10. もう少し食べられそうな気がします
「ふむ、だいぶ血色が良くなってきましたな」
セラフィーナがアンドルフィ家へ来て七日後の午前中、再度往診に来たカルローネは、顔を合わせて開口一番に言った。
「そうでしょうか」
「ええ。お食事は毎食きちんと摂られてますかな?」
「はい。ここのごはんはとても美味しいです」
「ほっほ、それはそれは」
セラフィーナの正直な感想に、カルローネが笑い声を上げた。室内で控えているテレーザとメイドも嬉しそうな笑顔になる。
実際、ここで出される食事はどれも美味しい。消化に良いもの中心なのでパン粥ばかりになりがちだが、毎回味付けを変えて工夫してくれる。魔力回復のためのネロッカも、ゼリーだけでなく、ジャムにしてヨーグルトに添えられていたり、果汁で他の果物を煮込んでコンポートになっていたりと、いろんなデザートとして楽しませてもらっている。
前回と同じ診察内容を一通り済ませ、帳面に書き込み終えてから、カルローネが口を開いた。
「今日は、試しに一度、魔力の補助をやめてみましょう」
「はい」
セラフィーナは少し緊張気味に頷く。いつの間にかこの状態が当たり前になっていたので、止めるとどうなるか想像できないが、少なくとも気分が良くはならないだろう。
「念の為、寝台へ移動を。ふらつくかもしれないので、テレーザ殿とメイドの方は、奥様の両脇で支えてください」
「かしこまりました」
セラフィーナが寝台の縁に腰掛けると、テレーザたちが両隣に立つ。カルローネは正面で膝をつき、セラフィーナの手を取って、手首の動脈の部分に指を当てた。
いつから体調の悪さを魔力で補うようになったのか、セラフィーナはよく覚えていない。身体が重く起き上がれずにいるとアイーダが部屋まで来て寝台から引きずり落とされたり、ふらついてゆっくり歩いているとドメニコに蹴られたりするのが嫌でやるようになったのは確かだ。
ゆっくりと息を吐いてから、セラフィーナは身体を覆うように魔力を巡らせていたのを止めた。
途端に、目の前が真っ暗になった。ガクンと頭が落ち、身体がぐらりと揺れる。
「奥様!」
テレーザとメイドが悲鳴を上げた。二人が咄嗟に両隣から身体を支えてくれたため、倒れずに済んだ。
心臓が激しく脈打ち、呼吸が浅くなる。頭の中で何かがぐるぐると回っているような感覚がして、気持ちが悪い。頭が、いや身体全体がとても重い。寒気がして鳥肌が立つのに、汗が吹き出す。
「奥様、落ち着いて、ゆっくりと呼吸なさってください。私の声に合わせて、ゆっくりと息を吐いて──はい吸って──」
カルローネの声に、無理やり呼吸を合わせていく。
少しすると、ぐるぐると回るような感覚が治まってきて、呼吸が楽になってきた。心臓はまだ速く頭も重いが、なんとか自力で姿勢を保つ。
カルローネが、脈を取りながらセラフィーナの目を覗き込む。
「ふむ、そんなに悪くなさそうですな」
「ええっ?!」
テレーザが驚愕したように声を上げるが、カルローネは構わず続ける。
「奥様、ご気分はいかがですかな?」
「なんだか気持ち悪いです……頭も体もとても重くて……」
「他には?」
「少し、寒気がします」
「ふむふむ」
カルローネは頷きながらセラフィーナから手を離し、立ち上がった。
「お身体を起こしているのがお辛ければ、横になってください」
「でも……」
「奥様、ご無理なさらなくていいんですよ」
確かに身を起こしているのは辛いが、人前で横になったことがないのと、あるとすればベッドから引き摺り落とされた記憶しかない。セラフィーナは一瞬ためらったが、テレーザの心配そうな声に、素直に従うことにした。
「……はい。横になりたいです」
「ゆっくりと身体を倒してくださいね」
