26. ご夫人には、迎えが来なかったようです
ハーブティーを味わって一息ついてから、ルクレツィオはここに来た本題を切り出した
「クライネルト殿、我々は明日チェルロ村へ行くつもりなんだが、どういう村なのか教えてもらえないだろうか」
「チェルロ村ですか。どうしてまた?」
ルクレツィオは、チェルロ村に行くことになった経緯と、『黒目の化け物』の調査について簡潔に説明した。
「黒目の化け物ですか……確かに、チェルロの人たちがそういう話をしているのは聞いています」
「それが何を指すのか、心当たりはあるか?」
「いいえ。ただ、『森に住んでいる』という話なので、魔獣か何かを見間違えたのかとは。ここらの森はとても豊かなので、いろんな魔獣がいます。幻惑を使うものもいると聞いたこともあります」
ブルーノがキッパリと否定したことに、ルクレツィオは違和感を覚えた。ルクレツィオたちは、以前この地域に闇属性の人物がいたとほぼ確信している。状況的にもそれはチェルロ村で間違い無いだろう。小さな村に黒い目の人物がいて、村人たちもそれを化け物と吹聴している状況で、何年も定期的に訪問している医者が全く気が付かないという事があるのだろうか。
「そんな事を調べるためにわざわざチェルロまで行かれるのですか?」
「いや、それだけではないのだが……クライネルト殿は、『破滅の魔女復活説』をご存知だろうか」
「いえ、存じません」
「歴史書にある『破滅の魔女が斃された際の復活の予言』が実現するという言説だ。妻が『大聖女アレッサンドラの生まれ変わり』だと言われていることもあって、破滅の魔女の復活を本気で懸念する者たちが、高位貴族も含めて結構いる」
「はあ……閣下もその説を支持していらっしゃるのですか?」
ブルーノが、セラフィーナとルクレツィオを交互に見て尋ねてくる。
「いや、俺はそうでもない。だが立場上、『黒目』の話を聞いて放置する事はできないんだ」
「そうですか」
ブルーノが何を考えているかはわからない。だが、少なくとも復活説を信じるつもりは無いように見える。
「まあ、『黒目』の件はついでだ。先に言った、『恵みの祈り』の効果が違う原因を調査する方が本来の目的だからな。村長の話だと、五、六年前から変化があって、それが南側から変わってきているようだった。当時、チェルロ村がどうだったか覚えてはいないか?」
実際は黒目の人物の手がかりを探していて、恵みの祈りの効果については原因がわかっている。だが、あくまで「恵みの力の影響の違いを調べに来た」という名目に沿って話す。城付きの護衛兵士は、部屋の中までは入ってこないが、ドアの向こうで話を聞いている。あわよくば、調査結果を誤魔化せるような情報が出てきたりしないかという、淡い期待もある。
「『恵みの祈り』の効果が変わったというのは、覚えております。ですが、当時のチェルロ村の様子までは……七日に一度訪問しているだけなので、他と違いがあるというのも気が付きませんでした」
気が付かなかったというのは本当だろう。村長も『恵みの祈り』の後の体調変化と、農作物の実りの変化で判断していた。ジルベルトのように強い魔力を持っていれば、行き来しているだけで気が付いたかもしれない。
「そうか。では『黒目』の話は別として、チェルロ村だけの珍しい特徴などは何かあるか? 村の近くに魔素溜まりがあるとか、風習や言い伝えなどなんでもいい」
「特に聞いたことは無いですね。チェルロ村の人間は、この村の人からすると少し変わっているように見えるらしいですが、風習など他と違いはありません。私のような他所者には隠していることもあるかもしれませんが」
ブルーノの物言いは、カンフォロ村の立場からも一歩引いた視点に立っている。
「魔素と言えば、魔素溜まりがあるかは知りませんが、ここらの森は他所の森よりも魔素が濃い気がします。恵みの祈りの効果かと思っていたのですが、効果が消えても魔素は薄まる様子が無いですね」
「ほう。そういえば、色んな魔獣がいると言っていたな」
魔獣は、人間のように魔力を持ち、魔法を使用する獣類の総称だ。魔獣以外にも、同じように魔法を使用する動物や植物があり、全てひっくるめて魔法生物という。それらは、瘴気から発生する『魔物』とは明確に区別される。
魔法生物は魔素が濃い土地を好むという。魔獣が多いのなら、確かに他より魔素が濃いのだろう。
魔素は魔法が発動するのに必要な物質で、世界中に存在する。魔素溜まりは、魔素が集まってくるのかその場で発生しているのかはわからないが、魔素が常に特に濃い状態になっている場所だという。アールガルダ帝国時代には至る所に存在していたらしい。恵みの力に影響を与えそうなものとして、フラヴィオやカシラギなど、真相を知らない者たちから上がった有力候補だ。そう都合よく存在しないみたいだが、森の魔素が濃いというのは、悪くない情報かもしれない。
「明日は、ご夫人もチェルロへ行かれるのですか?」
「はい。私も行きます」
ブルーノの問いに、セラフィーナが頷く。ブルーノはその返事を聞いて、わずかに眉を下げた。
