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機工技師 ─ルミナム・ストライド─  作者: ask


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17/20

「出立」

 朝露をまとった石畳を、三つの足音がゆっくりと西へ向かっていた。

 夜の名残をまだ引きずる空は薄い水色で、街を囲む城壁の輪郭が、ようやく差し込みはじめた朝日にゆっくりと——金色へ染まっていく。

 門の前では、復興作業へ向かう職人たちが忙しそうに荷車を押し、荷台がガタガタと石畳を叩く音が朝の静けさの中に響いた。


「——行ってきます」


 私は誰に聞かせるでもなく、小さく呟いた。

 振り返った先には、まだ白い煙を細く上げる工房の煙突が見える。

 その輪郭だけははっきりと見えた。

 もう、祖父はいない。

 それでも工房にはレナさんがいて、街には仲間たちがいる。

 だから——私は歩き出せる。


「おーい」


 門の外からロッシが大きく手を振った。先に外へ出て待っていたらしく、呆れたような笑顔をこちらへ向けている。


「置いてくぞー」


 思わず苦笑する。

 軽口ばかり叩いて、飄々としていて。

 でも、本当に大事な場面では誰より真剣になる。

 そんな人だというのが、なんとなくだけど分かった。


「——ギル」


 アドネアが優しく微笑む。落ち着いた声色だった。


「準備はいい?」


「うん」


 私は肩に掛けた機工具の肩紐を握り直した。

 祖父が何十年も使い続けた革袋。どこもかしこも傷だらけで、あちこちにジルの手直しの跡がある。昨日より少しだけ——その重さが身体へ馴染んできた気がした。


「じゃあ、出発しましょう」


 三人は並んで街道を歩き始めた。


 王都へ続く幹線街道。今回の目的地は、その途中にある第三龍脈中継塔だ。龍脈の流れを各都市へ安定して届けるための重要な設備で、都市修復機構が完成した今だからこそ、一度点検しておく必要がある。ジルが生きていれば、本来は彼が向かうはずだった仕事だった。


 今は——その役目を私が引き継ぐんだ。


 ▼△


 歩き始めて一時間ほど。

 街道はいつしか深い森へ分け入っていく。

 木漏れ日が石畳の上に揺れて、鳥のさえずりだけが静かに響く。

 イェネファの街の喧噪が遠くなるにつれ、空気まで違う匂いがする気がした——草と土と、どこかしら朝の冷たさを含んだ、清らかな森の匂い。


 すると、前を歩いていたロッシが不意に足を止めた。


「あー……こりゃ面倒だな」


 街道の先を一本の大木が完全に塞いでいた。

 昨夜の強風で根ごと倒れたのだろう。荷馬車一台分ほどの太さがあり、まるで誰かが道に意図して転がしたかのようにどっしりと横たわっている。


「迂回する?」


 アドネアが周囲を見回す。

 ロッシは迷わず木へ手を掛けた。


「いや、どかせ……」


 ぐっ、と全身で力を込める。

 しかし木はびくともしない。


「重っ……」


「貸して」


 自然と口から出ていた。

 二人がこちらを見る。

 私は倒木の前へ立ち、左腕の袖を少しまくり上げた。指先で袖口を引っ張り、肘のあたりまで折り返す。銀色の義手が朝日に光る。祖父が作ってくれた、私だけの腕。手首を軽く捻ると——


 カチッ。


 内部で歯車が噛み合う音がした。続いて、細い蒸気が関節の隙間からふわりと漏れる。


 肉体機工補助(ルミナム)が起動する。


「よいしょ……!」


 腰を落として重心を下げ、義手を倒木へ掛ける。


 ギギギ……。


 木がゆっくりと持ち上がる。右腕も添えて身体全体で押し込むと、倒木は轟音とともに街道脇へ転がっていった。土煙がもうもうと舞い上がる中、私はゆっくりと、深く吸い込んでいた息を吐き出した。義手の熱が、腕の付け根のあたりまでじんわりと伝わってくる。


