5. 向こうもこちらを認識している
なんとまだ王都に着かない……
緩やかに波打つ白銀の髪が、地面に広がっている。
髪と同じ色の睫毛に縁取られた瞼が開かれることはなく。
横たわる身体を膝に抱え、頬に添える手つきは少しぎこちない。
手の主が、ふと顔を上げる。
その眼の色は、闇属性を示す黒。
薄い唇が、何かを言いたげに開かれる。
***
はっと目を覚ますと見知らぬ天井が視界に映り、セラフィーナは軽く混乱した。室内を見回して、ここがカルファーニア領内の宿場町にある宿の一室であることを思い出す。
まだ少し早鐘を打っている胸を押さえてそろそろと身を起こし、大きく息を吐く。ベッドサイドの小テーブルに水差しがあるのに気がついて、コップに水を注いでゆっくり飲み干した。
幼い頃から、たまに見る夢がある。輪郭がぼんやりとしていて、白銀の髪の色や白い手、黒い眼の色ばかりが印象に残る、意味のよくわからない夢だ。
その夢はいつも、黒い眼が見えたところで終わっていた。ほんの僅かだが先に進んだのは初めてだった。初めてカルファーニア領主館を出て、環境が変わったせいだろうか。
寝台から降りて、姿見に写り込んだ自身の姿を見つめる。
白銀の髪に金色の眼は、建国前の歴史に語られる、『大聖女アレッサンドラ』と同じだ。
このサリクス王国があるアールガルダ大陸は、昔は一つの強大な帝国だった。『大聖女アレッサンドラ』は、その帝国末期に現れた、光属性の魔力を持つ聖女だ。特別な『聖なる魔力』で瘴気を浄化することができたという。『大聖女アレッサンドラ』が人々を救うために戦う物語は、子ども向けにも多く語られていており、知らぬ者はほとんどいない。
セラフィーナは幼い頃、『大聖女アレッサンドラ』の生まれ変わりだと言われていた。光属性なので目の色が同じなのは当たり前だが、白銀の髪との組み合わせは、『大聖女アレッサンドラ』以来らしい。
だがセラフィーナは、そんなことを言われてもピンとこない。髪の色は母親譲りで確かに珍しい色ではあるが、それだけだ。母親が馬車の事故で亡くなった後、後妻として来たアイーダたちに『偽物聖女』と罵られるようになったが、なんだか『偽物』の方がしっくりくる。
鏡の中の自分は、夢の中に出てくる白銀の髪の女性に年々似て来ているような気がする。だが、夢の中の女性の姿自体、母親の姿のイメージが元になっているのかもしれない。
セラフィーナは軽く頭を振って、よくわからない夢の余韻を振り払った。
順調に進めば、馬車は午前中にはカルファーニア領を出るらしい。
セラフィーナは、熱心に左側の窓から外を見ていた。カルファーニア南部に広がる森林地帯が遠くにある。
ここは、あの恵の力が滞留する一帯に近い。これだけ近くなると、『祈りの庭』の魔法陣を介さなくても、恵の力が滞留しているのが伝わってくる。
ふと、ふわりとそよ風が吹いた気がした。馬車の中なのに、そんなはずはない。だが、さわさわと風の渡るような音も聞こえる気がする。馬車の進む音にかき消されないほどの風など、吹いているだろうか。
その音は、何かを訴えているかのようにも感じられる。カルファーニア領主館を出発する時、馬車に乗る前に感じたのと同じような感覚だ。──これは、風の音ではないのだろうか。
セラフィーナは、さわさわとしたざわめきに意識を集中した。
──るヨ、イルよ
──こ、あソコ、あそコ
ざわめきは明確な言葉にならないが、確かな意図を持って何かを伝えてくる。
それが示す場所へ目を向け、心臓が跳ねた。
遠くに広がる森林地帯の向こうに高台があり、こちら側は切り立った崖になっている。その上にも森林が広がっていて、中でも一際大きな木が生えているのがわかる。崖に近く、こちら側をよく見通せそうなその木の上。遠過ぎて、そこにいるはずの何かを目視することはできないが。
セラフィーナは息を飲んでそこを見つめる。
直感だが、間違いない。恵の力を滞留させている原因が、今あそこにいる。そしてきっと、向こうもこちらを認識している。
心臓が、ドクドクと脈打つ。
今すぐ向こうへ会いに行きたい。せっかくあそこにいるのに。そこにいるのがわかっているのに。
焦燥感にも似た感覚が湧き上がる。初めての感情に戸惑いながらも、その一点から目が離せない。
馬車の窓から見えなくなるまでずっと、セラフィーナはその場所を見つめ続けた。




