第21話 魔力
最初に枷をつけられたときにほとんどの魔力は封じられ、空中浮遊しかできない身体になってしまっていた。
しかし、枷はその後も時間をかけて拘束を強めていた。なまっていただけかと思っていた身体の重さや人の気配に対する鈍さは魔力の低下によるものだった。そして唯一残った空中浮遊すらできないほど、魔力は低下していた。それがバルコニー落下事件によってようやく気付いたことだった。
初めて胃の浮く感覚を味わったあの日から数日後、アルトゥールは部屋から出ることができなくなっていた。
それどころか、ベッドから起き上がることも難しくなっていた。魔力の低下はさらに進み、部屋の中でさえ動き回ることができなくなった。毎日編んでいた髪も今は編むことが億劫になり解いたままでいる。
せっかくシャルロッテに借りた髪留めはサイドテーブルに置きっぱなしになっていた。
しかし、動けるときにできそうな情報収集はあらかた終え、ついでにリアやアリスとのコミュニケーションまで楽しめた。
次にすることは、いよいよ邪神に会うことだ。
「ロザ、今少しお時間いいですか」
シャルロッテは仕事の合間に、ロザに声をかけていた。従業員共同の休憩室には今ロザとシャルロッテの二人しかいない。今まで同郷ということもあってロザに積極的に声をかけていたのだが、アルトゥールと契約後は気まずさを感じ、声をかけられずにいた。もっとも、契約以前も声をかけてはあしらわれていたのだが。
「なに」
ロザが顔を上げずに返事をする。無視されることはなかった。そのことに安堵しながら話を続ける。
「アルが、私が契約した悪魔が、具合悪そうなの。何か知らない?」
シャルロッテの質問にようやくロザが顔を上げる。眉をしかめたまま、口元は笑っていた。
「やっと?ずいぶん時間がかかったのね。具合悪いって今どういう状態なの」
ロザの返答の前半部分の意味が分からないが、アルトゥールの容態を報告する。
「最初は元気だったのに、今はベッドから起き上がれないくらいに弱っている。食欲もないみたいで、最近はご飯をほとんど食べていないの」
ロザは持っていた資料に再び目を落としながら話を続けた。
「悪魔は人間ほど食事を必要としないから心配しなくて大丈夫よ。エネルギーの摂取というより娯楽という意味合いの方が強いから。でも、その言い方だと意識はまだあるみたいね」
再びロザが資料から顔を上げシャルロッテを見据える。笑みは消え、シャルロッテの瞳をしっかりと睨みつけていた。
「で、何?自分と契約した悪魔はすごい悪魔だって、わざわざ私に自慢でもしに来たわけ?」
表情と同様厳しい声が飛ぶ。
「どういうこと?」
ロザの言っている意味が分からずシャルロッテは混乱しながら質問で返す。
「私がつけたあの拘束具は悪魔の力を封じるものなの。あなたがもっと弱い悪魔と契約していたのならつけた瞬間に悪魔は意識を手放し、外さない限り昏睡したままのはずよ」
「アルが強い悪魔だから今まで動けていたってこと?」
ロザの口元に再び皮肉に歪んだ笑みが浮かぶ。
「そういうこと。すごいわね、あんなのと契約できるなんて。愚かであることには変わりないけれど」
シャルロッテにはロザがさっきからなぜ怒っているのか、自嘲的な表情を浮かべているのか分からなかった。
王宮魔術師であるロザにとって悪魔は忌むべきものであるし、その悪魔と契約したシャルロッテに敵意を向けることも分かっていた。質問に対して快く回答してもらえるとも思っていない。だが、ロザが今シャルロッテに向けているこの感情は、シャルロッテがアルトゥールと契約するよりも前から持っていたものではないか。そして、契約によってその感情が大きくなってしまったのではないか。
シャルロッテがどう、言葉を紡ごうかと逡巡していると、ロザが突然立ち上がる。
「そうやって、何も知らないくせに、いい子ぶっているくせに、私のことを馬鹿にして!」
ロザは叫ぶと休憩室から飛び出していった。
シャルロッテは叫ぶロザの瞳に涙が浮かんでいたのを見た。
「ロザ!」
呼び止めようとは思ったがロザはそのまま部屋を出て行ったきりだ。追いかけたい気もしたが、彼女に何て声をかけて良いかも分からない。
何故ロザは激昂したのか、その理由が分からないまま追いかけるのも浅慮な気がした。
結果暫く休憩室に一人立ちすくんだままでいた。