「……ふぅ」


 ロッシはぽかんと口を開けていた。


「すげぇ……。その義手、そんな力まで出るのか」


「普段は——ここまで使わないよ」


 私は義手を見つめる。

 関節がほんの少し熱を持っていた。


「じいちゃんが言ってたの。『力任せじゃ壊すだけ』って。——だから必要な時だけルミナムを使うように、力の上限を調整してくれてるんだ」


 ロッシは義手を興味深そうにしげしげと見つめてから、ゆっくり頷いた。


「なるほどな——武器じゃなくて、仕事道具なんだ」


「うん——」


 その一言が、少し嬉しかった。

 多くの人は義手を見ると、戦うためのものだと思う。

 でも違うの。これは壊すための腕じゃない。直すための腕。祖父が私へ残してくれた、大切な仕事道具だった。


「さて」


 アドネアが明るく笑う。


「これで今日最初の修復は終わりね」


「まだ修復ってほどじゃ……」


「機工士は困っている人を助ける仕事でしょう?」


 その言葉に、私は少し照れくさくなる。

 祖父なら何と言っただろう。


 

『ほれ、仕事一つ終わったの。』


 

 きっと、しわだらけの顔をほころばせてそう言う。

 私は小さく笑った。


「……うん」


 三人は再び歩き始める。

 街道は緩やかな上り坂へ変わり、森の向こうから風が吹き抜けた。湿った木の葉が揺れて、光が躍る。


 その時だった。

 右目の奥が、かすかに熱を帯びた。


「……?」


 私は思わず足を止めた。


「ルミナム——」


 小さく呟く。

 視界の色が一瞬だけ変わった。地中を流れる龍脈が、淡い蒼色の光となってくっきりと浮かび上がる。街道の真下を、大河のようにゆったりと流れる一本の龍脈。その流れを確認して、私はほっと息をつく。


「異常は——ない、か」


 思わず口にすると、ロッシが振り返った。


「何か見えたか?」


「ううん」


 私はルミナムを解除する。


「ただ確認しただけ。じいちゃんが言ってたの。『街道を見る時は道じゃなく、龍脈を見ろ』って。龍脈が元気なら、人も街も元気に繋がるからって」


 ロッシは帽子を深くかぶり直して、小さく笑った。


「——なるほどな。機工士ってのは、歩きながらでも仕事をしてるんだ」


 私は少しだけ胸を張る。


「そ。だから忙しいの」


「こりゃ失礼しました、看板娘兼機工士様」


「——その呼び方やめて」


「え? 本当のことだろ?」


 アドネアがくすっと笑う。


「街では有名だったものね。銀髪の看板娘」


「アドネアまで……」


 耳まで熱くなる。

 旅に出ても、その呼び名からは逃げられないらしい。

 二人の笑い声が森の梢へ溶けていく。

 私は少し頬を膨らませながらも、どこか胸の奥が軽くなっていることに気付いた。祖父を失った悲しみは消えない。胸の穴も、そのままだ。それでも——一歩ずつ歩いている。祖父が歩いた道を。祖父が守り続けた街道を。そして、その先にある第三龍脈中継塔へ向かって。


 △▼


 森を抜けると、視界が一気に開けた。風が草原を渡っていく。私は歩きながら、何気なく左手を開いた。銀色の義手は、陽光に照らされて静かに光を返す。この腕にも、もうすっかり慣れた。そう思えるようになったのは、ここ最近のことだった。


