第8章 訪れるもの
第8章 訪れるもの
次の日の夜。
帰宅後すぐ、森本先輩からの電話があった。
『三好さんのこと、聞いたよ』
電話越しの声は、ひどく掠れていた。
『親父に確かめたんだ。三好夫妻は……五日ほど前に、海外旅行先で死んでた。小型飛行機で、二人揃って……湊谷くん、あの帳面は本物だ』
呼吸が浅くなった。
順番の入れ違いはなかった。
夫妻が生きていれば、この状況を回避する手がかりになるかもしれないと、わずかに期待していた。
曖昧だった順番が、静かにつながっていく。
——近づいてくる。
「本田さんには……本田さんには、連絡したんですか?」
『ああ。だが、つながらない。何度もかけてるんだが、出ないんだ』
『……俺、明日、彼の家に行ってくる。調べたら、ここから近かったんだ』
それが、森本先輩と交わした『まともな』最後の会話になった。
*
翌日、電話越しに聞いた森本先輩の様子が気になり、何度も発信を繰り返したが、ついにつながらなかった。
明日、森本先輩の職場を訪ねることにした。
次の日の午前中、適当な理由をつけて、会社を抜け出した。
彼の会社の前で、不意に再会できた時のことを思い出した。
明るく笑う顔で、『どうした?』なんて出迎えてくれることを、期待した。
「……あの、森本さんをお願いできますか」
「……ああ、彼。今日来てないんだよ、彼の知り合いだったね」
「はい、お休みですか?」
「連絡が取れないんだよ。無断欠勤とかするやつじゃないのに……。何か聞いてる?」
「……いいえ」
歯切れの悪い返事をしてしまった。
「同郷なんです。彼の住所、教えてもらえませんか」
胸騒ぎどころではない。
血の気が引く、というより、身体の内側が急速に冷えていく感覚に襲われながら、俺は先輩のマンションへと向かった。
*
「森本さん! いるんですか! 森本さん!」
ドアを叩き、インターホンを連打した。
数分後、ガチャリと重い音がして、チェーンロックがかかったままドアが数センチだけ開いた。
「……帰ってくれ」
隙間から覗く顔に、戦慄した。
昨日までの快活な面影はなかった。脂汗で張り付いた髪、落ち窪んだ眼窩。
「森本さん、何かあったんですか? 話を聞かせてください!」
「やめてくれ! ……出たくないんだ。……あいつが、あいつが待ってるんだ」
「あいつって誰です、本田さんですか?」
「……本田? ああ、死んでたよ。奥さんに聞いた。心臓発作だってさ」
「次は俺だ。絶対に来る……」
バタン、と扉が閉まった。内側から幾重にも鍵をかける音が響いた。
一度は引き下がった。
——あいつが来るって、順番が来るってことなのか?
森本先輩の様子は普通じゃなかった。
警察に話して、保護してもらうことができるのか。
一緒にいた方がいいのか。
——どうすればいい!
*
仕事に戻ったが、何も手につかなかった。
早々に切り上げ、森本先輩のマンションに行くことにした。
向かう途中に、着信が入った。
『……なあ、湊谷くん。聞こえるか?』
「森本さん、大丈夫ですか?」
『……さっきは、悪かったな』
声は、先ほどとは打って変わって、奇妙に落ち着いていた。
「今から行きます、待っていてください」
『無駄だよ。順番なんだよ。変えられないんだ』
「何か方法が……」
『次は俺だ。……その次は君だな、湊谷くん』
「待ってください。順番なら——」
『あいつは……』
唐突に、通話が切れた。スピーカーの向こうから、冷淡な電子音だけが虚しく響いた。
感情の削げ落ちた、ひどく静かな声だった。
俺は急いで彼のところへ向かった。
*
たどり着いた時、赤色灯が薄暗いマンションのエントランスを照らしていた。
「……入っちゃダメだ! 下がって!」
警官に制止され、足が止まった。
運び出されていくストレッチャーの上に、布を被せられた遺体が見えた。
「部屋の住人が死亡。頭部損傷……転倒による強打と見られる……」
警官たちの会話が、遠くのノイズのように聞こえた。
マンションを見上げた。彼の部屋がある4階の通路に人が集まっていた。
一瞬、遺体の顔を覆う布が、風でめくれた。
顔ははっきり見えなかったが、今朝見た服装や髪型で森本先輩だと分かった。
そのこめかみに、青紫色の不自然なU字型の痕があった。
*
——紗和。
震える手でスマートフォンを取り出し、紗和の番号を探した。
森本先輩の最期の言葉が、張り付いて離れない。
『あいつは……』
名簿の順番なら、俺の前には紗和がいる。
彼女に連絡しなければ……。