セラフィーナは足を寝台に上げ、テレーザとメイドの手を借りて、カルローネに言われた通りゆっくりと身を倒した。体勢が変わったためかまた少しぐるぐると回るような感覚があったが、すぐに治まった。テレーザが額の汗を吹いてくれ、メイドが上掛けを掛けてくれる。ほっとして、体の力を抜いた。
「奥様のお身体は今、魔力補助がない状態の感覚を取り戻しているところです。奥様の感覚では、補助がなくなった反動もあってだいぶお辛いかもしれませんが」
再度セラフィーナの体温を測りながら、カルローネが言う。
「お身体の状態自体は悪くないです。魔力補助を止めた瞬間は顔色から血の気が引いて行きましたが、もう血色が戻っています。呼吸が整うのも早かったし、ご自身で姿勢を保てた。脈がまだ少し速いですが、少ししたら治まるでしょう。お身体が重いのは、魔力に頼っていた分の筋力の衰えもあると思います。すぐには改善しないかもしれませんが、その内慣れるでしょう」
カルローネはそこで一旦言葉を切り、セラフィーナとテレーザへ交互に目を向ける。
「何か気になることはございますかな?」
「……特にないです」
首を振るセラフィーナに、テレーザが気づかわしげな視線を送る。
「あの……奥様は、今日はもうこのままなのでしょうか?」
「そうですな。私は今日夕方までおりますので、そこまで様子を見ます。もしあまり状態が良くならないようでしたら、魔力補助を戻しましょう。おそらく問題ないと思いますが」
カルローネが顎髭を撫でつつ答える。
「お食事は、とりあえずこれまで同じようにしてください。魔力回復の食物もそのままで。私には奥様の魔力の総量が見えませんが、おそらくまだまだ回復量が足りません。一体どれほどの魔力を消費したのやら」
カルローネは、ため息をついて頭を振った。それを聞いて、テレーザが再度質問する。
「それなら、魔力回復効果のあるものを、もっと増やした方が良いでしょうか?」
「そうですな……しかし、今はまだ食事量をあまり増やせないと思いますので、通常の食事をそれに置き換えるのは……魔力も急激に大量回復させるのはお身体にあまり良くないですし」
「お飲み物でしたらどうでしょう? 回復量は食べ物より落ちますが、お茶や果実水ならご用意できます」
「ああ、その手がございましたな。では、奥様の様子を確認しながら、お飲み物でお与えください。まあ、奥様の魔力の強さなら大丈夫そうですが」
カルローネはテレーザの提案に頷いて、セラフィーナを見やった。
「奥様は、起き上がれそうなら起きて、歩いたりしてみてください。メイドを常につけて、あくまでゆっくりと。すぐに休めるように、室内のみで。くれぐれもご無理はなさいませんよう」
そこまで指示すると、カルローネは帳面や道具をまとめて手にする。
「では、私は別室で控えておりますので、何かあればすぐにお呼びください」
しばらく寝ていると、カルローネの言った通り、動悸も治まった。
カルローネは反動もあると言っていたが、魔力補助がない状態だと、本来これだけ調子が悪いものだったのだ。いや、ここに来て数日、ちゃんと栄養を取れるようになって、顔色も良くなったと言われてこれだ。ここに来た直後の状態で魔力補助を止めていたら、どうなっていたのか。考えてみてセラフィーナは少しゾッとした。
寒気も落ち着いたので、起きても大丈夫かもしれない。そう考えてセラフィーナがそろりと身を起こそうすると、部屋の隅に控えていたメイドが飛んできた。先に声をかけても良かったのかもと気付いたが、そのままありがたく彼女の手を借りて、ゆっくり身を起こす。
また眩暈と動悸がしたが、落ち着いて深呼吸をしていると、すぐに治まった。
「ありがとうございます」
「いえ」
「あの、立ち上がってみたいのですが……」
「はい。お手伝いいたします」
メイドは穏やかな声で短く答えた。
