25. では遠慮なく
ブルーノ・クライネルトという医者の家へは、徒歩で向かった。この辺りでは大きめの村だが、住宅地の規模は端から端まで歩いてもさほどかからない。
木陰で涼をとっていた老人が、日傘を差して歩くセラフィーナの姿を見てポカンと口を開けた。このような村にも徴税や査察で身なりの良い男性が来ることはよくあるはずだが、貴族の女性など滅多に来ないだろう。それに加えセラフィーナの容姿は、美しいだけでなく浮世離れしている感がある。単に目立つどころではない。村人がほどんと出払っている時間帯で良かったと、ルクレツィオは思った。
セラフィーナは『黒目の化け物』の話に、少なからずショックを受けているようだった。だが、『黒目』に対する世間一般の忌避感や嫌悪感はそんなものだ。ただ普通は存在しないものという認識のため、わざわざ話題にされる事がないだけだ。
フラヴィオと話した「闇属性がすでに国内にいる可能性」については、城付きの護衛兵士にも共有されているかはわからない。だが、ここで得た情報は彼らからも報告が行く。ルクレツィオが何もしない方が、却ってフラヴィオに怪しまれるだろう。チェルロ村の連中の言動に良い印象は無いが、お陰で堂々とここで闇属性持ちの調査ができると、ルクレツィオは開き直った。
ただ、城付きの兵士の手前、切り替えて対応したせいで、村長のダニロを必要以上に怖がらせてしまったのは少し誤算だった。平民にとってただでさえ貴族は恐ろしいらしいが、ルクレツィオは酷い渾名のせいでさらに恐れられているということを実感した。青い顔で凍りついているダニロは流石に可哀想だった。良い酒や食材を大量に差し入れているので、それで勘弁してほしい。
ダニロから教えられた通り、村の入り口付近にロバのいる家があった。庭にロズメラの木があり、熟した実を収穫中の男がいる。白髪混じりの茶髪で、カルローネより少し若く見え、男にしては背が低い。男はルクレツィオたちに気がつくと驚いたような顔をして、すぐに深々と頭を下げた。この男が、ブルーノ・クライネルトだった。
ブルーノの家の中は一階部分が小さな診療所で、二階が居住空間となっていた。一階はよく村人が来るからと、ルクレツィオたちは二階へ案内された。
狭いリビングには、その場に似つかわしくない大きさの木製の棚があり、やたらと存在感を放っていた。上段には医学書や薬草学、薬草辞典、魔法薬学などの本が並び、中段には薬品類が入っていると思われる瓶などが並んでいる。下段は引き出しになっていて、中身は見えない。本や薬品の整然とした並びからは、几帳面な性分が見てとれた。
セラフィーナは、庭に繋がれているロバや小さな菜園を、窓から熱心に見下ろしていた。ロバを見たのは初めてで、菜園には、カルファーニア領主館でも王都のアンドルフィ邸の庭でも見たことがない植物があるという。
「ええと、お茶は……そちらの方に確認していただければ良いでしょうか」
キッチンへ収穫したロズメラを運んでいったブルーノが、ハーブティーらしき茶葉を何種類か持ってきて、胡桃色の目をジルベルトへ向けた。ルクレツィオは断ろうかと思ったが、ジルベルトが興味深そうな顔をしていたので、確認させることにして頷いた。
ジルベルトはブルーノと相談しながら差し出された茶葉の状態や香りを確認し、その場で何種類かブレンドしていく。湯が沸くのを待つ間、ジルベルトは茶葉の入った容器を手に取って眺めていた。
「この容器、魔道具ですか? 保存効果が付与されていますよね」
「ええ、そうです。保存魔法が使えなくても、魔力を注ぐだけで保存効果が持続するので、重宝しています」
ブルーノは物静かな印象で、喋り方も淡々としている。
「失礼ですが、庶民の方には貴重品では……結構な数をお持ちのようですが」
リビングの棚に並べられている薬草や薬液の入った瓶は、半数ほどが保存効果の魔法が付与された魔道具のようだ。サイズは色々だが、作り手が同じなのか、意匠が揃っている。
