7. 無かった事にはさせん
「何だあれは!」
セラフィーナを出迎えた後、執務室に戻った途端にルクレツィオは怒声を発した。重厚な椅子を乱暴に引き、ドサっと腰を下ろす。
「おやめください旦那様、椅子が壊れます」
小言を言うジルベルトをジロリと睨みつけ、苛立ちを抑えるように腕と脚を組む。
「『光の聖女』だぞ? いや、その前にカルファーニア伯爵にとっては実の娘だろう! なぜあんな状態にさせておくことができる!」
「そうおっしゃいましてもねえ。セラフィーナ嬢が産まれるより前に愛人と子を成して、前妻が亡くなった途端にその愛人を後妻に迎えるようなお方ですから」
ジルベルトはルクレツィオの睨みに少しも動じることなく、しれっと言葉を返す。
政略結婚が当たり前の貴族の中には、家に決められた相手とは別に、意中の相手を愛人にする者が男女問わず存在する。カルファーニア伯爵もそのたちだろう。セラフィーナの異母弟であるドメニコも、セラフィーナの実母が存命中に産まれている。
「だからと言って、虐待まですることないだろう! 子どもには関係ないんだぞ!」
ジルベルトの説明に、ルクレツィオは拳を机に叩きつけた。
「おやめくださいってば。机が壊れますよ」
ジルベルトは砕けた口調で、再度小言を口にした。ジルベルトとルクレツィオは幼少期から共にいる。主従の線引きはあれど、間柄はだいぶ気安い。ほとんどの人間を震え上がらせるルクレツィオの睨みが全く効かないのが、ままならなくもあり頼もしくもある。
「旦那様、愚かな人間というのは、己の立ち位置や行いを客観的に評価する能力に欠けます」
静かにそう語りかけたのは、執事のアロルドだ。ジルベルトの父親でもある。容姿はジルベルトとよく似ているが、目の緑色が少し濃い。
「おそらく彼らの主観では、セラフィーナ嬢はあくまで『自分たちにとって憎むべき邪魔な存在』でしかなかったのでしょう。ひょっとすると、虐待をしているつもりもなかったかもしれませんよ」
「……そんなことがあるか!」
「いえ、過去に家族や使用人への虐待で訴えられた者たちは、皆口を揃えて『そんなつもりはなかった』と言っています。まあ、自覚の有無については実際のところはわかりませんが……やっている本人たちは『当然のこと』という認識しかなく、『相手にとっては不当である』という理解ができていないことはございますね」
ルクレツィオは苦々しく顔を歪める。多少は落ち着いたが、怒りに任せて投げつけた疑問にきちんと説明が返ってきたところで、怒りが治まるわけではない。
無意識に胃の辺りをぐっと押さえたのを見て、ジルベルトが眉を下げた。
「やっぱり着飾ってお化粧したくらいじゃダメですよね」
「……いや、大丈夫だ」
ルクレツィオ・アンドルフィには妙な弱点がある。栄養状態が悪く痩せ細った子どもを見ると、反射的に吐き気を催してしまうのだ。痩せ細った子どもたちに対して、憐れみや境遇への怒りを感じはするが、気持ち悪いなどといった忌避感はない。むしろそういった感情が動くより先に吐き気が来る。我慢することはできるが、胃にも結構ダメージがある。
相手が大人であれば大丈夫なのだが、成人したばかりのセラフィーナは、子どもに見えてしまったようだ。
数年前の戦争の際は大変だった。
戦地には、親も食べ物もなく悲惨な状態の子ども達がたくさんいる。そんな子ども達を目にするたびに酷く顔を歪め、時に嘔吐するルクレツィオは、人の心が無いと散々詰られた。
小心者などであれば、可哀想な子ども達の姿に動揺したのだと思ってもらえもしただろう。だが、ルクレツィオは戦場で華々しく活躍した英雄だ。戦闘狂で、弱々しい子どもが大嫌いなのだと解釈された。
そんな話が巡り巡って、機嫌が悪いと目が合っただけでも殴られるとか、子ども相手でも容赦がないなど、背鰭尾鰭がついていった。『暴虐の君』という渾名はここからきている。『黒い死神』の方は、純粋に戦場での闘いぶりへの畏怖からついたものだ。
