第23話 リアの心配、レーゲンの不安
毎晩部屋に遊びに来るアルトゥールの訪室がなくなって数日が経った。
彼はいつもベランダからやってくる。リアが以前使用していた部屋のベランダから一階下の今リアがいるこの部屋までふわりと浮いて訪室する。
月光を背に宙に浮く彼は、子供の頃に読んだおとぎ話に出てくる人物の様で最初は驚きこそ強かったが同時にドキドキと胸が高鳴ったのを覚えている。毎晩の逢瀬は悪いことをしているようで楽しかった。
話の内容は主にシャルロッテのことだ。彼は儀式について情報収集をしているようであったが、大した情報源にはなってあげられなかった。いずれリアが生贄になるはずであった儀式の内容をほとんど知らされずに生きてきた。
生贄になる恐怖を和らげるためだろうか。果たしてそれがメンタルにとって良いことだったのか今では分からない。リアはリアなりに生贄になる覚悟を決めていたはずだったが、アルトゥールが身代わりになるという予定に変更されてからは自分の行く末が不明になってしまった。それでも儀式の詳細が説明されることもないまま日々は過ぎて行った。
アルトゥールが最後に訪室した晩のことを思い出す。
彼の様子が少しおかしかった。
いつも通りふわりとベランダの柵に降り立つのだろうと思っていたが、その日の彼は落ちてきた。
恐らく上階のベランダの柵を乗り越え、人間が重力に従って落下するように落ちてきた。かろうじてこの部屋のベランダの柵に掴まり落下を防いだようだった。
彼は足を滑らせたと言っていたが、ただ足を滑らせただけの事故にはどうしても見えなかった。
アルトゥールはその後いつもと同じような態度でいつもと同じように話をしていたが、ベランダの柵にぶら下がる彼は本気で焦っているように見えたし、ベランダに這い上がった後も混乱を隠しきれていないようだった。
いつも飄々とした態度の彼が冷や汗をかいているのをその時初めて見た。
その後、アルトゥールの訪室がなくなった。
リアは毎晩アルトゥールと話す中で彼の人となりを観察しようと努めた。
自分の大事な侍女が自分の為に契約した相手。いずれシャルロッテはアルトゥールに仕えるのだろう。リアはシャルロッテの幸せを心から祈っている。どうか、アルトゥールが酷い人でありませんように。シャルロッテが不幸に墜ちていきませんように。そう願いながらアルトゥールと接していた。
悪魔と聞いた当初はもっと残忍で怖い、酷いことをいくらでもできてしまうような人物を想像していた。
しかし、実際に話してみるとアルトゥールは人好きのする印象を受ける。笑顔も多く聞き上手で話していると楽しい。シャルロッテのことを大事に思ってくれているようにも思う。
きっとリアがアルトゥールをそういう風に観察していることはバレているだろう。だが、アルトゥールからリアのそういう視線について話題に出すことはしなかった。分かっていて、あえて触れないでいてくれたように思う。
逢瀬を重ね話すうちに、リアはアルトゥールのことを友人のように思っていた。なので、落ちてきた彼のことを、その後訪室のなくなった彼のことを純粋に心配していた。
日中シャルロッテと話す機会はいくらでもあるが、アルトゥールについて話すのは他の侍女が居ないタイミングにしたい。
「では姫様、おやすみなさい」
寝支度を整え、あとはベッドに潜るだけになったリアにシャルロッテが一日の終わりの挨拶をする。
「ねえシャル、聞いてもいいかしら」
リアとシャルロッテしかいない部屋。リアは思い切ってシャルロッテに声をかけた。
「はい、いかがされましたか」
扉に半身を向けていたシャルロッテがにこりと笑顔を携えて身体の向きを変えるとリアに歩み寄る。
「実はね、私、アルと毎晩会っていたの」
「えっ」
そういうと、シャルロッテは驚きを素直に表情にのせた。
「アルはこの部屋のちょうど真上の部屋、私が使っていた部屋にいるでしょう。ベランダから毎晩、彼がこの部屋を訪れて、おしゃべりして帰っていくのが最近の日課だったの。でも、最近彼の姿を見なくなって。彼がこの部屋に来なくなる前に、彼、ベランダから落ちそうになったの。彼は何でもない風を装っていたけど、どうしても気になって。彼は今どうしているのかなって。シャルなら分かるでしょう」
そこまで言うと、リアはシャルロッテを窺うように視線を向けた。
シャルロッテの表情からいつの間にか笑顔が消えていた。
