侮辱
「あなたがアルベルトの婚約者か。婚約したとは聞いていたのに連れてくる気配がなかったから、幻なのかと妃と話していたのだよ。3か月前の夜会で会ってはいるが、その時はまだ婚約者ではなかったな」
王太子殿下に挨拶をすると、さっそく興味があると言わんばかりの声が聞こえてきた。青を基調とした服に茶色の髪をしているのはぼんやりとした視界でも認識できた。隣にはもう少し薄い青に金髪と思われる色の妃がいるが、ドレスに光沢があるのか、ビーズなどを刺繍しているのか、きらきらと輝きを放っていた。金色の中にもきらめきが見えるのでアクセサリーもたくさん身に着けているのだろう。
「アルベルトとも直接会うことがないから本人から話も聞けないし、婚約が噂で終わるのかと思っていたぞ」
「殿下の護衛は第1騎士団の近衛騎士隊が努めておりますので、直接会うことはほとんどないかと。呼びつけていただければ伺いました」
「婚約したから相手を見せに来いと命令でもすればよかったのか?そんなことで呼びつけていたら、公私混同になるだろう」
歳は違うが、アルベルトと王太子は王立学園の学友だという。学園内には騎士や魔術師を目指すための特別なコースがあり、2人は騎士のコースで一緒になった。王太子の方が3つ年上なのだが、アルベルトが入学した時に王太子も剣術を学ぶために特別に入学してきたのだ。
「黒騎士隊では相変わらず凄腕で評判らしいな」
「ありがとうございます」
「2人ともそんな堅苦しい会話をしていては、フラクトル嬢が戸惑ってしまいますよ」
2人の会話に入れないリリアは様子を窺っていたのだが、そこに妃殿下が助け舟を出してくれた。
「今日の夜会は人数も少ないから、人とぶつかる心配もないでしょう。もちろんウォルスター卿が護ってくれると思いますが、楽しんでくれると嬉しいわ」
「不慣れな夜会ですが、お招きいただいた分楽しみたいと思っています」
優しい声にほっとしながら返事をする。どうやら2人はリリアの目のことを理解しているように思えた。
後ろで挨拶を待つ人がいるため、リリアたちは礼を取ってその場を退いた。
「疲れていないか?」
初めての2人での夜会にアルベルトが気を遣ってくれている。
「まだ挨拶をしただけです。平気ですよ」
初めての夏の夜会で緊張はあるが、心強いパートナーのおかげで余計な心配をする必要がない。
「それにしても殿下はリリアのことを覚えていたようだな」
春の夜会で兄と一緒に挨拶をしたのだが、その時の話が出てきた。それでも春の夜会ではまだアルベルトと婚約する前だったため、貴族のうちの1人くらいにしか思っていなかったのだろう。
「あの時は、兄に連れられて簡単な挨拶をしただけですから」
婚約はしたものの、アルベルトと一緒にいる姿を見たことがなかった王太子は、婚約自体が幻なのではと疑っていたようだ。
「ダンスの時間までもう少し掛かるだろう。中庭で休もう」
王太子への挨拶の列はまだ続いている。頃合いを見てダンスの時間へと変わるのだが、それもまだ先になりそうだった。普段外に出ないリリアにとって大勢の人がいる場所に長時間いるのはだんだん苦痛に感じるようになってくる。
中庭はほとんど人がいないため、休憩するなら会場を抜け出した方がいいと考えてくれたようだ。
まだ元気ではあったが素直にそこは従っておくことにした。
本当の婚約者になると、アルベルトは今まで以上にリリアのことを気遣ってくれているように思う。浄化の力を持っていることを知っても、彼はその力を利用しようとする雰囲気を持つこともなく接してくれている。
力のこととは関係なく、リリアとの婚約を正式にしたいと思ってくれているのが伝わってきて素直に嬉しかった。
だが、リリアにはもう一つの秘密がある。魔力がはっきりと見えるという不思議な目のことはまだ話していない。
話すべきなのは理解していても、やはりそこまでの勇気がまだ持てていないのも事実だ。
浄化の力は仮面をつけたリリアをアルベルトが見抜いたことで知られる形だった。今度は自分の口から話さなければいけないと思っている。
中庭には春の夜会と同じように所々にベンチが置かれて、いつでも休めるようになっている。今のところ他に人がいないようでとても静かだ。
近くのベンチに座ると、思い出したようにアルベルトが会場に戻ろうとする。
「何か飲み物を取ってくる。すぐに戻るから待っていてくれ」
飲み物を飲みながらゆっくり時間を楽しむことにしたようだ。
リリアが声をかけるより早く彼が動いて足音が遠ざかっていく。
何から何まで気を遣われていると思うと、なんだか申し訳ない気持ちになってしまう。
薄暗い中庭に1人でいるのはさすがに怖い気もしたが、すぐに戻ってくると言っていた言葉を信じて待つことにした。
周りを見渡してもぼんやりとした視界では、何があるのか判断できない。特に夜は光がないため周囲と暗い色の物を見分けるのが難しくなる。不用意に動いて躓いても大変だ。今は動かない方がいいだろう。
何気なく視線を彷徨わせていると、やがて足音が聞こえてきた。
