不意打ちの逃走
ドアの向こう側で動きがあったのは、逃げる方法がないかと必死で考え始めてしばらくしてからだった。
「遅いじゃないですか」
「いろいろすることがあったのよ。それより上手くやったんでしょうね」
男たちしかいないと思われた部屋から女性の声が聞こえてきたのだ。しかも、その声に聞き覚えがあって、リリアは耳を疑った。
「部屋に閉じ込めていますよ。とは言っても目が見えないから、自分がどこにいるのかもわかってないでしょうけど」
「部屋の中は静かですけど、意識は戻っていると思いますよ。会ってみますか?」
どきりとした。男たちはすでにリリアが気が付いていることを予想したうえで、何もできないと敢えて放置させていたらしい。
「そうね。話ができるならさっさと済ませましょう。自分がどれほど愚かな立場にいるのか教えてあげないと」
聞き覚えのある女性の声に、どうなっているのか混乱するしかなかった。
足音が聞こえてくる。咄嗟にドアから離れるように壁に背を付けた。
ゆっくりと開かれたドアから、明かりを持った男が3人入ってきた。
この時リリアは魔力を集中させて自分をさらった犯人の顔をしっかりと認識しておくことにした。ここを逃げることができた時、後で犯人探しができるようにと思ったからだ。それに、今の状況を把握しておくためにも、観ることを選択した。相手はリリアが何も見えていないと思い込んでくれている。視線が合わないように注意しながら入ってきた男たちと、その後ろから現れたリリアと年の変わらない女性を確認した。
「本当に気が付いていたようね。気分はいかが?」
完全に見下すような言い方で、ミリア=ルナソルは勝ち誇った顔を向けてきていた。
「ミリア様、どうしてこんなことを」
「あら、声で私がわかったみたいね」
「お茶会でもお会いしましたから、覚えていただけです」
始めて視る彼女は茶色い地味なドレスに身を包んで、金髪を結い上げていた。白い肌に青い瞳が嫌悪するようにリリアに注がれている。
「あなたがいけないのよ。忠告したのにいつまで経ってもアルの婚約者でい続けようとするから」
ずっとリリアのことを敵視していたが、いつもアルベルトの婚約者だということが気に入らない様子ではあった。だが、それを否定する権利は彼女にはない。
「私たちは自分たちの意思で婚約していると言ったはずです。ミリア様に婚約に関して意見されるいわれはありません」
お互い惹かれ合って婚約しているのだ。ウォルスター公爵や自分の家族の承諾もされている。
「生意気なのよ」
そう言うと、手にしていた扇が投げつけられた。見えないふりをするため扇を避けることができず、右肩に当たってしまった。
床に落ちた扇に視線を向けながら右肩を押さえる。
それほど痛くはなかったが、かなり痛かったように装っておいた。そうすることで相手を油断させられる可能性があると思ったのだ。
「どうせ、アルの婚約者を名乗っていられるのも今日までね。こんな場所まで誰もあなたなんか探しに来ることもないでしょう」
「私がアルベルト様の婚約者だからといって、ここまでする必要があるのですか」
なぜここまでアルベルトに執着するのか、それがわからない。彼女にはすでに婚約者がいたはずなのに。
「カイルは私の婚約者よ。それは変わらないわ。でもアルも私のものなのよ」
この人は何を言っているのだろう。声だけを聞きながらミリアの異常性に言葉が出てこなかった。
「ずっと彼のことを想ってきたわ。婚約者がカイルに決まっても、この気持ちだけは変わらない。カイルと結婚しても、私の心はアルと一緒なのよ」
どうやらミリアはアルベルトのことがずっと好きだったらしい。その気持ちを持ちながら、もう1人の幼馴染と婚約した。
「自分の気持ちを伝えようとしなかったのですか?」
当然の疑問だ。カイルと婚約する前にアルベルトに気持ちを伝えていれば、こんなことにはならなかったのではないか。
「そんなことしたって、アルが私に気持ちを向けてくれていないことはわかっていたわ」
アルベルトがミリアに好意を持っていないことは気が付いていたようだ。だからこそ、カイルと婚約し、心の中ではアルベルトを想うという捻じれた状況になってしまった。
「それでは、カイル様が可哀そうです」
婚約者となったカイルの気持ちはどうなるのか。自分に心を向けてくれない相手と婚約してしまった彼が悲しすぎる。
「それは大丈夫よ。彼が私を好きなのは知っていたもの。私がアルを好きでも離れようとしないでしょう」
その言葉に息を飲んだ。相手の気持ちを知りながら、堂々と別の相手を見続けるミリアの思考についていけなかった。それに、どうやらカイルはミリアの気持ちを知っているような口ぶりだ。
「そんなことは今は良いのよ。それよりも自分の状況を心配したほうがいいのではなくって」
顔を上げるとミリアの蔑むような視線が注がれていた。
そっと手を動かすと、ミリアが投げた扇に触れる。これ1つでは武器にならないが、何かの役に立つかもしれないと思い自分の方に引き寄せた。
「私に何をするつもりですか?」
「決まっているじゃない。あなたは邪魔なのよ。あなたさえいなくなれば、アルは私のものになるんだから」
歪んだ愛情に怖気が奔る。
「私がいなくなっても、アルベルト様は決してあなたに振り向くことはないわ。それに、あなたが犯人だときっと気づくはずよ」
ドレスを汚されたことやウォルスター公爵邸でのやり取りはメリーナの耳に入っているはずだ。彼女がミリアを疑えば、アルベルトも彼女を疑ってくれるだろう。犯人であることが知られるのは時間の問題だ。そうなれば、アルベルトの気持ちがミリアから完全に離れることになる。
「己の浅はかさを必ず知ることになるわ」
「目が見えないくせに、生意気なことを言ってるんじゃないわよ」
ずかずかと近寄ってきたミリアが手を振り上げた。見えないふりをしているため、その手を避けることができずリリアは頬に強い衝撃を受けて床に倒れ込んだ。
左頬を押さえながら避けられたのに避けてはいけない歯がゆさを感じてしまう。
ゆっくりと顔を上げていくと、怒りで紅潮した顔がこちらを見下していた。
「あなたなんか、さっさと消えてしまいなさい」
そう言って再び右手が振り上げられた。
その瞬間、リリアは一気に立ち上がると力いっぱいミリアを押しのけた。
突然の行動に対処できなかったミリアが大きく後ろによろめいて近くにいた男を1人巻き込んで床に倒れる。それを確認することなく、リリアはそのまま部屋のドアへと走った。
目が見えないため動くことなどできないと思っていたのだろう。それが反撃までしてきたリリアに驚いた男たちもすぐに動くことができず、その隙を狙って部屋を飛び出した。
先ほど部屋の中を確認していたので、外に出るための扉の場所はわかっている。
迷うことなく小屋を飛び出したリリアは、目の前に広がる木々に一瞬足を止めたが、すぐに森の中へと駆け出した。ここで立ち止まっていてはすぐに男たちが追いかけてきて捕まってしまう。今はとにかく距離を稼ぐことだけを考えることにしたのだ。
魔力を集中している目は他のことに意識が削がれれば途端に視えなくなってしまう。魔力の集中と走ることを同時にやるのは神経を余計に疲弊させることになるのだが、それでも迫りくる敵から逃げるために、必死に前に進んだ。
ほとんど走ることのない生活をしているため、体力には自信がない。それでも、ここで捕まるわけにはいかない。帰るべき場所へ、帰りを待っている人たちの元へ戻るため、ただひたすらに足を動かしていった。




