第20話『世界へ』
外部の光が一切届かない、アース・クローラー内の整備ドック。
仁はコックピットから降り、上半身のパイロットスーツを脱いでベンチに腰掛けていた。マジンオーとの同調が解けた彼の身体は、戦闘の疲労で激しく肩を上下させている。
「……痛むなら、ちゃんと言ってよ」
スカートを汚すことも厭わず、深雪が救急箱を持って仁の前に跪いていた。彼女の手が、消炎剤を含んだガーゼを仁の擦り傷だらけの胸元へと優しく当てる。その指先は、さっきまでコンソールを叩いていた時の冷徹なクラッカーのものとは思えないほど柔らかく、そして微かに震えていた。
「悪りぃな、深雪。……お前、こないだはあんな風に言ってたけどさ。本当は、まだ無理してるんじゃないのか」
仁が、数日前の彼女の悲痛な涙を思い出して眉をひそめると、深雪はガーゼを持つ手を一瞬だけ止め、それから小さく微笑んで仁を見上げた。
「無理、してるに決まってるじゃない。」
「でもね、仁。私はもう、ただの『お隣の深雪ちゃん』でいるのをやめたの。……仁が一人で傷ついてるのを見てるだけなんて、もう絶対に嫌。私にもできることがあるって、分かったから」
ガーゼ越しに伝わる仁の鼓動を感じながら、深雪は少しだけ頬を赤らめた。仁は、そんな彼女の表情を見ることもなく頭を下げる。
「深雪……。お前をこの戦いに巻き込んじまって、本当にすまねえ。だけど、お前がブリッジにいてくれるなら、俺は安心して前だけを見て暴れられるよ」
「……本当に、仁はバカね」
深雪は寂しさを隠すように目を伏せ、ガーゼを強く押し当てた。
「いっててっ!」と騒ぐ仁の姿に、彼女はいつもの「口うるさい隣人」の顔を装い、からからと笑う。
今はただ、死線を分かち合い、互いの隣に立つ。そんな不器用な距離感を抱えたまま、艦は地下の深淵を突き進む。
しかし、彼らのささやかな時間は、鋭い警報音によって無残にも引き裂かれた。広域モニターから響く絶叫が、容赦なく現実へと引き戻す。
仁と深雪がブリッジへ駆け戻ると、メインモニターが、世界全土から発信される異常な警告信号で真っ赤に染まっていた。
「これは……世界中で…同時侵攻……!?」
操の代わりにメインコンソールに座った深雪が、悲痛な声を上げた。ニューヨーク、パリ、東京――世界各地に建造されたO.G.Eストーン貯蔵庫が、ヴァイスマンの兵器団によって一斉に強襲を受けていた。インフラの核であるストーンが次々と強奪され、画面の向こうの世界の都市が、一つずつ確実に暗黒へと塗りつぶされていく。
「ヴァイスマンめ、世界中のエネルギーを集めて、何を始める気だ……」
鷹宮が険しい表情でモニターを凝視する。
その膨大なニュース映像の中に、ひとつの機体が映し出された。 フランス・パリの防衛戦。西洋甲冑を思わせる、白銀の装甲。バイザーの奥にツインアイを輝かせ、背部には深紅のエネルギー偏向マントを纏った魔神機。
フランスが誇る最新鋭魔神機――『エンペラー・ルージュ』だった。
画面の中のエンペラー・ルージュは、ガンランスで迫りくるヴァイスマンの無人機を次々と貫いていた。しかし、その動きはあまりに過酷だった。
「博士、あのフランス機の出力波形がおかしいです!」
深雪の指摘に、如月博士が画面へ身を乗り出す。
「あの光は、O.G.Eではない……?いや、フランス軍が魔神石を所有しているはずが…」
「博士、フランス軍の兵器ライブラリデータ、出ました!モニターに映します!」
如月はモニターに映し出されたデータに目を疑った。
「バカな……デッドコピー魔神石だと!? かつての私の研究が、あのパイロットを狂わせようとしている……! 鷹宮くん、アース・クローラーを欧州へ! 臨界突破を起こせば、あの都市ごと消滅してしまう!」
博士の悲痛な叫びを受け、鷹宮は即座に艦長席のレバーを引くと同時に、艦内の全スピーカーを起動させた。
「アース・クローラー、全速前進。針路、フランス・パリ。……諸君、ここを足掛かりに、我々は全世界で戦い続けることとなるだろう。我々は決して死にに行くのではない。皆の帰るべき場所を取り戻すために――どうか、皆の力を貸してほしい。」
鷹宮の通信が切れると同時に、艦内のどこからともなく歓声が響いた。
「……剣谷、休んでいる暇はなくなったぞ」
「応、分かってる……!」
アース・クローラーは地中と海底の暗闇を切り裂き、欧州戦線へと向かって狂暴な推進音を轟かせた。




