第5章 沈まない祠
第5章 沈まない祠
「正則のところのボウズかい」
奥に通された俺たちを迎えてくれたのは、あの老婆だった。
『正則』は父の名前だ。
「先日はありがとうございました」
「真一くんだったかい? そんなことを言いに来たんじゃないじゃろ」
この老婆も何か察している様子だった。
「集落にいた、『三好夫妻』と連絡を取りたいのですが」
「伝えてどうする」
言葉が出なかった。
先輩にも何も言えなかった俺が、夫妻にどう話すつもりだ。
黙り込む俺に、老婆は話を続けた。
「……龍神様がお前たち産子を守れなくなったのかもな」
「『うぶこ』? 『うじこ』じゃないのか?」
「氏子なら、俺の母もあの神社の氏子だぞ」
「あの神社に祀られてるのは氏神様だけじゃ」
「じゃあ、どこに……」
そう言いかけて、頭の中で、ばらばらだった言葉がつながっていく。
『産土神』『うぶこ』そして……『あの祠』。
「婆さんも、あの祠を知っているのか?」
「わしゃ、ここに嫁いで来たもんじゃ。聞いた話だけじゃ」
老婆は話を続けた。
「水底の神社より古くからあったんじゃ。何度も水害や干ばつからこの村を守ってきたらしい」
「あの祠は、大雨で土をさらわれ、流されかけとった。そのたびに村人が柱を継ぎ足し、そりゃあ高くなっておった」
ある光景が浮かんだ。俺の夢に出てくるあの祠の姿だった。
「俺が幼い時に見た祠は、それじゃなかったぞ」
「お前、あれを見たのか? あれは土砂崩れで柱が埋まった後じゃ」
「その後も土砂崩れが続いて、あの祠に行く道は閉ざされた」
「村のもんは、もう流されてなくなったと思っとったわ」
「どうしたら止まるんだ」
「ご神体は、もう水の底じゃ」
老婆はそれ以上、『何が沈んだのか』を言わなかった。
帰り際、老婆は紙に包んだお札を持たせてくれた。
「真一くん、……きばれよ」
別れて、車に戻った。
紙の中には、お札が一枚入っていた。このお札に、何の効果があるか分からない。
俺は、そっと紗和に差し出した。
「紗和が持ってろ」
彼女は首を振り、俺の手を押し返した。
「……真一が、持っていて」
そう言った彼女の声は、初めて少しだけ弱かった。
結局、三好夫妻の所在は分からなかった。
行く当てもなく、気づけば、車はまたダム湖へ向かっていた。
*
ダムサイト公園で、ベンチに座り、芝生で遊ぶ家族を眺めた。
紗和もそれを微笑ましく見ていた。
「……俺たちに、あんな未来は来ないのか」
そんな言葉が勝手に出ていた。
「真一、諦めないで」
「そうだな、何か止める方法があるかもしれない」
「もう一度神社に行こう」
立ち上がり、紗和を見た。
彼女も小さく頷いた。
*
神社に着いたが、人の気配はなかった。
社務所を覗いたが、留守のようだった。
境内を見渡すと、よくある境内案内図の横に、厄年表や誘導看板があった。
その横に、『御由緒』と書かれた看板を見つけた。
神社の歴史やご利益などが記されている。
土地の謂れに『龍神』の言葉を見つけた。
老婆が言っていた内容と合っている。
龍神への祭りと、供物についても記されていた。
「餅を捧げていたのか」
「そう、動物や魚の形でね。昔は生きた牛や馬や鶏も捧げられていたの」
紗和の声が響いた。
「じゃあこの人形って……」
俺は看板に書かれた文字を指さす。
「人間の代わりよ」
紗和は、当たり前のことみたいに言った。
「神様なのに肉を食うのか」
背後から、作務衣の男の声が俺の質問に答えた。
「それは、仏教の『殺生禁断』だな。神は肉を食わないという発想は仏教由来のものだ……また来たのか?」
「すみません、もう一度あの産子名簿を見せてもらえませんか」
男は頷き、社務所に招いた。
「気になってるのか」
そう言って帳面を机の上に置いてくれた。
男の声は、湿り気を帯びた境内の空気によく馴染んでいた。
彼は何を知っていて、何を黙認しているのか。
「……ええ、まあ」
男も『何に』とは言わなかった。
俺の返事も曖昧なものだったが、それを分かっているようだった。