「……不思議」


 思わず口をついて出た。


「何が?」


 隣を歩くアドネアが首を傾げる。

 私は少し考えてから答えた。


「この腕」


「まだ一年しか経ってないのに、ずっと前から使ってた気がして」


 義手になったのは、一年前。最初は指一本動かすだけでも苦労した。それなのに今では、もう自分の身体の一部のように動いてくれる。


「ギルは飲み込みが早いもの」


 アドネアは微笑む。


「いや——」


 私は首を振った。


「そうじゃない気がする」


 言葉を探すように空を見上げる。淡い青の向こう、白い雲が流れていく。


「……初めて触るはずなのに。初めて作る部品なのに——時々ね」


「“知ってる”って思うことがあるんだ」


 ロッシが振り返る。


「知ってる?」


「うん。手が勝手に動くの。この歯車ならこう削る、とか。このネジはここへ入る、とか——考えるより先に、身体が覚えてる感じ」


 自分でも上手く説明できない。でも確かに、そういう瞬間がある。知らないはずなのに知っている。初めてのはずなのに懐かしい。そんな感覚。


 アドネアは少しだけ考え込んでから、静かに笑った。


「積み重ねじゃない?この六年間、毎日工房にいたでしょう」


「そう……なのかな」


「そうよ」


 アドネアは迷いなく頷く。


「私は知ってるもの。誰よりも遅くまで工房に灯りがついてた日。そのほとんどで、ギルも一緒だった」


 私は少し照れくさくなる。確かに十一歳で工房へ来てから、学校よりも、広場よりも、工房にいる時間の方が長かった。街の人から「看板娘」と呼ばれていても、実際は接客より機工弄りに夢中で、作業場に籠もっている時間の方がずっと長かったくらいだ。


「遊んでるところなんて、ほとんど見たことなかったわ」


「う……」


「図星?」


「……図星」


 思わず苦笑する。

 ロッシが大げさに肩をすくめた。


「じゃあ今から少し遊べ。旅くらい肩の力抜け」


「任務なんだから遊ばないよ」


「——真面目だなぁ」


「誰かさんほどじゃない」


「ひどい」


 三人の笑い声が草原へ溶けていく。


 その時だった。

 ふと、風が強く吹き抜けた。視界の端で、何かが揺れた気がした。

 金色の麦畑。知らない女性の後ろ姿。誰かの笑い声——。

 ほんの一瞬。夢のように浮かんでは、消えた。


「……?」


 私は立ち止まり、その残像を追うように視線を彷徨わせた。


「どうした?」


 ロッシが振り返る。


「ううん」


 首を振る。


「今……何か思い出しそうだった」


「夢?」


「分からない」


 本当に分からない。十歳までの記憶は、白紙だ。名前も。家族も。故郷も。何一つ思い出せない。それなのに、時折こんなふうに、断片だけが胸の奥を掠めていく。掴もうとすると、霧のように消えてしまう。


 アドネアは何も聞かなかった。ただ、少しだけ歩幅を合わせて隣へ並ぶ。


「急がなくていい」


 それだけ言って微笑んだ。

 私は小さく頷く。

 過去は、まだ思い出せない。でも今は、それでいい。私には歩くべき道がある。そして、その道の先には、機工士として初めて任される仕事が待っている。


 夕暮れが近づく頃、三人は街道沿いの小さな宿場へ辿り着いた。

 十数軒ほどの家屋が身を寄せ合うだけの小さな集落だったが、旅人や荷馬車の往来は意外と多い。橙に染まる空の下、商人たちが荷を降ろし、井戸端では子どもたちが笑いながら走り回っている。活気があった。イェネファとは比べるべくもないけれど、それでも、人の暮らしはここにもちゃんとあった。


「今日はここで泊まりね」


 アドネアが宿の看板を見上げた。


「明日の朝早く出れば、お昼前には第三龍脈中継塔へ着けるはずよ」


 ロッシは大きく伸びをして、ぱきぱきと関節を鳴らす。


「ようやく飯だ!」


「それしか考えてないの?」


「旅の楽しみだろ?」


 そんな二人の横で、私は宿場をゆっくり見渡した。都市ほど大きくはない。けれど、建物のあちこちに機工設備が使われている。井戸の揚水機。水路を切り替える小さな歯車機構。街灯を支える昇降装置。規模は違っても、人の暮らしはどこへ行っても機工によって支えられている。


「……」


 自然と足が止まる。


「ギル?」


「——ごめん、少しだけ」


 私は街道脇に設置された給水ポンプへ歩み寄った。

 古い鋳鉄製の機構。使い込まれた痕跡はあるが、丁寧に手入れされている。持ち主が大切にしているのが伝わってくるようだった。左手で本体へ触れる。右目に埋め込まれたルミナムが静かに起動した。視界の色が僅かに変わる——歯車の回転、軸受けの摩耗、内部を流れる龍脈の補助流路。外からでは見えない構造が、淡い光の線となって浮かび上がる。


