「俺の最高傑作さ」
「兄上の言った通りだ。——君は、本当に”機工の巫女”なのかもしれない」
仮面の男は静かに笑った。
その笑みには嘲りも、怒りもない。感情を感じなかった。ただ淡々と起こった事象を口にしている様に。
「……誰」
息を切らしながら私は立ち上がる。
左腕のルミナムは過負荷で白い蒸気を吐き、関節部から微かな火花が散っている。これ以上は暫く動かせない。それに血龍脈も暫く使用は出来ない。これ以上は私の身体が耐えられない。
「あなた達は……一体何なの」
私の問いに男は答えない。ゆっくりと、傷ひとつない手袋を外し、近づいていく。龍脈獣が身構えるが——男は剣を抜かない。ただ、その額へそっと優しく。手を添えた。
「……苦しかったな」
その一言だけだった。さっきまで警戒していた龍脈獣が、小さく喉を鳴らす。巨大な身体を震わせながら、まるで迷子の子どものように男へ頭を擦り寄せたのだ。
「……!」
私は息を呑んだ。龍脈獣が、人間に懐く?そんな事が——。
危機管理条項第一級指定。
国一つを滅ぼしかねない災厄。そんな存在が人と意思疎通をするというのか。私の疑念を、さも当然の様に男は穏やかに続けた。
「そんな……驚くことじゃないさ。この子たちは、人を憎んで生まれた訳じゃないんだ」
ゆっくりと振り返る。銀の仮面越しに視線が揃って。その言葉に、公園の空気が再び凍りつく様に緊張が走る。
「憎むように、造られただけだ」
アドネアが思わず聞き返す。
「造られた?ちょっとアンタ……龍脈獣は自然災害じゃないの……?」
アドネアの問いに、男は小さく首を振った。
「そう教えられてきただけだ。違うかい?君は龍脈獣が東リドウを拠点とし徘徊する自然発生的な災害——とでも思っているのかい?」
「嘘……」
「事実というのは歴史が証明している。都合よく書き換えられるものさ。勝者によって、ね」
静かな。そこには淡々と事実を述べるだけ。だからこそ——重い。
その言葉と同時だった。
白光が中央塔へ突如として突き刺ささるとその瞬間、大地そのものが悲鳴を上げた。異音と轟音を響かせて、金属が変容し悲鳴を上げる様に。都市が唸りを上げた。
「きゃああっ!」
凄まじい揺れと轟音に、アドネアが足を取られ、石畳へ膝をつく。私も立っていられないほどの激震が足元から突き上げてくるのを、いなすだけで精一杯だ。凄まじい異音を上げながら、都市全体が——揺れている。いや、揺れているんじゃない。
「……動いてる、の?」
工房も広場も。遠くの時計塔さえも?街そのものが、わずかに位置を変えていた。石畳の継ぎ目から蒼白い光が溢れ始めて、見慣れない紋様が各地に浮かび上がっていく。まるで都市の下に、巨大な血管が張り巡らされていたかのように。それは胎動し、産声を上げる様に。
「これは……龍脈路……?」
工房で図面だけは見たことがある。都市へ龍脈を供給するための地下機構。昔じいちゃんが、設備のメンテナンスの際に、と図面を起こしていた。だが、その時の様な規模じゃない。街全体が、一つの巨大な機工の様だったんだ。
「随分時間がかかってしまったけれど——」
仮面の男が呟く。こちらを静かに視線は私の瞳の芯を捉え続けている。
「イェネファは元々、一つの都市ではない。鍵なんだ」
「……何を言ってるの?それに鍵ってどういう事……?もっとちゃんと説明してくれないと分からないよ……!」
私の問いに、男は静かに首を横へ振る。
「——違う。君はもう知っているだろう。忘れているだけだ」
忘れている。それは知っているという事。忘却の彼方に。いや、そんな筈ない、私にはそんな記憶なんて残って——。思考の途中で頭の奥に激痛が走った。
「っ……!」
視界が白く染まる。耳鳴り。誰かの叫び。鉄が砕ける音。そして。白衣を着た女性が私へ笑いかけていた。知らない女性。知らない景色。それに——これは何?見たこともない機工に、一面の花畑——。
『ギル』
優しい声が入り乱れる思考と記憶の隙間から。私の頭を優しく撫でる様にすり抜けてくる。
