「違和感の先へ」
塔の中は、規則正しい駆動音だけが静かに響いていた。
私はその場にしゃがみ込み、床へ手を添える。
冷たい石の感触——その下では、龍脈が絶え間なく流れている。
ルミナムを通して見る世界は、普段とは違う。歯車の噛み合わせ。導力管を巡る圧力。目には見えない龍脈の流れまでもが、淡い蒼色となって視界へ映し出される。
「……やっぱり」
私は小さく呟いた。
塔の設備に異常はない。
それは間違いない。
問題は、設備へ送られてくる龍脈の流れだった。
ごく僅かに——本当に僅かにだけ、脈動の間隔が揺れている。普通なら気付かない、計測器でも誤差として処理される程度だ。
けれど、ルミナムを通して見れば、その揺らぎは確かに存在していた。
「ギル」
アドネアが記録帳を片手に近寄る。
「何か見つかった?」
「設備は正常——でも龍脈が少しだけ変」
「変?」
私は頷く。
「流れが弱いんじゃない。乱れてるわけでもない。……誰かが上流で、一瞬だけ堰き止めてるような。」
言葉にしながら、自分でも首を傾げる。
そんなことができる設備は、近隣には存在しないはずだ。
アドネアはすぐに結論を出さなかった。
「数値は?」
「正常範囲」
「なら報告書には書けないわね」
「うん——」
私は苦笑する。
「勘——みたいなものだから」
その言葉を聞いていたロッシが腕を組む。
「俺は機械のことは分からんが——お前の勘って、当たるのか?」
私は少しだけ考える。
「……分からない——でも」
左手で床を軽く叩いた。
「この塔が『悪い』んじゃない。この塔は、何かを我慢してる」
二人は顔を見合わせた。
「我慢?」
「うん。」
「無理をして、流れを整えてる」
その表現が、一番しっくりきた。
塔は壊れていない。むしろ正常に動こうとしている。それなのに、どこか苦しそうだった。
私は塔の中央を見上げる。
巨大な主軸は、今日も変わらず回り続けている。
その姿が、少しだけ無理をして笑っている人のように見えた。
「もう少し詳しく見てくる」
私は中央の点検階段へ足を向けた。
「ロッシ」
「下をお願い」
「了解」
「アドネア、記録をお願い。」
「任せて」
三人は自然と動き始める。
誰が指示したわけでもない。
それでも、それぞれが自分の役割を理解していた。
螺旋階段を上る。
塔の中心を囲むように設けられた点検通路。
一段、一段。
視線は常に歯車へ向けたまま。油の滲み。金属疲労。導力管の振動。異常があれば見逃さない。途中で一度立ち止まり、私は右目を閉じた。
ルミナムの視界だけへ意識を集中する。
世界から色が消える。残るのは——龍脈だけ。
青白い光が塔の中心へ集まり、そして西へ流れていく。
その時だった。
「……?」
一瞬だけ。
龍脈の光が揺れた。
ほんの一拍。
心臓が鼓動するほどの短い時間。
流れが、止まった。
「今の……」
思わず身を乗り出す。
次の瞬間には、何事もなかったかのように元へ戻っていた。
「気のせい……?」
いや。違う。確かに止まった。
私は急いで懐から小型の計測器を取り出す。
針は正常値を示している。
記録にも残らない。
けれどルミナムだけは、あの一瞬を見逃していなかった。
下からロッシの声が響く。
「ギル!」
「何かあったか!」
私は階段の手すりから身を乗り出す。
「今、一瞬だけ龍脈が止まった!」
「止まった?」
ロッシには見えていない。
アドネアも驚いた顔で記録帳を確認している。
「計測値は変わってない!」
「だから余計に変なんだ」
私は静かに息を吐く。
「誰かが細工したんじゃない。設備が壊れたわけでもない。」
「もっと……」
言葉を探す。
そして、小さく呟いた。
「龍脈そのものが、何かに反応してる」
その瞬間だった。
塔全体へ、低い振動が伝わる。
ゴゥン……歯車が止まるほどではない。けれど、誰もが気付くほどの震えだった。
三人は同時に顔を上げる。外では風も吹いていない。地震でもない。
それなのに、塔だけが小さく震えている。
私はルミナムを起動したまま、塔の中心を見つめた。
蒼い龍脈の光が、一瞬だけ深い紫色へと染まり――すぐに元へ戻る。
「……今の」
今度は見間違いじゃない。
塔ではない——龍脈でもない。もっと遠く。西の方角。
鉱山都市エルファルナへ続く龍脈の先から、何かがこちらへ干渉した。
その痕跡だけが、静かに消えていった。
△▼
第三龍脈中継塔を後にした三人は、西へ続く街道を歩いていた。
昼下がりの陽射しは穏やかで、街道沿いには風に揺れる草花が一面に広がっている。
