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LP 関特演 異聞  作者: 異不丸
第1章 昭和一六年六月
5/5

3 情報部員の休日


満州国、浜江省哈爾浜、埠頭区


 北支那方面軍第一軍司令部付きの山口五郎と奥田道夫は、松花江岸のヨットクラブの二階のテラスから松花江で遊ぶ人々を眺めていた。北満州の夏は短い。皆、追い立てられるように、水泳や日光浴、ボート遊びに忙しい。無論、二人の目当てはロシア娘だ。待ちわびた日光を体表の全面で浴びようと、泳いでない者もブラウスを捲ったり、半脱ぎにしていた。皮膚の露出は目を蔽うばかりだ。奥田は手を擦り合わせて呟く。

「ありがたい、ありがたい」

 二人とも派手な開襟シャツに半ズボンと周囲に合わせていたが、双眼鏡を手にしていては台無しで、目立って浮いてしまう。肩から掛けた収容嚢はカンバス製で身分もばればれだ。苦い顔で五郎は言う。

「恥ずかしいとは思わんか」

 だが、奥田は得意そうに返す。

「カメラもある」

「なんだって。休暇中だぞ」

「アルバイトだ。おっ、これは立派な・・」

 五郎はあきれて席を立とうとする。その時、大声がした。ロシア語だ。

「やめろ。俺の女房を撮るな!」

 振り返ると、招待してくれたアレクセイだ。水着から水が滴っている。慌てて駆け上がって来たらしい。

「お前が頼んだんだぞ、アリョーシャ」

「頼んだのはセルゲイ一家の写真だ」

「そっちはもう撮ったさ」

「それじゃ、返してもらおう」

 アレクセイは素早くカメラを奪うと走り去った。

「あ」

 がっくりした奥田を見て五郎は笑う。

「残念だったな。悪事蔓延らずだ」

 しかし、奥田は振り返って微笑む。

「もちろん、プランBがあるさ」

「え」


 ボーイがビールを持って来ると、五郎は奥田の手を引いて部屋に入る。

「どうした。お日さまの下で飲む方がうまいぞ」

「さすがに目立ち過ぎだ。まるで無頼の行動だ」

「ここは満州で、今は休暇中」

「ふつうの軍人ならそれでいいさ。だが、俺たちは・・」

 五郎は声を出さずに、ジョウホウインと口を動かす。

「ま、な。それじゃ乾杯」

「おう、乾杯」

 二人が飲んでいると、ボーイがビールと料理を持って来た。

「頼んでいないが」

「これでお待ちくださいとのことです」

 ボーイはアレクセイの名を告げ、皿の上の銀の蓋を開ける。二人は皿を覗きこんだ。

「驚いたな、キャビアがあるぞ」

「待ってやろうじゃないか」

 二人は口いっぱいに詰め込み、噛みしめる。

「これからどうする?」

「明後日、鞍山で家族会議だ」

「明日は新京に泊まらないか。招待する」

「招待って、どこへ」

「うちへ」

「え。貴様、所帯を持ったのか」

「違う。父母が新京に店を買ったんだ」

「あれ。四郎さんは暹羅に行ったんじゃ」

「何か変わったらしい」

「行くぞ。面白そうだ」

 足音がして、アレクセイが入って来た。

「うまく撮れていた。スパシーバ」

「パジャルスタ。それじゃ」

「コサック料理の本格だ」

「外がいいな」

「もちろんだ」




 アレクセイが誘うままに白いモーターボートに乗り込む。借り上げたらしい。松花江の上り下りなのだが、カピタンは奥田の言うがままに岸に近づいたり、遊覧船の横に並んだりだ。奥田はずっと双眼鏡を覗いている。五郎はプランBが何かを理解した。

「十分だ、アリョーシャ。満喫したぞ」

「じゃ、上陸しよう」

 アレクセイが合図すると、ボートは大きく傾いで変針した。エンジンが唸りを上げ、全速で河中の島に直進する。周りのボートが慌てて進路を空けた。どうやらカピタンは思うところがあったらしい。

「ひょーっ・・」

「着いたぞ」

 太陽島はヨットクラブの北にあたり、その東半分が夏季用の貸別荘地だ。といっても、砂洲で地盤が軟弱だから、大きな家屋は建てられない。だいたい、河の水量や支流の流れで毎年、島の形が違った。家具や什器の類は置きっ放しにせず、その都度に持ち込む。アレクセイが借りた別荘の庭では料理人が忙しく働いていた。三人は水泳着一枚になって寝椅子で日光浴の体になる。

