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LP 関特演 異聞  作者: 異不丸
第1章 昭和一六年六月
6/7

4 参謀たちの熱狂


満州国、国都新京、吉野町


 奥田と五郎は新京駅を出て、駅前広場から日本橋通りに入った。人通りは多く賑やかだ。

「本当にここかい」

「手紙の住所はここだ」

 それは立派な建物だった。居酒屋にするには勿体ないレンガ造りの三階建て、本通りから一つ入った立地も申し分ない。

「見ろよ、店の名前」

「阿福でも多福でもなく、阿多福だ。間違いない」

 店から白いシャツの男が出て来た。二人を見てぎょっとする。

「あ、坊ちゃん」

「え」

「旦那さま。五郎坊ちゃまがお着きです」

 男は店の中に向かって叫んだ。それから二人に手を差し出す。荷物を持ち慣れたその男は石腹兵長だった。



【新京市街図】

挿絵(By みてみん)



 奥田が思ったとおり、店は田中兵務局長の手配によるものだった。中国料理店を居抜きで買い取って、山口夫婦に与えたのだという。テーブルや椅子は支那風のままだが、内装や配置は変わって、料理店というよりはカフェ、いや居酒屋か。

「一階はビアホール、二階の部屋の区切りはそのままです」

 四郎と五郎、奥田の三人が手近のテーブルに座ると、石腹がビールピッチャーとコップを持って来て解説する。一階ではビールに合う点心や揚げ物、二階ではコースも出す。そのアイデアは石腹が出した。支那人の料理人を首にし、畳を入れて料亭にするという四郎を説得したのだ。買収の条件は使用人込みの居抜きだった。

「ここの料理は評判で日本人の馴染みも多かったのです」

 石腹は鮮やかにビールを注ぎ分けると、残った分を自分のコップで飲み干した。立ち上がって、掃除しているボーイや女給にあれこれ指図する。そろそろ開店の時刻らしい。

「休暇をくれるとは、軍隊も進歩したもんだ」

 コップを空ける四郎はすっかり飲み会の体だ。

「父さん、それより」

「ホール長は石腹だ。わしは勘定の時に帳場で立ち会えばいい」

「そうじゃなくて」

「そうです。いったいどうして、ここに」

「ああ、それか。いや」

 四郎は頭を掻いた。

「わしも反省して暹羅に行くつもりだった」

 四郎は百号作戦の最終段階において大金星を上げた。八路軍のほとんどを集結させたのだ。しかし、それは中国共産党が隠していた阿片を燃やした結果であって、田中少将の策謀を台無しにした。失意と憤怒の将軍は山口夫婦に泰へ行くように命じた。


「おとなしく天津まで行った。ところが」

 四郎はコップを掲げて振る。石腹が飛んで来て、ビールを注ぐ。

「安安が泣きだした」

「え」

「海を見た途端、大声で。初めて見たのだな」

 奥田は五郎と顔を見合わせる。まあ、あるかもしれない。

「船はだめだとなって、ここ、新京になったのだ」

「それで母さんは」

「安安の女学校の面接だ。新京はいっぱいでな。今日は四平に泊まりだ」

「よかった。近くで」

 安心した五郎は笑顔になったが、奥田は頭の中を整理する。今、山西省の日本第一軍と中国第2戦区軍は停戦状態にあるが、それは前参謀長、田中少将の対伯工作によるものだ。安安は軍長の閻錫山の娘か孫か、人質交換だろう。閻は陸士に留学した親日家だから日本人女学校に入れるのはおかしくない。おふくさんが勝手に連れ出したこともあるから、寄宿舎もわかる。

 しかし、と奥田は考える。なぜ満州なのだ。北京や天津ではだめなのか。もしかして、山西省や河北省はこれから戦場になる。その可能性が高いから満州になって、閻も承諾した。そういうことか。疑問がいくつか出たが、情報が不足なままで無理に解決はしない。奥田は思考の道程を確認して、思い込みがないことに満足する。

「いらっしゃいませ」

「こちらにどうぞ」

 客は多い。けっこうなことだ。



 いつまでもテーブルを占拠してられないから、五郎と奥田は四郎の後に続いて帳場の奥の部屋に入る。畳が入れてあって床の間と押入れもある小座敷だ。腰痛持ちの四郎は椅子に座った。石腹が飯台の上にビールとコップ、小皿を並べる。料理は黒いゆで卵と鶏の足の唐揚げだ。

「おっ、うまいです」

「そうだろう。腰にいいのだ」

「なるほど」

 店の方は、大人数が来店したらしく、どやどやと賑やかになった。軍靴の足音だと顔を上げた奥田に四郎が頷く。

「軍人割引をやっている。兵隊は半額、下士官と尉官は四割引、佐官は三割引だ。満州国軍もくるぞ」

「いいですね。でも、採算は」

「端肉とか臓物とか安い部材だが、調理は手を抜いてない」

「そうなんだ」

 五郎は天井を見上げる。二階にも客が入ったようで、繁盛しているのは間違いない。

「挨拶に回らなくていいの」

「石腹に出るなと言われている。母さんは行くが」

 皿が空きそうな頃合いに次の料理が出る。酒も白酒に紹興酒、給仕はいつも石腹で、他の者は入れないらしい。奥田は感心した。石腹には才がある。

「頭城上等兵は四平に同行しているのですね」

「あいつには護衛の才がある・・」


 !