遠くでは荷馬車がゆっくりと土煙を上げながら進み、旅人同士が挨拶を交わしてすれ違っていく——。戦いの匂いは、どこにもなかった。
それが、どこか心地よかった。
「今日はこのまま街道沿いの宿場まで進みましょう」
アドネアが地図を見ながら言う。
「明日の昼頃にはエルファルナへ着けるはずよ」
「意外と近いんだな。」
ロッシが肩に背負った大剣を軽く持ち直した。
「鉱山都市ってもっと山奥かと思ってた」
「街自体は街道沿いだから——」
アドネアが説明する。
「採掘場だけが山の奥深くにあるの。」
私はその話を聞きながら、街道脇に埋め込まれた小さな機工設備へ目を向けた。
一定間隔で設置された導力標柱。
王国各地へ張り巡らされた龍脈補助設備の一つだ。
何気ない設備。
普段なら誰も気にも留めない——でも。
「ギル?」
「少しだけ」
右目のルミナムを起動する。
標柱の内部構造が透けて見える。
龍脈は正常。
圧力も問題ない。
だけど。
「……」
まただった。
ほんの僅かに。
流れが西へ向かうほど細く見える。
水路で言えば、水量は変わらないのに、水面だけが揺れているような感覚だった。
「またか」
ロッシが隣へ立つ。
「何かある?」
「壊れてはいない」
私は首を振る。
「でも、違和感は続いてる」
アドネアも標柱へ近付く。
「つまり——第三中継塔だけじゃない」
「うん。この街道全部で同じ」
三人の間に静かな空気が流れた。
これは偶然ではない。
少なくとも、一つの設備だけが原因ではなかった。
アドネアは記録帳へ新たに一行を書き加える。
『街道沿い補助設備にも同様の揺らぎを確認』
「これで現場記録としては十分ね。ギル、本部へ戻ったらあなたの報告も正式に残るわ」
私は少し照れくさく笑った。
「そんな大したことじゃないよ」
「いいえ——」
アドネアは真っ直ぐ私を見る。
「機工士は”壊れてから直す人”じゃない——壊れる前に異変へ気付く人よ」
その言葉は、まるで誰かの受け売りのようだった。
きっとギルドでも、代々受け継がれてきた教えなのだろう。
私は小さく頷いた。
「ありがとう」
再び歩き始めてしばらくすると、ロッシが前方を指差した。
「見えてきたぞ」
街道の先。
山肌へ沿うように建てられた木造の休憩所が見える。
旅人たちが荷馬車を止め、馬へ水を与えていた。
「少し——休憩しようか」
三人は木陰の長椅子へ腰掛ける。
宿場の老婆が冷えた果実水を運んできた。
「旅人さんかい?」
「ええ」
アドネアが答える。
「エルファルナまで」
「——あら」
老婆の表情が少し曇る。
「最近は鉱山へ向かう人が多いねぇ」
ロッシが顔を上げる。
「何かあったのか?」
「詳しくは知らないけどね——坑道の奥で機械が止まったとか、鉱石が掘れなくなったとか聞いてね」
私は思わず身を乗り出した。
「それって、いつ頃ですか?」
「そうさねぇ……」
老婆は少し考える。
「十日くらい前からだったかね。」
十日前。
三人は同時に目を合わせる。
第三龍脈中継塔の管理人が言っていた時期とも一致する。
アドネアは静かに礼を言う。
「ありがとうございます」
老婆は笑って手を振った。
「気を付けてお行き。最近は冒険者さんもずいぶん増えてるから」
老婆が店へ戻ると、ロッシが腕を組む。
「偶然じゃ——なさそうだな」
「うん。」
私は果実水の入った木杯を見つめた。
「鉱山で何か起きてる。それが龍脈へ影響してる」
アドネアは地図を広げる。
「でも依頼書には、設備点検としか書かれていない——情報が遅れている可能性が高いわ。」
「だったら急ぐか?」
ロッシが立ち上がろうとする。
しかしアドネアは首を横に振った。
「急ぎたい——でも焦って判断を誤る方が危険」
そう言って二人を見回した。
「今日は予定通り宿場で休む。明日の朝一番でエルファルナへ入る。それが一番安全よ」
ロッシは肩をすくめる。
「了解、サブマスターの命令なら従うさ」
軽口を叩きながらも、その表情は真剣だった。
私はそんな二人を見て、自然と笑みがこぼれる。
一人だったら、不安ばかりだったかもしれない。
でも今は違う。
前を歩く頼れるサブマスターがいる。
背中を任せられる冒険者がいる。
そして私は、機工士として二人を支える。
ジルならきっと笑って言うだろう。
——「ええ仲間を見つけたの」って。
▼△
翌朝。
街道を包んでいた靄がゆっくりと晴れ始める。
山道を一つ越えた、その先だった。
「……あれ」
思わず足を止める。
