぼす。
その一部始終を聞いていた誠伍は、はぁ、と一つため息をついて。
無言のまま、二人の頭を間髪入れず平手でぶっ叩いた。
「いったぁーい!!何すんのさぁ誠伍!バカになったらどうしてくれるのっ!」
「てめえ誠伍!有段者が素人に手出していいと思ってるのか!!」
「お前らがそれ以上バカになるかっ!!!」
先ほどの平手以上にきつい一言を叩き込むと、誠伍はへたり込んだままの阿貴に目を向け、
「大丈夫か」
と、声をかけた。
「はい…これって…これってどういうことなんですか?」
ようやく平静を取り戻した阿貴に、
「聞いていただろう…そう言うことだ…」
呆れ返りながら、説明しようとした誠伍の機先を制して、春海が。
「あー…すまん。成美の事はオレが代わりに謝る。だが、これも君のためにやったことだと思って許してやってくれ…」
と、この期に及んで責任逃れを試みる。
だが、それに続く誠伍の言葉が、それを不可能にしてしまう。
「怖い思いをさせた張本人は、確かに成美だが、元を辿れば全部このバカだ。青光寮伝統の新入生歓迎ドッキリと銘打ってな…」
と、一度言葉を切り春海に向き直る。
そして思い出したように。
「そうだ、春海─────お前さっき、「何かあったら土下座でもして泣いて詫びる」と言っていたよな?」
「……げ」
覚えていたのか、と一瞬だけ固まる春海だが、咄嗟に、
「あ、オレ仕事がまだ」
「逃げるな」
それを許すほど、誠伍は甘くはない。
逃げようとした春海の首根っこを後ろから引っ掴んで、強引に部屋に引き戻した。
「おい!離せ誠伍!」
「そこで離すバカがどこの世界にいる」
と、そのまま阿貴のほうへ向いて、
「せめてもの詫びの印に、コイツが責任取ってくれるそうだ。煮るなり焼くなり好きにしてやってくれ。このバカ二人ともな」
と、掴んだままの春海を部屋の中央に放り投げた。
「おい、誠伍…」
「あっちは俺が見ておくから、詫びはきっちり入れておけ」
と言い残し、誠伍は部屋を出て行った。
ちなみにこの修羅場を遠巻きに見ていた弥次馬どもも、誠伍が手際よく追い返して。
110号室には、阿貴、成美、春海の3人だけが残された。
「─────」
「─────」
「……」
静寂が、満ちる。
部屋の中央には突っ立ったままの春海と成美。
ベッドの上ではまだ固まったまま、しかしどうにか我に返った阿貴。
少しの間を経て、春海は、成美の頭を掴んだ。
「ちょっと春海…」
「黙ってろ」
抵抗させる隙も与えず、床に叩きつけるように押し付ける。
そのまま自分も正座して、
「本当にすまなかった!!!」
成美の頭を地面に擦り付けながら、自分も同様に額を床に押し付け、全力で叫んだ。
その様に、阿貴は眼を見開く。
本当に、ただのドッキリのつもりだった。成美もそれをわかっていたはずだったし、視覚と演出で訴えかける悪戯で留めるはずだったのだ。
成美の女そのものの容姿で新入りをちょっとばかりドキドキさせておいて、ネタばらし、という流れだった。
それが、春海の予見し得ない形で破綻した。
「言い訳はしない!騙し討ちみてえな真似だったのは認める!この責任はオレにある!」
「は、春海…」
頭を押さえつけられながら抵抗する成美に、春海がさらに叫ぶ。
「黙ってろバカ!お前とんでもねえことやらかしたんだぞ!」
このやり取りを見ていた阿貴も、春海の怒りに毒気を抜かれたのか、
「あ、あの…先輩…」
未だ真っ赤な顔のまま、
「─────怖かったです…けど、そこまで怒らなくても…」
一連のやり取りを通して、阿貴も状況を受け入れる余裕を取り戻したようだ。
「許されるとは思ってねえ…今日の所はコイツ説教しておく。悪いけど一人で寝てくれ」
「ちょっと春海?!ぼく部屋戻れないの?!」
「あったりめえだこのバカタレ!今夜はオレらの部屋で寝ろ!後でじっくり話は聞かせてもらうからよ!ここには帰さねえからな!」
春海は成美の手を掴んで、立ち上がる。
このまま二人きりにするわけにもいかねえからな、と、
「後で全体で寮の説明する予定だったが…この状況だしな。出てこれるならできれば出てほしいけど、無理はしなくていいからな」
と、阿貴を気遣って。
春海は、成美を引きずるように部屋を出て行った。
静まり返った部屋に残された阿貴は、しばらくその場から動けなかった─────




