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破滅の魔女は新月に笑う  作者: 蓬莱萌


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2. もう支度は済んでいます

 緩やかに波打つ白銀の髪が、地面に広がっている。

 髪と同じ色の睫毛に縁取られた瞼が開かれることはなく。

 横たわる身体を膝に抱え、頬に添える手つきは少しぎこちない。

 手の主が、ふと顔を上げる。

 その眼の色は、闇属性を示す黒。


 ***


 うっすら瞼を上げると、まだ薄暗く、いつも目覚める時間には少し早いようだった。セラフィーナは深呼吸を一つして、ゆっくりと身を起こした。今日は、大事な日だ。

 寝台から立ちあがろうとしたところで、外に人の気配を感じ、息を潜めて様子を窺う。何かを置いていったようだ。

 気配が完全に離れてから外に出て確認する。ドアの横に、湯気がのぼるスープとパンが乗せられたトレーが置かれていた。おそらく家主の目を盗んで、まだ暗いうちに温かい食事を運んでくれたのだ。

 セラフィーナは早速その朝食を、ありがたくいただくことにした。


 『恵みの祈り』を捧げた後、自室としてあてがわれている離れへ戻ってきて、そのまま眠ってしまっていた。祈りを捧げると魔力を大量に消費して、セラフィーナはいつもフラフラになってしまう。そのため、カルファーニア伯爵家の人たちは、セラフィーナは魔力が弱いと言う。


 光属性を持って生まれた人間は本来、祈りなど捧げなくても常に大量の恵みの力を溢れさせ続け、周囲の人々や土地へ幸運や富、豊かさをもたらすものらしい。しかしその代償としてか、身体がとても弱く、十歳を超えて生きることはほとんどない。今年成人となる十六歳まで成長したセラフィーナは、異例中の異例である。

 恵みの力を溢れさせる事のないセラフィーナを、伯爵家の人たちは偽物の聖女だと罵った。周囲へ与えるべき恵みの力を、自分が生き延びるために使っている偽善者と言われたこともある。それが本当だとして、生き延びようとする事の、何が偽善だというのだろう。


 いつもより丁寧に身支度を済ませ、出ていくための準備に取り掛かる。古くて重たい旅行鞄は、「荷物を入れる物がない」と伯爵に訴えたら投げて寄越された物だ。セラフィーナの私物はとても少なく、ほとんど時間がかからず全て鞄に入れ終えてしまう。

 ちょうど手持ち無沙汰になったところへ、使用人が呼び出しに来た。今日は迎えが来るまで大人しく待機しているようにと言われていたのだが、予定が変わったのだろうか。疑問に思いながら、急いで本館へ向かった。



 執務室には、ルドヴィコ・カルファーニア伯爵と、後妻のアイーダ、異母姉のグレタが顔を揃えていた。異母弟のドメニコは、魔法学院の学期中で王都にいるため不在である。

 アイーダとグレタは辛子色の髪と焦茶色の目が同じで顔立ちもよく似ており、ルドヴィコとドメニコは暗褐色の髪に水色の目が共通している。伯爵の前妻である母親に似た顔立ちと白銀の髪、そして誰とも違う金色の目を持つセラフィーナは、この中では異質だ。


「ねえあんた、本気で嫁ぐつもりなの?」


 入室直後、挨拶もしないうちにアイーダから不躾に問われた。本気も何も、セラフィーナが決めた事ではない。この人は何を言っているのだろう。

 疑問に思ってもそれを顔に出さず、セラフィーナは慎重に返す言葉を選ぶ。


「……もう決まった事だと伺っております」

「相手は『暴虐の君』なんて言われている恐ろしい男なんでしょう? 大丈夫なのかしら」


 まるでセラフィーナの身を案じるように言われて面食らう。これまでずっと、まともに食事も与えず、気に食わないことがあると酷く折檻してきたのに、今更だ。本当に、この人は何を言っているのか。


「アイーダ、さっきも説明しただろう。これは王族から持ち込まれた縁談だ。こちらに拒否権は無い」


 ルドヴィコが苦虫を噛み潰したような顔でアイーダを嗜める。昨日セラフィーナに婚姻の話を伝えてきた時も、不本意そうな顔をしていた。


「でもあなた、『聖女』のことには王家でも口出ししてはいけないんじゃなくて? 条約があるのでしょう。それを……」

「条約は成人まで生きられない聖女を守るためのものだそうだ。成人したセラフィーナは条約の対象から外れると」


 サリクス王国や周辺国には、光属性を持って生まれた聖女(稀に男性の聖人)に関する条約がある。豊かな恵みと富をもたらす力を巡って奪い合いなどにならぬよう、王家でさえも手出し無用と定められている。光属性を持つ者は、十年から二十年に一人という頻度でこのアールガルダ大陸のどこかに生まれ、恵みの力を放出し続けて十年ほどの命を終える。身体が弱く、長く生きられない彼らを守るという意味もある。聖女や聖人が生まれた土地では、まさに天からの賜り物としてその幸運を享受するのだ。