「恐れ入りますが、チェルロ村への道は、馬車が一台やっと通れるほどの広さしかありません。農作業の妨げになりかねないので、馬車で向かうのはできればおやめいただきたいのですが」
ルクレツィオとセラフィーナは顔を見合わせた。道の狭さは頭になかったが、小さな村ではよくある事だろう。
「クライネルト殿は、いつもどうやって村へ向かっている?」
「私は徒歩で、たまにロバに乗っています。それで、休憩をしながら一刻はかからずに村に着きます。たまにいらっしゃる役人の方々は、騎馬で行かれます」
「そうか……セラフィーナは、馬に乗ったことはないよな」
「はい。ありません。徒歩でも大丈夫です」
「いやいや」
いくらたくさん歩き回るようになったとはいえ、流石にセラフィーナに田舎の道を一刻も歩かせるわけにはいかない。王都の邸の庭とは違うのだ。二人乗りできるような丈夫な馬も馬具も、この村には無いだろう。それに、帰りもある。
「君は馬の背に座って、ジルに徒歩で手綱を引かせるのが無難だが……座っているだけでも、姿勢を保つのに身体が痛くなったりするぞ」
「痛くなったら治癒します」
「そうか」
ルクレツィオがジルベルトに目をやると、心得たように頷いた。
「クライネルト殿、教えてくれて感謝する。道幅の事など考えてもいなかった」
ルクレツィオはブルーノへ礼を言った。ブルーノは、セラフィーナとのやりとりを、不思議そうな顔で見ていた。
「いえ……それは構わないのですが、そんなに気になるのですか?」
「どういう意味だ?」
「聖女様は、身を削って『恵みの祈り』を捧げていたとお聞きしました。やらなくてよい事を無理にやらされていたものと思っておりましたので、効果が切れて収穫量が減る事など、気にされなくても良いのではと」
「ああ……なるほど」
恵みの力の影響を調べている理由は、セラフィーナが収穫量の減少を気にしているからだということにしている。事実を知らないブルーノには、それが不思議に思えたようだ。
実際、セラフィーナが気にしているのは闇属性の人物の手がかりで、頑なにチェルロ村へ行きたがるのはそれが理由だ。
「……私は、恵みの力が溢れることがなくなったので、代わりに祈りを捧げなければいけないと言われて、そういうものなのだと思っていました」
「そうですか……」
ブルーノはセラフィーナを見つめ、躊躇いがちに語り出した。
「東側ではたまに、ご夫人のように、生まれてしばらくしてから恵みの力が止まる聖女が現れます」
「そうなのですか?」
「ええ。こちらでは皆、恵みの力を溢れさせ続けて、早くに亡くなるようですが……東側では、恵みの力が止まった聖女は、そのまま成長します。代わりに身を削って祈りを捧げたりなどさせられません。私の故郷に生まれた聖女もそうでした」
「故郷に聖女がいたのか?」
生まれ故郷が不作続きで住めなくなったと、ブルーノは言っていた。聖女がいたなら、それこそ『恵みの祈り』で対処できた事ではある。
「ええ。聖女の恵みの力が止まった後、それまで恵みの力を受けていた反動で不作になりました。ここでもそうだったと思います。ですが、魔力が安定しない、年端もいかない聖女に、負担が大きな祈りなどさせられないでしょう」
ブルーノの言う事は尤もだ。私欲でセラフィーナに『恵みの祈り』を捧げさせていたカルファーニア伯爵、今は子爵だが、彼が非道だっただけだ。
ブルーノの話には、他にも気になるところがある。
「恵みの力が止まって成長した聖女は、どうしているんだ?」
ルクレツィオの問いに、ブルーノは視線を伏せた。
「それが……ある程度の年齢になると、いなくなります」
「いなくなる?」
「ええ。東側では、『迎えが来る』と言っています。どういう意味なのかはわからないのですが、大抵、嵐が来て、その後にいなくなるそうです」
ブルーノが、視線をセラフィーナに向ける。
「ご夫人には、迎えが来なかったようです」
それは、先ほど言っていた「ある程度の年齢」を、セラフィーナは超えているということだろう。
「クライネルト殿の故郷の聖女はどうだったんだ?」
「さあ。私はその前に祖国を出ましたので」
ブルーノは、再び視線を伏せた。
「驚いたな……東側とは聖女の話もこんなに違うのか。他に何か、こちらとは違う話は無いか?」
「そうですね……旅をしていて知った事なのですが、大陸東側の方が面積は狭いですが、聖女や聖人は向こうの方が多く生まれているようです。それと、『破滅の魔女復活説』で思い出した事なのですが」
ブルーノがそこで言葉を切り、しばし逡巡してから口を開いた。
「聖女が生まれるから闇属性が生まれる、と言われることがあります」
「それは、どういう意味だ?」
「わかりません。ただ、光属性と闇属性を、相克属性としてひとまとめにする考え方から来ているかもしれません」
聞く人によっては怒り狂って罵倒が飛んできそうだ。それくらい聖女は神聖視され、闇属性は忌み嫌われている。
セラフィーナはきょとんとした顔でブルーノの話を聞いていた。光属性本人としては、違和感の無い話なのかもしれない。




