綺麗な机の上
久しぶりの仕事に、気合を入れて自分の机に向かったはずなのだが、机の上には僅かな書類しか置かれていないことにアルベルトは首を捻っていた。
数日休めば山のように高く積まれた書類整理で1日が終わると思っていたのだが、予想と違う光景に不思議な気分になる。
「おかしい」
どうしてこんなに綺麗なのだろう。
机が見えていること自体が異常な気がして、周りを見てみるとなぜか誰も目を合わせようとしなかった。
「リックス」
話しかけないでほしいという雰囲気を感じ取って、副隊長に声をかけることにした。
「はい」
「今日の書類仕事は?」
普段でさえ書類で埋もれた机なのに、なぜ今日に限って書類が置かれていないのか。言葉が少ないながらもリックスには伝わったようだ。
「そこに置かれている分だけです。そちらは隊長のサインが必ず必要な書類になりますから」
「他は?」
「各自手分けして整理しました。隊長でなくても大丈夫だと判断したものはすべて私のサインで通しました」
「それにしても少ないだろう」
「書類を届けに来た者には、隊長が数日休んでいることを伝えて、急ぎでないのはすべて後日の提出をお願いしています」
色々とリックスが対応した上の結果が、机の上に現れていたらしい。
「・・・すごいな」
普段からこれくらいの書類の量ならどれだけ楽なことだろう。
それだけ無駄にアルベルトのところに書類が回ってきているともいえるのではないだろうか。
そんなことを考えながら、書類に目を通していく。サインをしていくとリュックが近づいてきて、片付いた書類の束を受け取っていく。最年少の彼は了承積みの書類を届けに来た部署に配りに行くのが仕事だ。
すべての書類にサインが終わると、もう一度部屋の中を見渡した。誰も目を合わせようとしない。普段なら誰かの話声が聞こえてくるはずなのに、無言の部屋と化している。
「随分静かだな」
静かすぎる部屋にアルベルトの声はしっかりと響いた。
「隊長」
静かな部屋にリックスの声が響く。
「どうした?」
「部下たちは隊長が負傷したことを聞いて、ショックを受けています」
アルベルトだって人間だ。魔物討伐で怪我をする可能性だって十分にある。怪我をしたくらいでショックを受けているようでは騎士など務まらない。首を傾げると、リックスは部屋にいる黒騎士たちを見渡してから口を開いた。
「ドラゴン相手に怪我をしたうえ、魔気による浸食があったと報告されました」
「怪我も魔気も浄化師が対応してくれた」
同行した浄化師は怪我を治せても、浄化は完全にできなかった。別の浄化師が来たことは他の黒騎士には伝えられていない。あれは魔術師団の切り札的存在だ。
「無事に戻って来たことは奇跡に近いと思っています。相手はドラゴンですから」
今後ドラゴンに遭遇する可能性は非常に低いだろう。彼らは本来人と交わる環境にいないのだ。神聖な生き物ということもあり、ドラゴンが棲む場所に人間は近づかない。今回は魔気が影響して姿を見せただけだが、まったく会うことがないかというと、確約はできない。
アルベルトは息をついてから部屋を見渡した。
「ドラゴンの恐怖にしり込みしているというわけか。部署移動の申請をしたいならいつでも受け付けるから、各自よく考えて今後の対応をするといい」
黒騎士は最前線で戦う部隊だ。他の騎士よりも圧倒的に危険度が高い。それでも自分たちの剣の腕と魔法を信じて戦う。そこに不安を抱えていてはいつか大怪我をすることになる。心が揺れたままの黒騎士では遠征には連れて行けない。
剣の腕は確かな者たちだ。黒騎士をやめても他の部隊で騎士としてやっていくことはできる。申請書類が来たのなら、団長と話し合う必要はあるだろうが。
今後を考えていると、いきなりミライヤが立ち上がってアルベルトの前までずかずかと歩いてきた。彼女は目の前で庇われた上に、ドラゴンに噛まれたアルベルトを目撃している。ショックを一番受けている分、やめたいと言い出す可能性が大きい。
「わ、私はやめませんから」
机に両手をついて体を前に突き出しながら訴えてきた内容に、椅子に座ったままのアルベルトはのけ反った。
「庇ってもらった上に黒騎士をやめるなんて、逃げるのと一緒です。私は次があるなら、今度は庇われることのないように対応できる黒騎士になりたいです」
「自分も、何もできなかったことを反省しています。同じことを繰り返す真似はしたくありません」
アクトの声に視線を向けると、彼がまっすぐにこちらを見ていた。
「・・・いい部下を持ちましたね」
リックスの落ち着いた声が響く。それと同時に他の黒騎士たちが一斉に立ち上がって胸に手を当てた。
この様子だと、誰も黒騎士をやめるつもりはなさそうだ。
「隊長が負傷したときは、皆動揺しましたが、黒騎士をやめようと思った者はいません。今は隊長が普段通りの姿を見せてくれたことに安心しているのです」
部屋の静けさは不安と安心が混ざった複雑な心境が生み出していた結果だったらしい。
「そうか、それならいいんだ」
詰め寄っていたミライヤを押し戻すと、残っていた書類をすべてリックスに渡した。
「サインはしてあるから、後の処理を頼む。俺は少し行くところがある」
「わかりました」
書類を受け取った彼もどこか安心した表情のように見えた。自分が心配をさせたのだなと思い心の中だけで苦笑すると、そのまま部屋を出た。
今日は書類整理だけしてどうしても行きたい場所があった。思った以上に早く終わったので、すぐにそちらに向かうことにする。
「約束はしていないけれど、おそらくいるだろう」
休んでいる間いろいろと悩んだが、結局どうしても確かめたくなった。
どんな答えが返ってくるのかわからないが、覚悟を決めてアルベルトは歩き出した。