「そうだったのですね…アルの現状をお伝えするなら、元気とは言えません。ロザがつけた枷は悪魔の力を封じる力があるそうで、今は体調がとても悪そうです。ご飯もほとんど食べていないし、ベッドから起き上がるにも辛そうにしています」
「そうだったの」
「あの枷は弱い悪魔だったら付けられた瞬間外さない限り昏睡するほどの物らしいです。しかし、アルは強い悪魔だそうで付けられた後も意識を取り戻し動くこともできたそうです。ですが、枷の拘束力はその後もアルの力を奪い続けているそうで」
だから、最後の訪室の晩アルトゥールは宙に浮くことができなくなったのか。枷の拘束による力の低下はアルトゥールにとって予想外だったのではないか、リアはそう考える。落ちた瞬間のアルトゥールの表情を思い出し不安になる。
「アルはこのまま生贄の身代わりになるのかしら」
「ロザの予定だとそうなりますね」
「シャルは、アルのこと心配してる?」
リアがそういうとシャルロッテが困ったように笑った。
「はい。実はすごく心配です」
リアがシャルロッテに笑いかける。
「実は私も。最初は、シャルが契約した悪魔さんはどんな人なのかな、シャルが虐められないかなって思いながらアルと話してたの。でもいつの間にかアルを友人のように思っている私がいる。レーゲンに面倒を見てもらってることや、食事にキノコが出て嫌だって話とか聞かせてもらって。私もシャルの話いろいろしちゃった」
「そんな!恥ずかしいじゃないですか」
シャルロッテが顔を赤くして少しむくれる。その反応を受けリアがさらに笑った。そして、眉を下げる。
「アル、大丈夫かな」
「この後、アルの部屋に行くつもりです。姫様が心配してたと伝えますね」
「ええ、またアルの様子聞かせてちょうだい」
「はい」
「シャルと、アルの話ができて良かったわ」
「私もです。おやすみなさい」
お互いの胸に不安は燻ぶったまま、それでも少しだけ胸が軽くなる。リア自身がアルトゥールの部屋を訪室できたら良いのだけど万が一見つかっては大事になりかねない。でもこれで、シャルロッテからアルトゥールの様子を聞きやすくなった。
儀式までもう一週間もない。
アルトゥールが魔力のことをシャルロッテに伝えてから数日後、枷の拘束はさらに強くなりアルトゥールはほとんど意識を保っていられなくなっていた。自分の力で身体を動かすことすら困難になり一日のほとんどを眠って過ごしていた。
アルトゥールが食事を全くとらなくなってから、レーゲンも食事を運ぶのをやめた。人形のように静かに一日寝ている者の世話係は、仕事がなくなっていた。その為、無駄にアルトゥールの部屋の掃除に励んでしまっていた。
その間も儀式の準備は順調に進んでおり、ロザはここ数日特に忙しそうだ。
シャルロッテも毎日アルトゥールに会いに来てはいるが、眠るアルトゥールの様子を数十分見ては部屋を出ることの繰り返しだった。本来ならば生贄とされる第一皇女様の準備で忙しいはずが、今や第一皇女様はアルトゥールが生贄としてうまくいかなかった時の保険であるため想像していたよりも忙殺されることはなかったようだった。
レーゲン自身にも儀式に参列する知らせが届いたが、正装の準備や儀式の流れを確認するだけだった。儀式で特にやることはないらしい。生贄の世話係だったのになんだか納得がいかない気もしていた。
儀式には王宮内外から多くの参列者がいるようだが、生贄の身代わりを悪魔にさせることはごく一部の人間しか知らないらしい。多くの人は予定通り第一皇女様が生贄となると思って参列することになる。これは、混乱を避けることが理由だそうだが。
「おい、アル、起きろよ。お前このままじゃマジで生贄にされちまうぞ」
掃除道具を握りしめながら眠るアルトゥールに話しかける。返事はない。目が開くこともない。よく笑うやつがこうなると静かでたまらなかった。もともとにぎやかな空間が特別好きというわけではなかった。アルトゥールの印象はうるさい奴だなって思っていたくらいだ。胡散臭いとも思っていた。でも、アルトゥールとシャルロッテと三人で話す時間は楽しかった。
このまま、儀式当日を迎えるのか。
誰に相談できるわけでもない、漠然とした不安が頭を占める。生贄の世話係を言われたときからわかっていたことだ。予定調和だ。シャルロッテの大切な第一皇女様は助かる。なのにどこか納得がいかない。
お前はそれでいいのか、アル。お前強い悪魔なんだろ。このまま生贄にされるのか。
返事はない。
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