『怖がらなくていい。あなたは、最後の希望。いずれ分かる時が来るわ』
「……!」
知らない。知らないはずなのに。涙だけが止まらない。女性の顔だけが、どうしても思い出せなくて酷くもどかしい。それに聞き馴染みがない筈なのに。その声は私の心の深い部分に滞留している。
「ギル!」
膝を付いて、倒れ込む私をアドネアが抱き起こしてくれる。激しい頭痛と全身の不可解な痛みが原因で、彼女の肩に顔を埋めそうになる。
「っぐ……!うぅ……!」
「ギル……!しっかりして!」
「頭が……割れるようで……!」
その時だった。
激しい爆発音と重低音が響く。方角は——公園の反対側。
爆炎が更に大きく上がった。建物が吹き飛び、人々の悲鳴が再びこだました。轟音と炎の中から現れたのは、一頭ではなかった。
二頭。三頭。五頭。
改造された龍脈獣が、次々と街へ雪崩れ込んできたのだ。同時に、アドネアの顔が青ざめていくのが、霞んだ視界から目に飛び込んできた。
「そんな……!たった一頭でもこれだけ手をこまねくのに……まだあんなに——!?」
仮面の男は、その光景を見ても動じない。先程から一貫して、起こった事象と、事実らしいその言葉の重さがやけに私の秤を傾けていく。
「当然だよ、これは侵略ではない。実験——とでも言うのかな。機工都市が真に鍵足りうるのか。機工の巫女は本当に実在したのか——」
仮面の男は私を見る。その仮面の紋様には先程までは気付かなかった数字が刻印されていることに気がついた。
「僕達は——機工を手に。この星から飛び出す事が出来るのか——」
「はぁ……はぁ……」
激しい頭痛と痛みに襲われながら。辛うじて男の言葉を溢さずに聞き取っている。だが、その瞬間。龍脈獣たちが一斉に咆哮を上げた。
しかし、その咆哮に混じって聞こえた、聞き馴染みのある音——。
カツン。
カツン。
燃え盛る石畳を、ゆっくりと歩く足音。深い底のブーツの踵に、施した肉体機工補助の金属「エルファリナ」が擦れる音。
炎の向こうから現れたその姿を見た瞬間、仮面の男が初めて表情を変えた。
「……やっぱり、来たんだね」
低く呟く。炎を割るように現れたのは、一人の老人だった。煤に汚れた作業着。無精髭。右肩には魔導工具と機工金属のバックル。左手には、使い込まれた一本のスパナ。
「……じいちゃん?」
ジルだった。
だが、いつもの飄々とした笑顔はそこにない。鋭く細められた瞳だけが、仮面の男を射抜いている。私の知らないジルが——そこに居た。
「——久しぶりだな」
男が静かに言う。
「十三番目の龍の寵愛を受けた機工師——ジル・ストライド・ヴァンダート」
その呼び名に、アドネアが目を見開く。
「十三番目……龍って……?ジルさん貴方は……」
私は知らない。そんな名前は聞いたことがない。
だけれど。
じいちゃんは否定しない。沈黙が肯定を意味したのは激痛に余裕のないこの頭でも理解できた。
ゆっくりと——機工銃を肩へ担ぎ、手慣れた手つきで弾を装填する。
「……ギル」
でも、その声だけは、いつもと同じだった。私の知っている。よく知るじいちゃんのもので——。
「——その腕はよ」
弾を装填し、また次弾を——着実に装弾し。機工銃が、ガチャン、と一弾ずつ銃身の奥へ。弾を押しやっていく。その装填に合わせて一歩、また一歩と前へ出る。
「お前を戦わせるために作ったんじゃねぇ」
目の前まで、もう一歩。
「誰かを救うために作った、俺の——最高傑作さ」
そして、私の前へ立つ。龍脈獣と仮面の男、そのすべてを背中で受け止めるように。
「ここから先は——」
ギィン、と機工銃を握る音が夜に響いた。引き金に手を当てて構えると、銃身に施された機工輪が駆動して、円環していく。龍脈というエネルギーを収束して。
「ジジイの仕事だ」
その背中を見た瞬間、私は幼い頃から見続けてきた「工房の親方」ではなく、この世界の歴史を背負ってきたのかもしれない。一人の英雄の——父親の——姿を初めて見た気がした。