アルベルトが戻って来たと思ったが、軽い足音に違和感があった。
「あなた、まだアルと一緒にいたのね」
突然の声にリリアは数回瞬きをした。
どこかで聞いたことがある女性の声だが誰なのか思い出せない。
「失礼ですけど、どちら様ですか?」
薄暗い中でもはっきりとわかる赤い色はドレスだろう。
「目が見えないから何もできないのよね」
見下すような言い方に、前にも同じようなことがあったことを途端に思い出した。
「ミリア=ルナソル様ですか?」
「あら、声で判断できるんじゃない」
感心したような言い方だが、随分と棘がある。初めて会ったときも彼女はリリアを下に見ているのがわかったが、その態度は今も変わらないようだ。
「お久しぶりです」
とりあえず挨拶をしておく。相手がどんな態度であろうとこちらが反発すれば相手の思うつぼだ。こちらは視力が悪い分できるだけ冷静に対応しなければいけない。
「なんでまだアルの婚約者をしているのよ」
明らかにアルベルトの婚約者であることが気に入らないと言っている。
「見えないくせにアルの隣に立とうだなんて、自分の立場をわきまえたらどうなの」
目が不自由な人間がアルベルトの婚約者であることが嫌なようだが、それはミリアが決めることではないと思う。
「婚約はお互いの意思のもと成立しています。アルベルト様は私の目のことを承知で婚約することを決めました」
このまま言われっ放しではいけないと思い正論を言ってみた。婚約にはウォルスター公爵とフラクトル伯爵の同意もある。何よりもリリアとアルベルトの意思が尊重されている。お互いに気に入らなければ婚約者などにならなかった。
「・・・生意気」
ぼそりと呟いた声にリリアが反応する前に、何か水の音が目の前で聞こえた。
バシャッと音がすると同時に足元に違和感があった。
「今日はさっさと帰ることね」
捨て台詞を残してミリアが会場へと歩いていく。
何が起きたのかわからないリリアはしばらく呆然とその場にいることしかできなかった。
「遅くなってすまない。知り合いにつかまってしまって・・・リリア?」
どれくらい呆然としていたのかわからないが、アルベルトが飲み物を持って戻ってきたことで我に返った。
「あ、えっと・・・」
戸惑っていると近づいてきたアルベルトが何かに気が付いたのか、急にリリアの前で小さくなった。
屈んだのだと気が付いた時には、少し驚いた声が聞こえてきた。
「これはどうしたんだ?」
「え?」
「ドレスが汚れている。匂いからしてワインだ」
「あっ・・・」
水音と足元の違和感の正体に思い至ったリリアは戸惑うしかなかった。
どうやらミリアはドレスにワインをかけて去っていったらしい。
「誰にやられた」
リリアのことが気に入らないからと言ってやっていいことと悪いことがある。その区別がつけられない彼女に怒りを覚えると、目の前から怒りの声が聞こえてきた。明らかにリリアよりも怒っている。
自分よりもさらに怒っている人間を目の前にすると、自分の怒りなどなかったかのように萎んでしまうことをこの時初めて知るリリアであった。
「えっと、アルベルト様、とりあえず落ち着きましょう」
相手の名前を出した途端に殴り込みに行きそうな気がして、まずは落ち着いて話をするべきだと思った。
しかも相手は彼の幼馴染だ。大事になるといろいろまずい気がした。
「私は大丈夫ですから、ドレスが汚れたなら今日は帰った方がいいですね」
どれくらいの汚れになっているのかわからないが、アルベルトが怒るくらいにはひどいのだろう。
せっかく母が用意してくれた服なので残念に思うが、汚れてしまった物はどうしようもない。
「殿下へのご挨拶が終わっていてよかったです」
それだけが安心材料だ。
犯人を聞き出そうとするアルベルトを宥めながら、とりあえず会場に戻ることにする。
すると、急に彼が腕を掴んで引き留めた。
「そのドレスでは目立つ。裏庭を抜けて行こう。城内のことはわかっているから、ここから馬車止めまですぐに行ける」
汚れたドレスは周りの人目につきやすい。目が悪いリリアでは笑いものにされてしまう可能性だってあった。そうなると自然とアルベルトにまで影響がいくだろう。
黒騎士の彼は城に勤めているので、中庭から馬車止めまでの道のりを把握していた。
「失礼」
アルベルトの提案に頷いて彼の腕につかまろうとした瞬間、ふわりと体が浮いた。
「きゃっ」
短い悲鳴をあげると手が布に触れた。それをぎゅっと捕まえる。何が起きたのかわからなかったが、膝と腰のあたりを支えられていることから、どうやらお姫様抱っこの状態だと考えられた。
「アルベルト様」
「暴れないで、落とすといけない」
すぐ近くに彼の顔がある。驚きと緊張と恥ずかしさで顔に熱が集まるのがわかった。それを隠すように俯くと、何事もなかったようにアルベルトが動き出した。安定した動きに落とされる心配はなさそうだ。
「重くないですか」
「これくらい軽い方だよ」
誰も見ていないのはわかっていても恥ずかしい。
初めての経験に、この時ばかりはドレスの汚れのことなど気にしている暇はなかった。




