6. アンドルフィ家へようこそ
ようやく結婚相手の登場です
カルファーニアを出発してから三日目、午後の早い時間に、王都にあるアンドルフィ子爵邸に到着した。
ジルベルトのエスコートで馬車を降りると、ひんやりとした空気が身を包む。
王都はカルファーニアより北に位置している。セラフィーナからすると少し冬に戻ったような気温だが、テレーザが厚着にしてくれたので、寒くはない。それに、カルファーニアにいた時はこれよりずっと低い気温でも、もっと薄着だった。
今日身につけているのは、ベビーピンクのワンピースに、ベージュのスプリングコート。首元のストールとショートブーツ、頭頂部が平たいスモールハットは赤い。赤は、アンドルフィ子爵の目の色なのだとテレーザが教えてくれた。赤は火属性の色だ。
玄関先には出迎えの人たちが待っていて、中央に赤い目の男性がいた。年齢は二十代前半。見上げるほどの高身長に、服の上からもわかる鍛え上げられた体躯。美しく整った顔立ちは精悍で、長く伸ばした黒髪を後ろで一つにまとめている。美丈夫とはまさにこのような人を指すのだろう。魔力も相当に強そうだ。
その人物は、セラフィーナの姿を見て、はっきりと顔を顰めた。眉間に深く皺が寄せられ、真っ赤な目で睨みつけるような形相は、気の小さい人だったら縮み上がってしまいそうだ。
斜め後ろで、ジルベルトが小さく咳払いをする音が聞こえた。
その音にピクリと反応し、その人は大きく息を吐いた。
「アンドルフィ家へようこそ。当主のルクレツィオだ」
顔つきは険しいままだが、歓迎の言葉をかけられる。
まさか当主自ら出迎えに出てくると思わず、セラフィーナは驚いた。急いで淑女の礼をとり、挨拶を返す。
「お出迎えありがとうございます、閣下。カルファーニア伯爵家より参りました、セラフィーナと申します」
「ああ」
ルクレツィオは短く頷き返すと、セラフィーナの後に控えている二人に声をかける。
「二人ともご苦労だった。テレーザはそのままセラフィーナ嬢を部屋へ案内してくれ。ジルは報告を」
それから再度セラフィーナへ顔を向けた。
「落ち着いたら話がある。……また後ほど」
用意された部屋は、道中宿泊した宿の部屋にも劣らない広さと豪華さだった。大人が四人も寝られそうなほど大きな天蓋付きの寝台が部屋の中央にあり、ちょっとした物書き用の机に小さな本棚、ソファーセットなど家具も様々置かれているが、なお広さに余裕がある。専用の浴室、衣装のためだけの部屋まである。れっきとした当主夫人の部屋だ。
なお、出入り口とは別にもう一つドアがあり、それはルクレツィオの寝室と繋がっているという。ドアには両側から鍵がかけられており、その鍵はテレーザが管理しているとのことだ。
旅装を解いて湯浴みを済ませ、セラフィーナはテレーザが淹れてくれたお茶を飲んでいた。テレーザは少し外していたが、暫くして男性を二人連れて戻ってきた。一人は初老、もう一人は三十代前半で、二人とも医者だと紹介された。
「アルフィオ・カルローネと申します。この王都で医師をしており、アンドルフィ様のこともよく存じ上げております」
そう自己紹介したのは初老の男性だ。生え際がかなり後退している頭髪は真っ白で、後へきっちり撫でつけられている。立派な口髭と顎髭を蓄えいて、顔つきは柔和で口調も柔らかいが、薄茶色の目は少し好奇心が強そうだ。中肉中背で姿勢が良く、足腰もしっかりしている。
「カシラギです」
若い方はそれだけ名乗った。真っ直ぐで肩につきそうな長さの空色の髪、丸い眼鏡の奥で細められた目の色は紺色だ。色合いと吊り目がちなことから少し冷たい印象の顔に、貴族向けの笑みを貼り付けている。背はカルローネより高いが、ヒョロリと細い。
診察はカルローネの主導で行われた。体温と脈を測り、目や口内の状態、握力などを確認される。これまでの生活や食事の内容なども事細かに聞き取りされた。カシラギは目を見る時だけ興味深げにじっくりと覗き込んできたが、それ以外はカルローネが口にする診察結果と問診の内容を帳面に書き付けているだけだった。