「……なるほど」


 ロッシが興味深そうに近づいてくる。


「何が分かった?」


「軸が少し摩耗してる。あと一年くらいで交換——かな」


「見ただけで?」


「見たというより……」


 私は苦笑する。


「見えてる」


 ルミナムを解除すると、世界はいつもの景色へ戻った。


「便利だな」


「便利だけど——見えるだけ」


 私は首を横へ振る。


「直すのは結局、自分の手だから」


 そう言って左手を見つめる。この腕は力任せに機械を扱うためのものではない。精密な調整を行うための機工義手。人の指では届かない狭い場所へ工具を差し込み、細かな力加減で歯車を組み付ける。機工士として働くために作られた腕だった。


 その時だった。


「お姉ちゃん!」


 元気のいい声が響いた。振り返ると、十歳くらいの男の子が勢いよく駆け寄ってくる。


「それ、機工士さんの腕?」


 義手を見つめる瞳は、恐れるどころか好奇心でいっぱいだった。


「……そうだよ」


「すげぇ!触ってもいい?」


 一瞬だけ迷う。するとアドネアが優しく頷いた。私は膝をつき、左手を差し出した。男の子は恐る恐る指先へ触れる。


「冷たい——でも動く!」


 嬉しそうに目を輝かせる。


「お父さん!見て!」


 少年が後ろへ振り返った。少し離れた場所で荷馬車を整備していた男性が、苦笑しながら駆け寄ってくる。


「すみません。機工士さんを見るのが初めてで」


「気にしないでください」


 私は立ち上がり、そのまま自然な流れで荷馬車へ目を向けた。そこで違和感に気付く。


「車輪……」


 木製スポークの一本に、小さな亀裂が走っていた。


「どうしました?」


「——あの、このままだと危ないです」


 男性は驚いたように車輪を覗き込む。


「え?」


「まだ普通に走れますけど……山道に入ったら折れるかもしれません」


 男性の表情が変わる。


「本当ですか?」


 私はルミナムを起動し直す。内部まで亀裂が伸びているのが見えた。やっぱり、思ったより深い。


「応急処置ならできます」


「え?」


 私は腰の機工袋から、小さな固定金具と締結具を取り出した。必要な部品だけが整然と収められている袋——ジルが長年かけて最適化した、工房の知恵の結晶だ。左手で車輪を支え、右手で固定具を合わせる。金具を締める角度。木材へ負荷が掛からない位置。一本一本、慎重に締め付けていく。


 数分後。


「これで大丈夫です」


 男性は恐る恐る車輪を回した。先ほどまで感じていた微かな軋みが消えている。


「すごい……こんな短時間で」


 私は笑って首を振った。


「ただの応急処置です。中継塔から戻る頃には交換してくださいね」


「ええ、必ず」


 深々と頭を下げる男性の隣で、少年が目を輝かせていた。


「お姉ちゃん!ありがとう!」


 私は少し照れくさくなって笑う。


「どういたしまして」


 三人が宿へ向かって歩き出すと、ロッシが感心したように口を開いた。


「なるほど。これが機工士か。戦うだけじゃないんだな」


 私は首を振る。


「むしろ、こういう仕事の方が多いよ。壊れたら直す。壊れる前に気付く。誰かが困る前に動く。それが機工士」


 アドネアは静かに頷いた。


「だからギルドも機工士を信頼しているの。冒険者は依頼を解決する。機工士は、その依頼が生まれないように支える」


 ロッシは腕を組み、小さく笑った。


「なるほど。明日は、もっとでかい”修理”ってわけか」


 私は西の空を見上げる。夕日に照らされた雲が、橙から紅へ、じわりと色を変えていく。その向こうに第三龍脈中継塔がある。明日、私は初めて正式な機工士として、その塔を点検する。それは祖父の代役ではない。ギルベルタという一人の機工士として任された、最初の仕事だった。


 ▼△


 翌朝——

 夜露をまとった草原を、三人は西へ向かって歩いていた。朝靄はまだ薄く残り、草を踏むたびに靴先がしっとりと濡れる。遠くで鳥が鳴いて、それきり静かになった。


「あと少しね……」


 アドネアが地図を畳みながら言った。


「この丘を越えれば見えてくるはずよ」


 私は小さく頷いた。右目に埋め込まれたルミナムを起動する。視界の奥に、一本の蒼い光が空へ向かって伸びているのが見えた。地中を流れる龍脈が、一点へ集まり、再び各地へ分岐していく——間違いない。