結局ロザへの質問で分かったことはアルトゥールの強さと、食事を摂らなくても人間よりかは大丈夫である、ということだけだった。しかし、ロザの自分に対する気持ち、自分のなにが彼女をそこまで追いつめているのか、疑問が増える。
シャルロッテはその晩に仕事を終えるとアルトゥールの部屋を訪問した。
部屋の中ではレーゲンとアルトゥールが話していた。
「最近食い物が入らないみたいだな」
「ごめんね、残しちゃって」
「どこか悪いのか」
「ううん、そんなことないよ」
どうやらレーゲンもアルトゥールの体調を心配しているらしい。アルトゥールは以前と変わらない調子で話しているけれど、身体を動かすたびに倦怠感を滲ませていた。
「アル、少し話いいですか」
アルトゥールがシャルロッテの訪室にここでやっと気が付いた。レーゲンが「席を外そうか」と声をかけてくれたが、ここにいてもらうことにした。余った椅子をベッドサイドまで持ってくる。
「どうした?シャル」
落ち込んだ様子のシャルロッテにアルトゥールが笑顔のまま聞いた。弱った身体でも表情で自分を気遣ってくれているのがわかる。
「今日、ロザに、アルが具合悪そうだけど何か知らないかって聞いてみたんです」
それだけ言うとアルトゥールが納得したように茶化しを交えながら答えた。
「あー、いじめられちゃった?」
シャルロッテは首を横に振ると、今日のロザとの出来事をなるべく細かく話した。
シャルロッテが疑問に思っていることも、自分の思考を整理するように話した。ロザが自分に向けている敵意のようなものは王宮で働き始めたころからではないかと考えていること、王宮で働く以前は同郷ではあるが接する機会はあまりなかったのに、何故彼女との関係性がこうなってしまったのか、今日の質問で何が彼女を激昂させてしまったのか、それらの疑問をなるべくありのままに、アルトゥールとレーゲンに話す。
「俺はここに来たばかりだし、ロザちゃんと話したこともないからさ、あくまで俺の予想なんだけどね」
相槌を打ちながら静かにシャルロッテの話を聞いていたアルトゥールは話が終わるとそう前置きをして口を開いた。
「俺ね、悪魔の中でも爵位持ちの結構強い悪魔なんだよね。自分で言うのも恥ずかしいけどさ。で、爵位持ちの悪魔になってくると契約する人間の魔力もそれなりに必要になってくる。悪魔の方がえり好みするからね」
シャルロッテとレーゲンの瞳に緊張の色がうつる。
そういえば、ここに至るまでアルトゥールは自身の話をあまり話していない。
「俺がシャルに、聖域である教会に乗り込んでまで声をかけたのは、シャルの魔力の強さ故だ。シャル、君はロザよりも強い魔力の持ち主なんだよ」
「えっ」
シャルロッテが小さく声をこぼす。目は驚愕で大きく見開かれていた。
レーゲンは弾かれた様にシャルに視線を向ける。
「まあ、姫さん…リアほどではないけどね。代々生贄に魔力の高さゆえに選ばれるのにはちゃんと理由があるんだね。でも、シャルの魔力の高さはそこら辺の人はおろかこの国に仕えるどの王宮魔術師よりも高い。ロザは、シャルと一緒に王宮に奉公に来て気が付いたんじゃないかな、君の魔力に。幼いころから王宮魔術師になるべく勉強してきたロザなら、人の魔力の強さがわかるはずだ。出会った当初に聞いたシャルとロザの採用された境遇に加え、魔力の件も加えたら、ロザがシャルに妬みの感情を抱くのは無理がないと思うな」
今まで魔術とは無縁の人生だった。自分に魔力があるなんて思ってもみなかったし想像したこともない。話を聞く限り、両親や祖父母も魔術に関係した事はないはずだ。
全てが腑に落ちた。王宮に来てから彼女にあしらわれていた理由、拘束具のことで相談した際の彼女の自嘲的な表情、激昂、涙。敵意に似たあの感情は妬みだったのだ。それらを踏まえ振り返ると、自分の無意識な行動は自分が思っているよりもずっと、彼女を傷つけてきたのだろう。
「私、何も知らないで、ロザを、傷つけてきてしまった」
無知は罪なり。昔読んだ本に出てきた言葉を思い出す。
シャルロッテはアルトゥールと目を合わせたまま、肩を震わせた。頬を伝った涙は顎まで流れ落ち、スカートの上のエプロンに滴り落ちてシミを作っていく。
「ロザも言えないはずだな。あいつプライド高いし」
レーゲンが呟く。
アルトゥールは魔力のことについてシャルロッテに伝えるか悩んでいた。その結果、伝えるタイミングでシャルロッテを泣かせてしまったことを少し反省した。
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