谷間いっぱいに広がる街並みが視界へ飛び込んできた。
巨大な岩山へ抱かれるように築かれた石造りの都市。山肌には幾筋もの坑道が口を開け、その間を鉄製の索道が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。籠いっぱいの鉱石を積んだ搬器が、ゆっくりと山を上り下りしていた。
煙突から立ち昇る白い煙。
絶えず鳴り響く金槌の音。
風に混じる鉄と石炭の匂い。
まるで街全体が、一つの巨大な工房だった。
「すごい……」
自然と声が漏れる。
工房育ちの私には、それだけで胸が高鳴った。
「気に入った?」
アドネアが笑う。
「うん!街なのに……工房みたいで」
ロッシが肩を竦める。
「機工士らしい感想だな。俺なんて、煙しか見えねぇ」
三人は笑いながら坂道を下っていく。
街へ近づくにつれ、人の声が少しずつ聞こえてきた。
鉱夫たちが荷車を押している。
職人が工房の扉を開ける。
市場では朝から威勢のいい声が飛び交っていた。
活気がある。
それなのに。
「……」
私はまた足を止めた。
違う。
何かがおかしい。
ルミナムを起動する。
景色が淡い蒼色へ染まる。
街中へ張り巡らされた導力管。地下を流れる龍脈。機工設備を繋ぐ補助回路。すべてが見える。
しかし——
「どうした?」
ロッシが振り返る。
「音が……」
「音?」
私は静かに頷いた。
「静かすぎる。」
二人は顔を見合わせる。
「そんなこと分かるの?」
「……分かる」
工房で育った。
十一歳から毎日。朝から晩まで。機工音の音を聞いていた。
油を差す音。
旋盤が回る音。
ボルトを締める音。
金属が噛み合う音。
私はそれを、毎日聞いてきたんだ、間違いない。
「この街——機械の音が足りないの」
ロッシは耳を澄ませる。
「——普通に聞こえるけど?」
「うん。普通の人には」
私はゆっくり街を見渡した。
導力揚水機。昇降機。搬送用巻き上げ機。
どれも動いている。
だけど。
無理をして動いている。
人間で言えば、息を切らしながら笑っているような音だった。
アドネアも真剣な表情になる。
「それが龍脈の影響?」
「まだ分からない——でも」
私は義手を軽く握りながら。何かを確かめる様に続けた。
「誰かが修理した跡がある」
街へ入ってすぐの水路設備。
新しいボルト。交換された軸受け。応急補修された導力管。
機工士の目には、それがすぐ分かった。
「かなり急いで直してるの」
「でも———追いついてない」
アドネアは周囲を見回す。
今まで見えていなかったものが、急に見えてきた。
店先へ積まれた交換部品。
工房の前へ置かれた壊れた歯車。
荷車いっぱいに運ばれる導力管。
この街では今も、どこかで修理が続いている。
ロッシがぽつりと呟く。
「これ……街が病気みたいだな」
私は静かに頷いた。
「うん——そんな感じ」
その時だった。
広場の向こうから、鐘の音が鳴り響く。
カン——。
カン——。
二度だけ鳴る鐘。
すると街中の職人たちが一斉に顔を上げた。
「またか!」
「今日は早いな——」
「西側か?」
そんな声が飛び交う。
次の瞬間。
一人の若い職人が広場を駆け抜けていく。
「第三搬送機停止!」
「応援頼む!」
その声を聞くなり、近くの工房から数人の機工士が工具を抱えて飛び出した。
誰一人慌ててはいない。
まるで日常のように。
その光景を見て、私は息を呑んだ。
「……日常なんだ」
毎日のように設備が止まり。
毎日のように修理へ走る。
街の人たちは、それに慣れてしまっている。
「ギル」
アドネアが静かに言う。
「まずギルドへ行きましょう」
「え?」
「あなた、今すぐにでも飛び出して行きそうな顔してる」
私は思わず苦笑した。
図星だった。
止まった設備がある。困っている人がいる。
そう聞けば、体が勝手に動きそうになる。
「依頼を受ける前に勝手に修理したら、あとで怒られるわよ」
「……う」
「まずは正式な依頼——それから」
アドネアは優しく笑う。
「機工士として仕事をしましょう」
私は大きく頷いた。
「うん」
三人は歩き出す。
その背中を追い越すように、工具を抱えた機工士たちが街の奥へ走っていく。
その姿を見つめながら、私は胸の奥で小さく思う。
——あの人たちも、誰かの暮らしを守っている。
ジルと一緒に歩いてきた道と同じだ。
場所が違っても。
街が違っても。
機工士の仕事は、変わらない——だからこそ、この街で何が起きているのか。
私は、自分の目で確かめたいと思った。




