第1章 静かなる連鎖
第1章 静かなる連鎖
音のない、暗い世界。
細い木の柱が、見上げるほど高くそびえている。
その頂に、それはある。
古びた小さな祠。
まるで天界へと至るような長い階段が、そこへ続いている。
一段ずつ、重たい空気の中を登る。
顔を上げれば、波打った空に月が滲む。
その光の中にひとつの影が立っている。
逆光に溶けて表情までは見えない。
けれど、その姿は凛として美しい。
目を覚ますと、見慣れた部屋の天井が見えた。
何度も夢に見ながら、訪れた覚えのない場所だった。
だが、あの祠だけは、記憶の澱に触れるような奇妙な感覚があった。
*
会社の昼休み。
「なあ、湊谷。聞いたか? また出たらしいぞ」
小さな社員食堂で、同僚が日替わり定食を箸でつつきながら声をひそめた。
「……また、その話か」
俺自身は、都市伝説やオカルト話が好きなわけでもなかった。
しかし、話題の場所は、俺が16歳まで暮らしていた集落の跡だった。今はダムの底に沈んでいる。
そのダムサイトを囲う新しい道路の話だった。
「今度は……走ってバイクを追いかけてくる男だってさ」
「この前は、トンネルの中の悲鳴だったろ?」
「そうなんだよ。人間とも獣とも言えない声だったそうだ」
そんな噂話が、絶えない場所だった。
「タイヤが鳴く音じゃないのか?」
「違うよ、あそこは直線だし。それに、あの近くの神社の神主さん、亡くなったって話だぞ」
「……結構な歳だしな」
村の外れにあった小さな神社は、近隣の神社に合祀されていた。
「湊谷、お前、詳しいな」
「俺、あそこの氏子だったしな」
昼間は、湖を眺めて自然を感じられる公園があり、家族連れや、紅葉の季節には観光客で賑わう。
しかし、夜のダムサイト……無機質なコンクリートやオレンジの照明、それを囲む道路。
人けのないあの場所は、町の人々の退屈な生活の中で、格好のネタにされている。
もう、湖の底とはいえ、生まれ育った場所が心霊スポット扱いされるのは、いい気はしなかった。
神主には、村を出るときに両親と挨拶に行ったきり、もう10年近く会っていなかった。
*
それから、数か月のうちに父方の叔母と叔父が亡くなった。
その後を追うように、父も病院で息を引き取った。
ほんの数か月の間の出来事だった。
*
父の葬儀の日。
焼香を終えた後の、どこか重苦しく、それでいて妙に饒舌な席。
近隣の住人の会話から漏れ聞こえるのは、故人を偲ぶ言葉よりも、薄氷を踏むような恐怖のすり合わせだった。
「……湊谷さんのところも、59歳か。まだ早すぎる。その前は、63歳の人だったろ?」
「ああ。少し前には、68歳の人も。まるで、誰かが順に呼びに来てるみたいで……」
年齢の高い順に、命の灯が消えていく。
そんな『お迎え』の列ができているのだという俗説。
だが、俺は彼らの話を冷ややかに聞いていた。
——矛盾している。
目の前で酒を飲み、不安そうに顔を寄せ合っている近所の人たちは、明らかに父より年上だ。
叔父の奥さんも、叔母の旦那さんも、存命の者たちは皆、父よりは上の世代のはずだった。
本当に年齢順なのだとしたら、彼らが今ここに座っているはずがない。
所詮は、身近な死が続いたことによる、怯えが生んだ『こじつけ』に過ぎない。
ダムに沈んだ村、心霊スポット。
そんな背景が、彼らの『死』に、もっともらしい物語を付け加えようとしているだけだ。
そう結論づけ、席を立とうとした時、背後から声をかけられた。
「……真一くん?」
それは、どこか懐かしく、同時に今の不穏な空気をすべて切り裂くような、凛とした声だった。
振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。
黒の喪服に身を包んでいるが、その姿は周囲の親戚たちの『生活感』や『加齢』とは無縁の、浮世離れした清潔さを漂わせていた。
「やっぱり、真一くんだ。……久しぶりね。あの時以来、かしら」
見覚えがなかった。しかし、彼女は俺を知っている。
どことなく申し訳ない気持ちで、軽く会釈した。
そのうち、思い出せると思っていた。