「さあ、はじまるぞ」

 肉が焙られ、油がはじけ、野菜が煮込まれ、パイが焼かれる。いい匂いが辺りに漂い始めると、岸辺にいた老若男女が振り向く。正午をとっくに過ぎていた。パンや牛乳、蜂蜜を売る出店はあったが、本格的な料理はない。若い母親が子供を追って近づいてくる。

「よろしいかしら」

「もちろんです」

 別荘の庭には若女が集まって賑わう。もちろん水着一枚だ。老男はどうしたかと見ると、入口に屈強な男たちがいて足止めしている。


「あっはっはっ」

 奥田は起き上がり、若女に交じって料理を見分する。

「それは粥かい」

「カーシャではありません。クレーシです」

 若い料理人は愛想良く説明する。

「そっちはパイだね」

「ピローグです」

「餃子だ」

「ペリメニ」

「から揚げ」

「コトレータ」

 奥田と料理人は見合った。

「シャシリキをもらおう」

「シャシュリク。豚と牛と羊がある」

「その、うまそうな羊をくれ」

 料理人は機嫌を直した。寝椅子から見ていた五郎はほっとした。

「これはうまい。フクースチーシャ!」

 奥田は串を持ったまま、庭の入口に歩く。そして、睨む老男らの前でたいらげた。

「ジャパンスキーに与えて、同朋には分けないのか」

「ただとは言っていない。金は払うぞ」

 奥田は、騒ぎだした老男たちの前で空の串をひらひらと振る。

「残念。貸し切りなんだ」

 ついに、大男が数人、突進して来る。

「やったあ」

 奥田は歓声をあげ、大男の突き出した拳を串でぴたぴたと打つ。

「この腐れ下衆のマカーキめ」

「いかん」

 五郎とアレクセイは飛び起きて走る。騒動がはじまった。





【支那勢力図】

挿絵(By みてみん)



中華民国、山西省太原市、第一軍司令部


 楠山参謀長と北原参謀、矢部参謀の三人は机の上の数枚の地図に見入っていた。国府軍第1戦区の崩壊により山西省南部に張り付けてあった第三六、三七、四一の三個師団を動かせるようになった。共産軍の晋冀豫辺区と晋察翼辺区も壊滅したから、さらに二個旅団を予備に廻せる。北支那方面軍は大規模作戦の発起が可能となった。

「方面軍の今年度の作戦方針は粛正建設です。本旨通り共産軍の殲滅を」

 北原が律儀に復唱し始めると、楠山は顔をしかめる。

「作戦参謀、わが軍は戦略的な大戦果をあげたのだ」

「徹底した剿共と、方面軍司令官は言われました」

 矢部も復唱する。

「情報参謀、あの日の兵団長会同では新戦果は判明していなかったのだ」

「では」

「うむ。大作戦をな。剿共でもいいが」

 矢部が地図を入れ替える。あちこちに書き込みがあった。北原が南京の真北を差しながら説明を始める。

「総司令官の憂鬱はこの新4軍でしたが、一月の皖南事変で壊滅、国府軍の戦闘序列から抹消されました」

 楠山の顔がぱっと明るくなった。

「南京国民政府も総司令部も安泰、積極的な大作戦を拒むものはない。そして、方面軍には潤沢な予備兵力がある。いいぞ」

 矢部が青い矢印の板をいくつか置く。

「第5戦区軍は後詰がなくなって不安のはず。第一三軍と第一二軍が攻勢をかければ引きます。その時、第一一軍が背後に回る」

「おおお」

「救援にくる第8戦区軍をわが第一軍が断つ」

 横山参謀長は顔を真っ赤にして叫ぶ。

「そこは洛陽、そして西安。あっはっは」

 その日、作戦室では大笑いが絶えなかった。



【国府第5戦区包囲作戦構想図】

挿絵(By みてみん)





満州国、浜江省哈爾浜、埠頭区


 アレクセイは、遊び疲れた五郎と奥田をキタイスカヤ街のホテルまで送る。

「いやあ、痛快だった。スパシーバ、アリョーシャ」

「ゴローも楽しんだか」

「愉快だった。別荘を壊してすまないな」

「想定の内さ。ホテルじゃ大人しくしてくれよ」

「わかってる」

 このホテルの手配もアレクセイだった。部屋の鍵を渡しながら言う。

「明日の列車は九時半だ。九時前に迎えに来るから支度しておいてくれ」

「おう、わかった」

 アレクセイが帰ると、奥田が振り向く。

「シャワーを浴びたら盛装して出かける」

「えっ、まもなく日付が替わるぞ」

「ここは天下のキタイスカヤ大通りだ。寝てどうする」

「そうだが」

「北原参謀からもらった機密費は手つかずだ」

「うん」

「戻ったらまた黄砂まみれだぞ」

「うん、うん」

「よし、決まりだ。二十分後にフロントに集合」

「おうっ」






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