ルクレツィオは一息ついて姿勢を正し、ジルベルトへ言った。
「怒鳴り散らして悪かった。報告を頼む」
怒りは尤もなもので、ジルベルトは怒鳴られたところで何ともない。それでも、使用人に対してしっかり謝罪するところがこの主人の美徳である。
ジルベルトはにっこり笑って報告書の束を差し出した。
受け取った紙束をめくり、ルクレツィオはサッと目を通す。
「……『恵みの祈り』をさせたのか、まあ予想通りだが」
「そうですねえ。ほんと容赦ないと言いますか、欲に忠実と言いますか」
ジルベルトが、報告書には載せない自身の感想を述べる。
「報告書にも書いてますけど、『恵みの力』ってすごいですよ。何か魔力が降ってきたって思ったら、やたらと身体の調子が良くなって。母さんは魔力が降ってきたのは気が付かなかったみたいですけど」
セラフィーナが最後の『恵みの祈り』を捧げていた頃、ジルベルトもすでにカルファーニア領内にいた。だから、恵みの力を直接その身に浴びている。
「今もまだ効果続いてて、多分、七日くらいは効果あります。祈ってる本人は一体どれだけの魔力を使っているのか、怖くなりますよ。よくあんな状態の子どもにさせられるなって思います」
ジルベルトはため息まじりに言葉を続ける。
「伯爵家の方々は、父さんの言う通りですね。自分たちのことを客観視できていないし、虐待している認識もないと思います。普通、もっと誤魔化そうとすると思うんですよ。まあ、こっちがほとんど準備期間を与えなかったせいもあるでしょうけど」
「奇襲・急襲は戦の常套手段だからな」
ルクレツィオが、少し得意気に言う。
準備期間を与えなかったのは、虐待の証拠隠滅阻止と、嫁がせないよう画策するのを防ぐためだ。実際、早めに領都入りして待機していると、後妻とその娘が良からぬことを企んでいるようだという知らせが入ってきた。ジルベルト達が予定より早く領主館に着いたのは偶々ではない。
「それでも、着飾らせたり、良いものを持たせたりくらいはできるはずです。多少サイズが合っていなくても、服装自体が見窄らしいよりずっとマシじゃないですか。なのに、セラフィーナ嬢が最初お召しになっていたのって、どれくらい着たのかわからないようなボロボロのワンピースで、荷物は鞄一つしかなくて、しかもそれをご自分で引きずるみたいに運んでいたんですよ。ありえないです」
「それを他家の者に見られたら自身がどう評価されるか、考えることができないのですね。あそこは先代はとてもしっかりした方でしたが……」
アロルドが残念そうに頭を振った時、ドアをノックする音がした。
「テオドロです。お荷物運び終わりました!」
入室してきたのは、バリーニ家の次男、ジルベルトの弟だ。緑灰色の髪を元気に跳ねさせ、テレーザに良く似た顔立ちで、アロルドと同じ緑の目をしている。魔法学院に通っている学生だが、本日はセラフィーナを迎えるため休んでいる。
「兄さんが言ってた鞄ってこれだよね? ボロいからすぐわかった!」
「テオ、言葉遣い」
「あ、ごめん……じゃなかった、すみません。へへ」
兄の小言に素直に謝るが、この弟は少々調子が良い。
「ちょうどその荷物の話をしていたところです。こちらへ」
「はい!」
テオドロが持ってきた鞄を、広い作業机の上に運ぶ。処分すると言っていた、セラフィーナの荷物だ。一応、肌着類はテレーザがまとめて別にしてある。
ジルベルトが、鞄から中身を取り出して机の上に並べていく。それを見ているだけで、ルクレツィオは再度怒りが沸騰しそうになった。
「これも虐待の証拠になりますよね」
中身を並べ終えたジルベルトが振り向いて言う。その顔は、敢えて無感情にしているようだ。
「……そうだな」
ルクレツィオは、やっとそれだけ答えた。
テオドロは、作業机の上に置かれたワンピースの繕われている部分を、しげしげと眺めている。縫い目はあまり綺麗とは言えない。セラフィーナは、手先がそれほど器用ではないようだ。