「医者をやっていれば、そこまで手が届かない物でもありません。薬品の保存に必要な物ですので。まあ私はこうして茶葉も保存しておりますが」
ブルーノはジルベルトから容器を受け取り、キッチンへ片付けに行った。
ジルベルトの気にしている事は、ルクレツィオにも理解できる。いくら医者とは言え、こんな田舎の農村でそこまで収入があるとは思えない。ましてや、数ヶ月前までは聖女の恩恵があった土地だ。怪我人や病人だって少なかっただろう。それに、棚に並んでいる書物も、この環境には不釣り合いなほどに充実しているように思える。
湯が沸いたと声を掛けられてジルベルトはキッチンへ行き、少ししてトレイに簡素なティーセットを乗せて戻ってきた。テーブルにトレイが置かれ、ブルーノが椅子に座る。トレイ上に茶葉を蒸らす時間を図るための小さな砂時計があり、ブルーノの視線は、それに釘付けだった。
茶葉を蒸らしている間に、ジルベルトが再び口を開いた。
「恐れ入りますが、ひょっとしてクライネルト様は大陸の東側のご出身では?」
ブルーノがパッと顔を上げ、ジルベルトを見て目を瞬かせた。
「ええ、その通りですが……よくお分かりになりましたね」
「お名前が少し珍しいと思っていたのですが、薬草学や魔法薬学の書籍が充実しているのでそうではないかと思いました。東側はそれらがこちらより進んでいると聞いたことがございます。それと、保存容器のような細かな魔道具もこちらより充実していると」
「なるほど」
ブルーノは砂時計へ視線を戻す。砂は半分程度落ちたところだ。
アールガルダ大陸のやや東寄りの位置に、大陸を東西に分けるような大きな山脈がある。マグヌスと呼ばれるその山脈は、北側がアストラス山地につながっているため、陸路で迂回するなら南側だ。東西で完全に分断されている訳ではなく、海路も使っての交流はある。だが帝国の滅亡から数百年、山脈のあちら側とこちら側で色々と大別されるようになってきていた。
東側諸国の書物や道具をこちらで手に入れるのは難しいが、もともと東側出身の人間が、自分で向こうから持ってきたのなら納得だ。
「よくこのような、西の端の国までいらっしゃいましたね」
サリクス王国の西側は海に面しているため、大陸の西端部の国で間違いない。西の果てというなら、さらに北西に位置するヴェスペラが相応しいだろう。
ジルベルトの感心したような言葉に、ブルーノはわずかに目を細めた。
「生まれ故郷が不作続きで、そこで暮らしていけなくなりまして」
「それは、失礼いたしました」
「いえ。だいぶ長い事あちこちと放浪していたのですが、たまたまここに流れ着いた時に、ちょうどこの診療所が空いていて、医者がいなくなったというので住まわせてもらったんです」
「医者がいなくなった?」
ルクレツィオの疑問に、ブルーノは遠慮がちに答えた。
「聖女様がいるから医者は仕事にならないと、別の土地へ行ってしまわれたとか。お陰で私は長く住める場所ができてありがたかったですが」
「あの、お仕事にならなかったのは、あなたも同じなのではないですか?」
セラフィーナが、申し訳なさそうな顔で尋ねる。ブルーノは静かに首を横に振った。
「そんなことはありません。医者の仕事がなければ、村の農作業を手伝いますので。それに、聖女様の恩恵で怪我や病気が減っても、無くなる訳ではないのです」
砂時計の砂が落ち切り、ジルベルトがティーカップにハーブティーを注いで、皆へ配った。一口飲んだブルーノの目元が微かに和らぐ。
「……美味しいですね。やはり貴族に仕えている方は淹れるのがとてもお上手です」
「茶葉の質もとても良いです。クライネルト様のご自作ですか?」
「ええ、そうです。お気に召したのであれば幾らかお譲りいたします」
ジルベルトはチラリとセラフィーナの表情を確認してから、にっこりと笑った。
「ありがとうございます。では遠慮なく」
「その代わりと言ってはなんですが、後でこのブレンドの配合を教えていただければ」
「はい、もちろん」