「——あそこ」


 私は丘の向こうを指差した。


「中継塔」


「まだ見えないけど?」


 ロッシが首を傾げる。

 そう答えた直後だった。三人が丘の頂上へ足を踏み入れた瞬間。


「……おお」


 ロッシが思わず声を漏らした。

 草原の中央に、巨大な塔がそびえ立っていた。白い石と鋼鉄で造られた円柱状の建造物。二十メートルを超える塔の表面には無数の歯車と導力管が巡り、最上部では巨大な制御環がゆっくりと、静かに回転している。地中から集められた龍脈は塔の中心を通り、王国各地へ送り出されているのだ。街で見てきた都市修復機構より規模は小さい。それでも、その存在感は圧倒的だった。


「これが……」


 私は息を呑む。教本で何度も見た。工房でも模型を組み立てた。だけど、本物を見るのは初めてだった。


「綺麗……」


 朝日に照らされた歯車が黄金色に輝いている。規則正しく回る駆動輪。龍脈の鼓動に合わせて脈打つ導力管。巨大な機械でありながら、まるで一つの生命のようだった。


 しばらく見惚れていると、アドネアが苦笑する。


「ほら——見学じゃないのよ」


「……あ」


 少し恥ずかしくなっているとロッシが笑った。


「気持ちは分かる。俺も初めて見た。で?今日は何するんだ?」


 私は表情を引き締める。


「まず外周点検。それから導力圧の測定——最後に制御機構の確認。異常がなければ半日くらいかな」


「なるほど」


 ロッシは塔の周囲を見渡す。


「じゃあ俺は周囲を見てくる。魔物でも出たら面倒だからな」


「お願い」


 アドネアも頷いた。


「私は記録を取るわ」


 三人は自然に役割へ散っていく。私は塔の正面へ立った。重厚な鋼鉄製の扉。中央には王国機工局の紋章。その下へ、小さな認証盤が埋め込まれている。


「——これか」


 私は左手を認証盤へ添えた。冷たい金属の感触。義手だから認証できないかもしれない——そう思った瞬間。認証盤の奥で、淡い光がゆっくりと灯った。


 ——機工士資格、確認。


 低い駆動音とともに、扉の内部で錠が外れていく。

 ゴウン……。

 ゆっくりと、重い扉が開いた。


「入れるんだ」


 ロッシが感心したように呟く。


「当然よ」


 アドネアが笑う。


「イェネファで登録された機工士しか開けられないもの」


 私は少しだけ緊張しながら、中へ足を踏み入れた。ひんやりとした空気が肌を撫でる。塔の内部は想像以上に広かった。中央には天井まで伸びる巨大な主軸。それを取り囲むように大小無数の歯車が噛み合い、ゆっくりと回転している。一定の間隔で刻まれる振動。歯車同士が滑らかに噛み合う音。油の匂いに——金属の匂い。静かな、でも確かな鼓動。


「……」


 私は思わず深呼吸する。落ち着くな、工房と同じ匂いだからかな——。


「仕事を——始めます」


 誰へともなくそう呟いて、腰の機工袋から点検用の計測器を取り出した。主役は、自分の目と手だ。右目のルミナムを起動する。視界いっぱいに、塔の内部構造が蒼い線となって浮かび上がった。


「……?」


 私は僅かに眉をひそめた。

 主軸に異常はない。歯車の摩耗も想定の範囲内。導力管にも亀裂は見当たらない。それなのに——。


「どうした?」


 戻ってきたロッシが尋ねる。私はゆっくりと首を傾げた。


「おかしいの……どこも壊れてない。でも……」


 ルミナムが、何かを捉えている。塔そのものではない。もっと深い場所——塔の真下、地中を流れる龍脈の、そのさらに奥。まるで誰かが、龍脈の流れを静かに”覗いている”ような、微かな違和感。私は視線を床へ落とした。


「……気のせい、かな」


 今は、異常と断定できるほどではない。数値も設備も正常。報告書にも書けないほど小さな違和感だった。

 それでも——機工士としての勘が、小さく胸をざわつかせていた。


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