第9話『共犯者』
画面に映し出された如月博士の顔は、昨夜の負傷による包帯に覆われ、酷く疲れ果てていた。
だが、鷹宮から軍上層部の「精密検査」の命令を聞いた瞬間、博士の顔が紅潮していく。
『馬鹿どもが……! なんという取り返しのつかないことを……っ!』
博士は激しく咳き込み、胸を押さえながら声を荒げた。
『鷹宮少佐、絶対に仁を彼らに引き渡してはならん! 軍の医療スキャンに仁の身体をかければ……』
「スキャンにかければどうなると?」
『…露呈してしまう。あの子の胸の奥で脈打っているものが、人間の心臓ではなく、オリジナルの魔神石そのものであるという事実がな……!』
「……やはり、そうでしたか」
鷹宮は静かに目を閉じた。
「しかし、なぜそのようなことに?」
『……二十年前になる。オリジナル魔神石の起動実験で大規模な暴走事故が発生してな。研究員だった両親に連れられ研究所に来ていたあの子はその事故に巻き込まれ……消えかけた命をつなぐため、私が石の一部を移植した』
「……あの事故に関しては私も資料を閲覧したことがあります」
『あいつらは、魔神石の心臓を見つければ、仁を『人間』としては二度と扱わん……あの子は……』
如月博士は、画面越しに鷹宮の瞳を、縋るように睨み据えた。
『鷹宮少佐……。君が国防軍の、規律を何よりも重んじる軍人だということは知っている。だが……君はまた、同じことを繰り返すのか……?』
「――っ」
鷹宮の呼吸が、一瞬だけ止まった。
「……私は、軍人です、博士」
鷹宮は絞り出すようにそう言うと、博士の返事を待たずに、通信を強制的に切断した。
首元を走る汗が、冷たく軍服の襟に染み込んでいく。
廊下の窓から見える道場の庭には、ひび割れた石畳の間から、雑草が力強く伸びていた。
鷹宮はゆっくりと歩を進め、再び仁のいる道場へと向かった。
夕暮れ時、剣谷道場の空気は赤錆びたような茜色に染まっていた。
引き戸を開けて入ってきた鷹宮の目に飛び込んできたのは、静寂そのものだった。
仁は、道場の真ん中で一人、畳の上に胡坐をかいて座り込んでいた。その膝の上には、古びた木刀が横たえられている。
仁は何もせず、ただじっと、その木刀を見つめていた。
彼の胸の奥は、夕べの戦いの余韻か、あるいは迫り来る不穏な気配を察知してか、不気味にドク、ドクと、熱い脈動を繰り返している。
鷹宮は物音を立てずに仁の前に歩み寄り、懐から一枚の書類を取り出して、畳の上に滑らせた。
軍の公式印章が捺された、「出頭命令書」。
「明朝、軍の移送班が来る。君の身体を徹底的に『検査』するためだ」
鷹宮の事務的な報告を聞き、仁は視線だけを動かしてその書類を睨みつけた。そして、自嘲気味な笑みを唇の端に浮かべる。
「……へっ。やっぱり、俺をまたあの地下室に閉じ込める気かよ」
仁は、指の間から血が滲むほど拳を強く握りしめる。
「俺が人間じゃないかもしれないからか?バケモノの力を持っちまったから、安全な檻に入れて飼い殺しにするってか。……上等だよ。来るなら来い。その移送班ごと、俺がぶちのめして――」
仁が木刀を掴み、鋭い眼光で鷹宮を見上げた、その瞬間だった。
「剣谷流」の古びた看板の下で、孤独に木刀を構えるその青年の佇まい。それが、鷹宮の脳裏にある光景と重なった。
『規律だけでは守れないものもあるんだよ、司』
鷹宮は数秒の間、彫刻のように立ち尽くしていた。だが、彼の細い指先が動き、畳の上の命令書を再び拾い上げると、それを乱暴に自らのポケットの奥へと仕舞い込んだ。
仁が、狐につままれたような顔で眉をひそめる。
「……少佐?」
「明日の出頭は拒否する」
鷹宮は短く告げると、表情を変えずに続けた。
「上層部にはこう報告を上げる。『青年の精神状態は極めて不安定であり、強制移送は魔神石の臨界暴走を誘発する危険がある 』と。……私が、虚偽の報告書を作成する」
仁は驚き、目を見開いたまま立ち上がった。
「おい、いいのかよ少佐。あんた、軍の規律がどうのって、いっつも五月蝿いくせに」
鷹宮は仁に背を向け、道場の出口へと歩きながら、淡々とした口調を崩さずに言い捨てた。
「勘違いするな、剣谷仁。君という兵器の価値を見極めるまで、私の監視下から外すつもりはない。勝手に軍のモルモットになられては、これまでの監視任務――バカの相手が無駄になる 」
部屋の隅で、鷹宮の影が夕日に長く伸びる。
「ただし、この報告が虚偽であることが上層部に露呈すれば、私は軍法会議行きだ。……そして君も、二度と人間の世界には戻れない。我々は今、危険な賭けに出た。その自覚を持て」
出口の引き戸に手をかけた鷹宮の背中を見つめ、仁は一瞬呆然としていたが、やがて、その唇に不敵な笑みが戻ってきた。
「……へっ。能面エリートの少佐殿が、大した反逆児じゃねえか」
仁は木刀を肩に担ぎ直し、ぶっきらぼうに目の前の背中へ声をかけた。
「上等だ。……よろしく頼むぜ、少佐殿」
「フン……。明日の朝食も、残さず頂こう」
鷹宮はそれだけ言い残し、ピシャリと引き戸を閉めて去っていった。
鷹宮が去った静寂の中、仁は自分の胸に手を当てた。
先ほどまでの激しい脈動が、鷹宮の言葉を合図にしたかのように、不思議と穏やかに落ち着いていく。
「……ったく。どいつもこいつも、俺の命を勝手に守りやがって」
仁は苦笑し、日の沈みかかった道場の壁に、木刀をそっと置いた。
道場の外からは、再び迫り来る嵐を予感させるように、ぬるい海風が激しく吹き始めていた。




