15. 動くの遅すぎますよね
セラフィーナは困惑していた。
立つ時に身体を引っ張り上げられたり、歩く時に肩を抱えられると動きづらい。だから、やり方を変えてもらえないかと伝えるつもりだった。
どういうことかと訊かれ、他のメイドのやり方を説明した。
そして、こう言われた。
「そのメイドは手を抜いているんです」
「私は奥様にご無理をなさって欲しくないのです」
「私は奥様のためを思って精一杯お手伝いしています。手を抜くわけにはいきません」
その日、セラフィーナは朝から酷い筋肉痛に全身を襲われていた。身体が重いどころではない。背中に板でも入れられたかのように上半身が曲がらないし、少し動くだけであらゆる関節がギシギシと音を立てそうだった。頭のてっぺんまで突っ張って痛い。そんな所に筋肉があるのだろうか。昨夜、湯浴みの後にしっかりマッサージをしてもらってこれだ。
前日に比べると、眩暈も動悸も割と落ち着いた。だが、筋肉痛のせいで身体のバランスを取るのがより難しくなってしまった。足を閉じていると立っているだけでも姿勢を保てず、歩くこともままならない。足を肩幅ほどに開いてようやく安定し、両手を少し前に出してそろそろと歩く。二本足での歩行を覚えたばかりの赤ん坊のような動きだ。淑女教育で習った、美しい歩き方とは全く別物である。
たっぷりと時間をかけて、テーブルセットからソファーへ移動する。通常時ならすぐなのに、十倍以上の時間がかかる。
「すみません、私、動くの遅すぎますよね」
歩いている間中、静かに寄り添っていたメイドに謝罪すると、メイドは僅かに目を見開いた。
「いえ……奥様は、ご自身の力で移動したいのですよね?」
「はい」
「なら、私はそれをお手伝いするだけです」
メイドは穏やかに笑う。
「ですが、もしお辛くなったらすぐにお伝えください。すぐにベッドへお連れします」
「はい。ありがとうございます」
セラフィーナはほっとしてお礼を言った。
カルファーニアの書斎にあった本の中には民間向けの医学書もあり、その中に筋肉痛についての記載もあった。貴族の女性がたまに乗馬などをして筋肉痛になった場合は治癒魔法で癒しても良いが、兵士などが鍛錬後に筋肉痛になった場合は癒してはならないという。筋肉痛を癒してしまうと、筋肉が鍛えられないのだそうだ。カルローネは、セラフィーナの筋肉は衰えていると言っていた。これは、必要な痛みだ。
しばらく休んでから、再度移動したいとメイドを呼ぶと、すぐに傍へやって来た。膝立ちの姿勢になり、肩に捕まらせてくれる。最初、ソファーの背もたれを掴んでいたら、ソファーが倒れる可能性があると言われた。全身に力を入れて立ち上がる。メイドの肩を掴む手にも力が入って、体重もかかる。ここが一番メイドに負担をかけていると思う。
メイドはセラフィーナの腰に手を添えて、セラフィーナの姿勢が安定したのを確認してから自分も立ち上がった。そしてまた、根気よくセラフィーナが歩くのに付き添ってくれた。
そうやって室内を歩き回っているうちに、身体がほぐれたのか、筋肉痛が少しマシになってきた。そうすると、歩く姿勢もまともな格好に戻ってくる。なんとなく達成感を覚えた頃に、昼食の時間となった。
昼食後、メイドが交代した。
セラフィーナがソファーへ移動したいというと、交代後のメイドは、すぐに肩に手を回し、引っ張り上げるように立たせようとしてきた。セラフィーナは慌ててそれを止めた。テーブルセットの椅子に座っている時は、テーブルに手をついて立てるので、ふらついてしまった時にだけ支えてもらえたら良い。
「あの、すみません……お願いがあるのですが」
「はい、なんでしょう? 奥様」
「その、自分で立ちますので、ふらついたら支えて欲しいです」
「まあ、奥様。そのようなご無理をなさらなくて良いんですよ。私がちゃんとお手伝いしますので」
「大丈夫です。さっきも、そうやって立てました」
「さっきも? どういう事です?」
セラフィーナは、午前中のメイドがしてくれていることを説明した。こういう風にして欲しい、というつもりだったのだが、目の前のメイドの顔は少し険しくなった。言い方を間違えただろうか、と考えていると、メイドは予想もしなかったことを口にしてきた。
「奥様、そのメイドは手を抜いているんです」
「そんな事はないです、あの」
セラフィーナは誤解だと訂正しようとしたが、メイドはすぐに反論してきた。
「いいえ奥様、私たちは奥様のご負担を減らすためにお手伝いするのが仕事なんです。そのメイドは、奥様を自分で歩かせて、何もお手伝いしていないじゃないですか」
「私がそうして欲しいんです。だから」
「まあ、奥様、私は奥様にご無理をなさって欲しくないのです」
メイドは目を見開いて、困ったように言う。
「私は奥様のためを思って精一杯お手伝いしています。手を抜くわけにはいきません」
自分のためだと言われると、セラフィーナはそれ以上何も言えなくなってしまった。断られたというより、話が通じていないという感覚の方が強かった。
アンドルフィ家に来てから、セラフィーナも少しずつ要望を口に出せるようになっていた。皆がとても良くしてくれて、話をきちんと聞き入れてもらえることに、安心感があった。こんな風に、話が通じないような感覚になったのは久しぶりだった。カルファーニア伯爵家の人たちと違って、悪意は感じられないのに。
セラフィーナは困惑していた。