立ち眩みを乗り越え、セラフィーナは時間をかけてテーブルセットまで移動した。メイドは立ち上がる時だけしっかり支えてくれたが、歩き始めると背中に手を添えて静かについてきた。テーブルに手を付いてから、ゆっくりと椅子に腰を下ろす。座面に着く直前に腕の力が抜けて姿勢が少し崩れたが、咄嗟にメイドが支えてくれ、なんとか座ることができた。
魔力の補助がなく、筋力だけで身体を動かすとこんなに重いとは。昨日までは、適度に運動もした方が良いからと護衛付きで庭を散策もしていたが、この状態ではいつまた散策できるようになるのかわからない。
大きくため息を吐いていると、テレーザが戻ってきた。
「奥様、起き上がられたのですか?」
「はい、どうにか」
「お食事のお時間ですが、そちらで召し上がりますか? それとも寝台に戻られます?」
「……ここで食べます」
もうそんな時間なのか、と驚きつつセラフィーナが答えると、テレーザは頷いて食事を運んできた。
今回のパン粥はトマトスープがベースだ。小さめに切ったキャベツとさやいんげん、じゃがいもが入っていて、少量だが挽肉も入っている。味がするだけじゃなく、肉の姿を見たのは初めてかもしれない。ローレルの香りも効いていて、とても美味しい。なのに──
半分ほど食べたところで、セラフィーナは手が止まってしまった。これ以上、入らない。こんなに美味しいのに。お腹がいっぱいになったというより、胃の入り口が閉じてしまったような感覚だ。
「奥様、入らないなら無理して全部召し上がらなくて良いですよ」
固まってしまったセラフィーナを見かねて、テレーザが声をかける。
「でも……」
「奥様、デザートなら喉の通りがよく召し上がりやすいかもしれません」
「……先にデザートを食べても良いのですか?」
「まず食べることの方が大事ですので」
テレーザの言葉に、それならと、セラフィーナはデザートに取り掛かる。
デザートは、ネロッカの果汁と砂糖を加えて短時間煮た、グレープフルーツのコンポートだ。一口サイズに切られたホワイトとルビーの二色の果肉が、小さな皿に盛られていて目にも美しい。
パン粥はこれ以上お腹に入りそうにないと思ったのに、デザートを見ると入りそうな気がするのが不思議だ。ルビーの方はネロッカと色も味もよく馴染み、ホワイトの方は風味の爽やかさがやや強めだ。
三つほど食べたら、魔力が回復するのが感じられた。そして、セラフィーナはふと気が付いた。
「パン粥、もう少し食べられそうな気がします」
「え?」
魔力回復で身体が少し楽になったからか、パン粥ももっと食べられそうに思えた。セラフィーナはコンポートを全部食べ終えてから、再度パン粥を口にした。
食後、セラフィーナはソファーへ移動し、ぐったりと背もたれに身体を預けていた。デザートの後、実際もう少しパン粥を食べ進めることができたが、結局三分の一ほど残してしまった。テレーザは気にしなくていいと言ってくれたが、あんなに美味しいのに残してしまったことがショックだ。
近くで、午前中のメイドと交代で来たメイドが、ウロウロとしている。
「奥様、お身体がおつらければ寝台へ移動されては……」
「いえ、大丈夫です」
ごはんを残してしまって気が落ちてしまっただけで、身体は重いがじっとしていれば辛いというほどではない。セラフィーナは断ったが、メイドはまだ近くでウロウロしている。
このメイドは、立ち上がる時引っ張り上げるようにするし、歩く時は肩を抱えるようにされるので、なんだか動きづらい気がする。午前中のメイドは、どうやって支えてくれていただろうか。
そんな事をぼんやり考えていると、部屋のドアがノックされた。
入ってきたのは、テレーザとカルローネ、そしてルクレツィオだった。
このお話で3万文字超えました。
しかしまだあらすじの内容を全て書き切っていないです。
なんてこった/(^o^)\




