第2章 順番の定義
第2章 順番の定義
記憶の糸を手繰り寄せても、この端正な顔立ちに結びつく名前が出てこなかった。
「わたしの家はこの地を離れちゃったから」
移転を余儀なくされた集落の者たちは、国が用意した土地に移り住んでいる。
しかし、この地を離れた家族も多い。
少し困惑した俺の表情を察したのか、彼女は続けた。
「高校は別になったからね」
その言葉を聞いた瞬間に、反射的に声が漏れた。
「あっ……」
「やっと、思い出した?」
ひとつ年上の紗和だった。
ダム建設が決まり、集落の学校が消えた年。
隣町の校舎へ通うようになって、紗和とも離れた。
それまでは、小中と同じ校舎に彼女はいた。
生徒の数は少なかった。
複式学級だったので、彼女とは同級生のような間柄だった。
「すごく変わっていて、分からなかったよ」
「……10年も経つからね」
「思い出してくれて良かった。お父様のこと、本当に残念だったわね……」
彼女はそう言って、深く、優雅に頭を下げた。
その仕草は完璧すぎて、周りのくたびれた喪服姿の人々の中で、彼女だけが浮き上がって見えた。
「今、どこに住んでるんだ?」
「隣の県よ。あれから誰にも会ってなくて、ここに戻ったのも『あの時』以来」
「遠いところ、ありがとう。俺も今は、ここを離れて街のほうに住んでるよ」
当時の面影は、都会の暮らしに洗い流されたかのようだった。
洗練されたその姿は、俺が憧れ続けた姿そのものだったが、どんなに外側を着飾っても、言葉を変えても、垢抜けない自分との差は埋められなかった。
その所作は周囲から浮いて見えるのに、誰も彼女を不審がらなかった。
紗和は自然と周りに溶け込み、喪主である母を手伝っていた。
彼女の人柄なのか、親戚と混じり、火葬場まで来てくれた。
*
葬儀が終わり実家に戻る。
紗和がふと、『あの話題』に触れた。
「順番なら、わたしの方が真一くんより先ね」
「抜かされている人も多いよ」
「年齢だけじゃないんじゃない?」
「……えっ」
「だって、神主さんから始まったのだとしたら、あそこのお婆さんや、あのおばさんも」
「……そうだね」
不謹慎な話題だったが、その話が妙に引っかかった。
「女性が残る方が、多いみたいね」
「どっちにしても、俺たちの順番が来るのはまだまだ先だな」
俺は冗談めかして言った。
彼女は何も言わずに少しだけ笑った。
*
「車で駅まで送るよ」
「大丈夫。しばらく、こっちにいるから」
「また会えるといいな」
そう言って別れたが、連絡先を聞けなかったことを、後悔していた。
仕事のことや暮らしぶり、なにより彼女が既婚者なのかが、気になった。
俺も今夜は実家に泊まる。
——また、会えるかもしれない。
そんな期待をしている自分に気づいた。
*
次の日、父の残りの手続きを母とこなしていた。
母に紗和のことを尋ねた。
母は彼女を葬儀社の人と勘違いしているのか、話がかみ合わないまま、俺は町の銀行に行くことになった。
腰の重い俺を、母は追い立てるようにして送り出した。
玄関の扉を開けた時、目に入ったのは、昨日の喪服姿とは違う、初夏の眩しい太陽の光の下、涼しげな白いカーディガンを羽織った彼女の姿だった。
「……紗和」
「こんにちは、会えたね」
そう微笑む彼女。
会いに来てくれたのか、偶然なのか、どちらにしろ嬉しいのは確かだった。
「ごめん、つい呼び捨てにしてしまったよ」
「全然、いいよ。真一」
当時もそう呼び合っていたのか、記憶はなかったが、悪い気はしなかった。
「……今から、銀行に行くんだけど」
「一緒にいいかな? 帰りに少し寄ってほしいところがあるんだけど」
「もちろん、いいよ」
車に乗り込み、町に向かった。
「どこに行きたいんだ?」
「……集落のあった場所」
紗和は、『ダム』とは言わなかった。
『集落』という言葉だけが、10年前に置き去りにされたままのようだった。