セラフィーナは最初二人を師弟関係かと思ったが、様子を見ているとそうでもないようだ。診察記録はカルローネ自身もつけているので、記録係でもない。どちらかというとカルローネの方がカシラギへ気を使っているようにも見えた。
「……ふむ、まあ間違いなく栄養失調ですな」
帳面への記入が終わったカルローネが、顔を上げて告げた。
「ただ、お嬢様はどうやら体調不良を魔力で補っていて、あまり症状を自覚されていないようです。通常だともっと倦怠感が強く、眩暈も頻繁にあるはずです。だがお嬢様は、消化に悪いものを食した時に少し胃がもたれたり、眩暈は朝の起床時に気を付ける程度で済んでいる」
カルローネの言葉に、テレーザが「まあ」と言って口を抑えた。
「お嬢様、魔力の補助を止めることはできますかな?」
「できるとは思いますが……」
「やってみたことがない?」
「はい」
「なるほど」
たった今のやり取りも帳面に書き付けながら、カルローネは言葉を続ける。
「急に魔力による補助を止めるのは、体調が急激に悪化するのと同じかもしれません。却って身体への大きな負担になりかねませんな……」
顎髭を撫でつつ少しの間思案し、カルローネはセラフィーナとテレーザを交互に見やる。
「しばらくはこのままの状態で、ある程度栄養状態の回復が見られてから、魔力の補助を止めることにしましょう。お食事は消化に良くて栄養価が高いものを。それから、常に魔力を消費しておりますので、魔力回復効果のある食べ物も足すと良いでしょう」
カルローネはそこまで伝えてから、後ろで控えているカシラギに声をかけた。
「カシラギ殿からは何かございますかな?」
「そうですね……どうせ魔力補助を続けるのなら、いっそ多少無理してでも食事量を増やして、栄養を身体にたくさん取り入れるのも手かと思います」
テレーザが身を固める気配がした。セラフィーナに無理をさせる、という部分が引っかかったのだろう。
「ふむ、軍医殿らしい意見といったところですかな……」
カシラギは軍医のようだ。なぜここでセラフィーナの診察に付き合っているのだろうか。
「一度の食事量をいきなり増やすのではなく、食事の回数を増やせばあまり無理せずに一日の食事の総量を増やせます。午前と午後のお茶の時間に、茶菓子ではなく軽食を摂るといいでしょう。これならどうですかな」
とりなすようなカルローネの提案に、テレーザは安心したように息を吐いた。
「恐れ入ります、身体に良い食材を教えていただけますか」
「テレーザ殿が用意されていたお食事も十分良いですが、そうですな、肉が食べられるようになるまでは、卵、牛乳、チーズなどを多めにすると良いでしょう。一番大事なのは、いろんなものをバランスよく食べることです」
言いながらカルローネは帳面のページを一枚破って、そこに次々と食材を書き出していく。その手元を覗き込んでいたカシラギが、ふとテレーザと目が合うと、「レバーペースト」とだけ言った。
「ふむ、レバーペーストですな、好き嫌いが分かれがちですが確かに栄養があり消化にも良い。毎日食べたり一度にたくさん食べるのはよろしくないですが、私もお勧めします。バターやクリームなどはあまり混ぜ過ぎないように」
カルローネがすかさずカシラギの発言を掬い上げ、説明しながらメモに書き加える。テレーザはレバーペーストが苦手なのか思案顔だ。
カシラギは「美味しいですよ」と肩をすくめて見せてから、セラフィーナへ目を向けた。
「セラフィーナ嬢は、しばらくの間はご自身の空腹感で食事の要不要を判断されないことです。空腹でなくても、食事の時間であればとりあえず食べるように。軍の訓練ではないので苦しいのを我慢する必要まではありませんが」
軍では、体づくりのために食事量を増やす訓練がある。食べるだけのことと軽く思われがちだが、人によっては結構キツイものだという。
カルファーニアから王都までの道中、昼食を要らないと断って困らせたことを思い出し、セラフィーナは神妙に頷いた。