 突然、五郎が手を上げた。四郎は驚いて黙る。奥田にも聞こえた。かすかな無機質の衝突音、グラスを合わせる音か。五郎と頷き合い、並んで押入れの戸をそっと開ける。


『黙って指をくわえて見ていていいのか!』

『同盟国ドイツの勝利を手助けしよう!』


 三人は顔を見合わせた。まず、四郎に動くな話すなと身振り手振りで伝える。四郎は真顔で首を縦に振った。それからトランクを指差すと、五郎は取り寄せ静かに開ける。奥田はポケットから細身の懐中電灯を出し羽目板を照らしてみるが、変わったところはない。


『シベリア鉄道の爆破だ!』

『わが関東軍の伝家の宝刀!』

 カチカチン。


 ははあ、奥田は音のする方を感じ取って中段を下から覗き込む。後框の釘の横に穴があった。座布団やらを取り出し、まじまじと観察する。かなり深い。尻を小突かれて振り返ると、五郎が手の平を突き出した。長めの針を選び取り、後框の穴にそろそろと差し込んでいく。先端が奥で何かに当たる。硬い金属だ。尻を振ると、となりに五郎が潜り込んでくる。奥田が支えた針を框に固定し、後端に金属の筒を被せた。五郎が頷いたので、後ろ向きに押入れから出る。

 四郎は目を丸くしていた。

「穴は塞ぎました。もう音を立てても大丈夫です。向こうには伝わりません」

 四郎はごくごくとコップを空け、マッチで煙草に火を点ける。

「しかし、それではこちらも聞こえないではないか」

「だから仕掛けがあります」

 トランクからラヂオを取り出す。裏蓋を開け、真空管を点検して新しい乾電池を入れる。並んだ開閉器を操作して予熱回路を開く。

「ただのラヂオじゃないようだな」

「特注品です。発信や探知にも使える」

 五郎が出て来た。野戦電話の副受話器を片耳に当て、片手に電線を持っている。螺子回しでラヂオの裏に繋ぎ、回路を切り替えた。



『いいか、諸君。情報や後方の協力なくして作戦は立てらんのだ』

『もちろん、そうだぁ』

『しかるに、作戦室には作戦課員しか入れんとは』

『馬鹿めが。独りよがりの作戦では損害が増すだけだ』

『だからこそ、われらは起つのだ』


 明瞭な音声に五郎は満足して、うまそうに煙草を吸う。四郎は感心して息子に酌をする。

「たいしたものだ。えらいぞ」

「えへへ」

 人が入ってくる気配で奥田は音量を絞る。今度の料理は雷魚の梅蒸しと青菜炒めだ。

「二階の客は司令部か」

 四郎の問いに石腹は即答する。

「いつもの参謀方です。今日は情報課が二人、後方が三人、政策が一人、合わせて七名」

「勘定が合わんぞ」

「あれ。あ、珍しく作戦課から一人。ま、曹長殿ですが」

「よく覚えてる、えらい」

「えへへ。うるさいですか。もう酒も料理も終わりですから」

 振り向く四郎に、奥田も五郎も首を横に振る。

「これと同じものを出してくれ。それと、白酒を一甕」

「え、雷魚を。七人で食べれるほどの」

 石腹はぶつぶつ言いながら出て行った。



『今日はここまでか』

『ぶうう』

『失礼します。いつもご贔屓にどうも。ささやかながら、これは主からの差し入れでございます』

『おおおっ』


 話が続くことに安心した三人は乾杯する。参謀風を吹かせる面々の本音は絶好の酒の肴だ。帳場の奥は盛り上がる。

「やぁやぁ、こうして張作霖爆殺も満州事変も起きた訳だな」

「物騒な方々ですね、あっはっは」

「肝心の作戦参謀はいないから、気勢だけだね」

「参謀統帥はご法度」

「独断専行がそんなにあってたまるか」

「あっはっは」



『目に物見せてやる』

『作戦課だけではできないくせに』

『いつも一段下に見やがって』

『飾緒が偉いのではないのだ、曹長』

『は、はあ。では、本気で』

『もちろんだ。明日は作戦会議だぞ、諸君』

『おうっ、乾杯』

『あっはっは』






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