第12話『崩壊』
あの紅い機体との遭遇から、一週間。
自分と同じ顔。同じ剣谷流。あの青白い男の姿は、今も仁の脳裏から離れない。
仁は朝食の箸を止めたまま、自分の手のひらをじっと見つめていた。指先が、かすかに震えている。
「……何よ、仁。せっかく上手に焼けたのに、残す気?」
リクルートスーツ姿で正面に座る深雪が、不満げに顔を覗き込んできた。彼女の傍らには、仁のために預かって整理している、すっかり擦り切れた家計簿と、何枚もの請求書が置かれている。彼女はそれを目にも止まらぬ速度のタイピングでデータ化していく。
「あ、いや……残さねえよ。ちょっと考え事してただけだ」
仁は誤魔化すように頭を掻いた。そんな食卓の対面で、鷹宮少佐もまた、一分の隙もない所作で箸を動かしていた。
「……剣谷。今朝の鮭の焼き加減は、非常に良いぞ。……深雪さん、礼を言う」
「ふふ、お粗末様です」
鷹宮の言葉に、深雪が目を細める。仁はわざとらしく鼻を鳴らした。
「へっ。少佐も、ようやく深雪の飯の味がわかるようになってきたってことかよ」
「……私は、良いものには良い評価をする。それだけだ」
鷹宮はそう返したが、その目元はどこか穏やかだった。
そこへ、金髪の女医――五條鏡子が気だるげに足を踏み入れた。
「あら、仲睦まじいこと。悪いわね、仁くん。データの最終同期のために、研究所のサーバーへアクセスする必要があるのよ。朝食が済んだら一緒に来てちょうだい。鷹宮少佐も来てもらえるわね」
鏡子は仁の背後に回り込み、その黒髪をくしゃくしゃと乱暴に撫で回した。仁が耳を赤くして身をよじると、鏡子は死角から鷹宮だけに聞こえる低い声で囁く。
「……例の紅い機体、調べれば調べるほど、例の凍結されたプロジェクトにそっくりよ」
そして鏡子は何事もなかったかのように鼻歌交じりに去っていったが――鷹宮は誰にも気づかれないように小さく、深く息を吐いた。
鏡子が去った後、仁は思わず鷹宮の袖を掴んだ。
「なあ、少佐……あの紅い機体のパイロット……俺と、同じ顔だった。ひょっとして、俺は……軍が作った『クローン』なのか?」
鷹宮は仁の視線を正面から受け止め、重い口を開いた。
「……案ずるな、剣谷。少なくとも軍の記録上でも君は二十三年前にここ剣谷家で生まれたことは間違いない。私個人としても君がクローンなどという存在ではないことは確信している。」
仁の顔に安堵の色が浮かぶ。
「だが…あのパイロットについては断定できない。私の権限では閲覧できない記録もある。……今は、自分がここにいるという事実だけを信じろ 」
仁はそれ以上何も聞けなかった。ただ、胸の奥で脈打つ魔神石が、その問いをあざ笑うかのように鈍く熱く、鼓動を早めた。
ーー如月エネルギー研究所。
「…こりゃすげえ。ガキの頃見たのとは大違いだ」
研究所の戦闘ブリッジへ入った瞬間、仁は再び息を呑んだ。
「うん。昔見せてもらったのとは規模が全然違うね……」
挨拶がてらついてきた深雪も、見慣れない軍用通信システムの規模に目を奪われていた。
すると、正面のメインコンソールで猛烈な速度でキーボードを叩いていたスタッフが、顔を輝かせて椅子を回転させる。
「あ! あなたがマジンオーのパイロットさん? 初めまして、水城操です! この一週間、ずっと通信の音声越しでしか話してなかったから、こうして直接顔を合わせるのは初めてだね!」
操は明るい笑顔で、仁の手を握りしめた。
「あ、どうも……剣谷仁です。マジンオーに乗ってるとき、いつも指示をくれてた声って……」
仁は急に女性に距離を詰められ、耳を赤くして一歩引く。
操はクスリと笑う。
「もう、直接会うと本当に普通の男子なんだから。あ、そっちの可愛いお嬢さんは?」
深雪は少しだけ緊張した面持ちで、持ってきた弁当箱を差し出した。
「……初めまして、天野深雪です。如月博士には、小さい頃からお隣の仁と一緒に、よく遊んでもらってて……研究所にも何度か――」
「わあ、手作りのお弁当!? 嬉しい! ちょうどお腹空いてたんだよね!」
操が弁当を受け取り、殺伐としたブリッジの空気はほんの少しだけ温かいものに変わる。
「そういえば仁くん、また少佐とケンカしたの? 五條先生から聞いたよ、仁くんって本当に頑固なんだから」
仁が苦笑いでそれを受け流す間、操は流れるような手つきでコンソールへ戻り、モニターを操作し始めた。
仁を真ん中にして交わされる、自分にはわからない戦場の会話。半歩後ろで見つめながら、深雪は持った鞄のベルトを強く握りしめた。
(私なんて、結局はただの、隣の家の子か……)
「そうだ仁くん。如月博士から調整中の新装備の説明がーー」
仁が操から渡された戦術タブレットを無言で受け取ると、研究所の地下深く、マジンオーの格納庫へと続く扉が、重々しい音を立てて開き始めた。
研究所の最深部、マジンオーが眠る巨大な格納庫。
仁はコックピットへ滑り込み、神経結合のコネクターを首の後ろへ突き刺した。
その瞬間、けたたましい警告音とともに操がブリッジから送り込んできた緊急映像が、視界の中央に強制展開される。
画面の向こうで、初めて顔を合わせたばかりの操が、必死にヘッドセットを抑えて叫んでいる。
『システム起動急いで! 敵機、雲を抜けます! 質量、速度、ともに前回のウルフ型を遥かに凌駕――ダメ、もう捕捉できません!』
「クソッ、いきなり現れやがった…!ハッチの開放はまだか、少佐!!」
『軍の本部に検知されないよう、カモフラージュ回路を手動でバイパスしている! あと三十秒待て!』
通信機から鷹宮の焦燥に満ちた声が返るが、大空の死神はその三十秒すら待ってはくれなかった。
音さえ置き去りにする高高度からの爆撃が、地上へ降り注ぐ。マジンオーのカメラが捉えた地上のライブ映像のなかで、国防軍の戦車隊や市街地のアスファルトが一瞬にして真っ赤なクレーターへと姿を変えていった。
如月博士が、白衣を翻して手動の緊急ハッチ解放レバーを力一杯に引き下げた。
「仁、緊急射出だ! 生きて、戻るんだぞ!!」
そして――その爆撃の火の手は、戦場から数キロメートル離れた居住区へ扇状に拡大していく 。
「……嘘、だろ……」
画面の中から仁が捉えたのは、つい今朝まで自分が縁側にいた剣谷道場、そして――その隣にある、深雪の自宅から火柱が上がる瞬間だった。木造の家屋が一瞬にして崩落し、激しい黒煙が画面を覆い尽くしていく。
「おっちゃん……おばちゃん……!!」
昨日まで何気なく笑い合っていた、あの優しい家族の日常が、目の前で灰になっていく。
『ハッチ開放! 剣谷、行ってくれ!!』
鷹宮の叫びと同時に、マジンオーがカタパルトから地上へと強引に撃ち出された。