「十年ほどの限られた期間だからこそ、生まれた土地だけがその恩恵を受け取ることを許される。成人まで生きた聖女の恩恵は、これ以上カルファーニアだけで独占してはならないと言われたのだ」


 ルドヴィコの言葉で、セラフィーナはアイーダの妙な態度の理由に思い当たった。


 この人たちは、『恵みの祈り』を捧げる者がいなくなるのを惜しんでいるのだ。


 セラフィーナが、フラフラになりながら月に一度の『恵みの祈り』を捧げていても、伯爵たちは不満ばかりぶつけてきた。聖女が生まれたら本来享受するはずだった豊かさには到底足りないと。

 だがそれでも、『恵みの祈り』が届く範囲では通常よりも土地が豊かになった。農作物の収穫量や鉱山の採掘量が上がり、手を付けた事業は驚くほど上手く行っていた。不運な事故の発生件数も、他所に比べると極端に少なかった。瘴気を原因とする魔物が発生することもなく、魔獣などに襲われる事件もほとんどない。

 それが、この先失くなってしまう。

 実際には元に戻るだけなのだが、豊かになった分贅沢を覚えてしまった者たちには、受け入れ難い事だろう。だから、なんとかセラフィーナの婚姻を阻止できないかと悪あがきしているのだ。


「でもほら、セラフィーナの意思は? 評判の悪い恐ろしい男に嫁ぐなんて嫌でしょう?」

「役立たずの『偽物聖女』だってバレたら、殴られたりしてね」


 アイーダは表面的には心配するそぶりだが、グレタはまるで脅すように言う。自分たちだってすぐに暴力を振るうのに、今だけ棚に上げて通用すると思っているのだろうか。


「ああ、なんて事。あなたはセラフィーナが心配ではないの?」

「しつこいぞお前たち。王族に睨まれたくはないだろう」

「でもお父様、セラフィーナが嫌がったなら王族の方も諦めるんじゃない?」


 グレタが、意味ありげにちらりとセラフィーナを見やる。


「ねえセラフィーナ、あんただって昨日突然聞いて混乱しているでしょう? 嫌なら嫌って言うくらいは許されると思うわよ」


 どうやら、セラフィーナが我儘を言って婚姻が駄目になった、という方向へ持って行きたいようだ。昨日自分の縁談と比べて蔑んできたのは、無かったことにでもなっているのだろうか。それにセラフィーナ一人のせいにしたところで、婚姻が駄目になれば王族の不興を買うのは変わらないのではないか。

 色々考えつつも、セラフィーナは無難な答えを口にする。


「貴族に生まれたからには、家のために嫁ぐのは当然のことと教育を受けております」


 そう、貴族にとっては本人の意思など関係なく、家同士の政略で勝手に婚姻が決められることなど当たり前で、よくある話のはずだ。一応受けさせてもらえた淑女教育ではそう習ったし、書斎にあった大衆小説でもそんな話があった。

 だが、グレタとアイーダにはお気に召さない回答だったようだ。


「察しが悪いわね」


 そう吐き捨てると、グレタは父親に向かって訴えた。


「お父様、セラフィーナは嫌だけどはっきり言えないんですって。可哀想に。口で言うことができないから、思い詰めて隠れてしまうかも」

「何を言ってるんだ、グレタ」

「まあ大変。せっかくお迎えがいらしても、本人が隠れて出てこなかったら、私たちにはどうしようもないわね」


 アイーダがグレタに調子を合わせ、とんでもないことを言う。セラフィーナをどこかに閉じ込めて、嫌がって出てこないということにするつもりなのか。そんな幼稚な策で誤魔化せるとは思えないが、この人たちはどうやら自分に都合の良いように物を考える癖があるようなので、本気なのだろう。


「いや、しかし」


 流石にルドヴィコは躊躇っているが、この男は自分の妻子を制しきれていない。ここで押し切られたら本当に閉じ込められてしまう。

 セラフィーナは身を固くして、どうにか切り抜けられないか思案する。閉じ込められるのも、自分のせいにされるのも避けたい。

 そこへ、まるで救いのようなタイミングでノックの音が響いた。


「どうした?」


 明らかに少しホッとした様子でルドヴィコがノックに応えると、使用人が慌てた様子でドアを開けた。


「失礼します! アンドルフィ子爵家より、セラフィーナ様のお迎えの馬車がご到着です」


 室内の面々を見て目を瞬かせつつ使用人が告げた内容に、全員一様に驚いた。


「なんだと? 迎えが来るのは午後のはずだぞ」

「それがその、旅程がとても順調だったため、予定よりも早く到着できたとのことで」

「こんなに早く来られても、まだ準備なんてできていないんじゃなくて?」


 アイーダが気を遣う風を装って言うが、おそらく少しでも出発を引き延ばしたいというのが本音だろう。

 問いかけるような使用人の視線に、セラフィーナはしっかりと頷いてみせた。


「大丈夫です。もう支度は済んでいます」

次の話は明日朝9:00に投稿します。

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