「セラフィーナ嬢自身に悲壮感がないように見えるのが救いですね」
アロルドがため息を吐きつつこぼした言葉に、テオドロが顔を上げた。
「あの方、すごいですよね! 旦那様の顔を見ても全然怖がってなかったですよ!」
「ンンッ! ……そうだな」
「……テオ」
「あっ、すみませ……じゃなかった、申し訳ございません!」
テオドロの素直な発言に、ルクレツィオは一瞬言葉を詰まらせた。弟の名を呼ぶジルベルトは、嗜める口調だが、目が笑っている。
出迎えの時、酷い顔をしていた自覚があるので、テオドロを咎められない。ルクレツィオは、恐れる様子もなく、ただ興味深気に見返してきたセラフィーナの顔を思い出した。
「セラフィーナ嬢は……泰然というか、超然とした雰囲気がありますね」
「いかにも聖女様! って感じですよねー」
ジルベルトは丁寧に表現しようとするが、テオドロがあっさり俗っぽい言葉に変換してしまう。
「カルファーニア伯爵達に対しても、思うところがない訳ではない、といった感じでしたが、怯えたりする様子はありませんでした」
「殴られたりはしなかったんですかね?」
「向こうの使用人からの密告だと、暴力はあったみたいですよ。ご自分で癒してしまっていたらしいですが。母さんも、傷跡のようなものはなかったと言ってました」
「……暴力については証言のみですか」
兄弟のやり取りを聞いて、アロルドがチラリと主人を見る。
「複数証言があるから問題ない。無かった事にはさせん」
ルクレツィオが断言すると、アロルドは満足そうに頷いた。
ジルベルトは、テレーザから聞き取った話を続ける。
「ただ、母さんによると、卑屈になったり怯えたりするような様子はないけど、何か考えていたりする事があっても、それを話したりはしないみたいですね。発言が伯爵達の気に食わないと必要以上に咎められたようですし、あとは単純に、人と普通に会話する環境じゃ無かったから、自分の考えを話す習慣自体が無いんじゃないかと」
テレーザは王都までの道中ずっと馬車でセラフィーナと一緒だった。今の所、セラフィーナの為人を一番理解している。
「ああ、それと……領主館を発つ時は何の未練も無さそうだったんですけど、カルファーニア領を出る辺りで、すごく名残惜しそうな顔をされていたらしいです。窓からずっと同じ場所を見ていたようだったので、カルファーニアというより、その場所に何かあるんじゃないかと言ってました」
「ああ、報告書にも書いていたな。どの辺りだ?」
「そうですね……」
アロルドがスッと差し出した地図を確認し、ジルベルトはセラフィーナが見ていたと思われる場所を指し示す。未開の森林地帯が近く、三つほど小さな村がある。
「この辺りですかね。実は、私も少し気になりまして」
「なぜだ?」
「行きは何も感じなかったんですけど、帰りはなんというか、空気が違っているような気がしたんです。上手く言えないんですが……。気のせいかと思ったんですけど、セラフィーナ嬢の様子を聞いて、やっぱり何かあるのかと」
「魔力が強い人間なら感じ取れる何かがある、という事か」
地図と報告書を交互に見ながら、ルクレツィオはしばし考え込む。
ジルベルトも地図を見つめながら、疑問を口にした。
「行きと帰りで変わったのがなぜなのかよく分からないんですよね」
「『恵みの祈り』の効果では? あれは土地にも作用しますので」
「でも、他の場所はそういう感じはありませんでしたよ」
「『恵みの祈り』の作用が、他とは違うとか? だから聖女様が気にするんじゃないですかね」
ルクレツィオとのやり取りが報告から考察に移ると、アロルドとテオドロも参加してくる。
「ああ……そういう事ってあるんでしょうか」
「さあな。だが、一度調べてみた方が良さそうだ」
ルクレツィオの言葉に、ジルベルトは頷く。
「そうですね。今の話も、報告書に足しておきます」
「ああ、頼む」
ルクレツィオは手に持っていた報告書を、一旦ジルベルトの手へ戻した。




