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機工技師 ─ルミナム・ストライド─  作者: ask


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15/20

「前へ」

 私はギルドに顔を出してアドネアと合流すると、自身の工房へ足を進めていた。修繕が進む街並みを眺めながらゆっくりと二人で家に向かっていると、アドネアはふと、工房の前で立ち止まった。

 いつも整えられている制服には、まだ焼け焦げた跡が残っている。包帯の巻かれた左手で、一冊の厚い帳簿を先ほどから強く抱えている。


「……ギル」


 その声には、もう戦場で見せていた張り詰めた強さはない。

 少しだけ、疲れていた。


「少し時間、もらえる?」


 私は頷く。


「なぁにその他人行儀な感じは。それに私が今日は手伝って欲しくて呼んでるのに。それで——どうしたの」


 アドネアは帳簿を胸へ抱えたまま、小さく息を吐いて少し自嘲気味に苦笑した。


「本当なら——。あと一週間くらいは、誰にも仕事なんてさせたくないんだけどね。時間でしか癒すことが出来ないものだってあるよね……」


 アドネアの気持ちを追う様に風が吹く。工房の煙突から、細い煙が空へ昇っていく様は二人の感情の速度を表す様にゆったりと形を成さずに漂っている。


「でも」


 その一言で、彼女の表情が変わる。

 クラス・ハーシュ・ギルドのサブマスターの顔だった。

 帳簿を開くと紙には、びっしりと依頼が並んでいた。


 破れたページ。血で滲んだページ。急いで書き足された文字にページを跨いだ書き足しの数から、凄まじい激務が想像できた。


「今回の襲撃で、職人が二十八人亡くなった」


 静かな声だった。


「——治癒師が十一人」


 ページをめくる。


「冒険者は三十二人」


 さらにめくる。


肉体機工補助(ルミナム)を扱える工房は四か所が焼失——水路はまだ半分しか復旧してないし北門の昇降機も動かない」


「それに——外壁は三か所崩れたまま」


 私は何も言えなかった。戦いは終わった。そう思っていた。違う。本当の仕事は、ここからだった。

 アドネアは帳簿を閉じる。少し笑いながら言葉を続けた。


「街は助かった——だからこそ、今度は私たちが止まれないのよ」


 アドネアは少しだけ黙った。

 言うべきか迷っている。そんな顔だった。


「……まだあるの?」


 私が尋ねると、彼女は小さく頷いた。


「うん……これは、ギルドでも一部しか知らない」


 懐から折り畳まれた地図を取り出すとそこには赤い印が、一つ。


「昨日。都市の外へ出していた調査隊との連絡が途絶えたの」


 私は地図を見る。その場所を見た瞬間。胸がざわついた。


「……此処って」


「そう——」


 アドネアが静かに頷く。


「ジルさんが、生前ずっと近づくなと言っていたエルファルナ鉱山」


 肉体機工補助(ルミナム)ドクターが特に使用する機会の多い鉱物。エルファルナ。機工士にとってはきっても切り離せない鉱山の名前だ。


 工房の鐘が、小さく鳴った。


 カラン。


 二人とも、自然と煙突を見上げた。


「……偶然とは思えないのよ」


 アドネアが呟く。


「私も——」


 アドネアは帳簿を静かに閉じた。革張りの表紙を撫でる指先には、小さな擦り傷がいくつも残っている。ここ数日、まともに眠っていないのだろう。目の下には薄く隈ができているし、正直友達として休んで欲しい。


「……少しは休んだら?」


 私がそう言うと、アドネアは困ったように笑う。その擦り切れたインクまみれの指先をこっちに向けて振り返った。


「それ。レナさんにも言われた」


 工房の方を見る。

 開いた窓からは、レナさんが静かに掃除をしている姿が見えた。昨日までジルが使っていた作業台を、一つひとつ丁寧に拭いている。

 そこに悲壮感はなかった。

 寂しさを抱えながらも、この場所を守ろうという強さがあった。


「でもね」


 アドネアは再び苦笑する。


「サブマスターって、案外休めない仕事なの」


 そう言って、もう一度帳簿を開く。


「避難所の食料の手配」

「仮設住居の割り振り」

「行方不明者の捜索」

「復旧資材の調達」

「冒険者への依頼」


 一つ読み上げるたび、赤い印が付けられていく。


「昨日だけで百件以上」

「そんなに?」


 思わず目を丸くして驚きを隠せなかった。確かに先日の戦いの規模から考えるとそれくらい当然だった。甘いのは私の認識だったと痛感する。


「まだ増えてる」


 そう言いながら、肩を竦める彼女が少し気の毒だった。


「でも——みんな困ってるから。それに普通の都市と比べたら復旧の速さってやっぱ段違いっていうか?機工様様!ってところね」


 その言葉に、私は街を見渡した。

 修復は始まっている。

 でも——まだ元通りには程遠い。

 崩れた建物。煙を上げる鍛冶場。折れた水車。あちこちで人々が汗を流している。

 戦いは終わった。けれど、暮らしを取り戻す戦いは始まったばかりだった。


「ねぇ、ギル」


 アドネアの声が少しだけ低くなる。


「一つだけ、気になることがあるの」


 私は視線を戻した。彼女は周囲を確認すると、声を潜める。


「これは、ギルドでも私とマスターしか知らない話」


 懐から、一通の封筒を取り出した。封蝋には、ギルドの紋章が刻まれている。しかし、その封蝋は途中で割れていた。


「昨日の朝、支部から届いた報告書」


「報告書?」


「本部へ向かう定期便だったの」


 封筒から一枚の紙を抜き出す。

 端は焼け焦げ、ところどころ血が滲んでいた。


「伝令が街の手前で倒れていた」


 私は思わず息を呑む。


「……助かったの?」


 アドネアは静かに首を横へ振った。


「最後まで、この報告だけは離さなかった」


 紙を受け取る。

 そこには乱れた文字で、短く書かれていた。


『北方旧坑道にて異常を確認』

『封印機構、一部損壊』

『黒い龍脈に類似する反応』


 その先は、血で滲み読めなくなっていた。


「北方旧坑道……」


 聞き覚えがある。幼い頃、ジルに連れられて街の外へ出た時、一度だけ遠くから見たことがある場所だった。


 

『あそこには近づくな』

 


 理由は教えてくれなかった。ただ、それだけは珍しく厳しい口調だったのを覚えている。私は紙から目を上げるとアドネアをまっすぐに見つめて尋ねた。


「今回の事件と関係あると思う?」


「——まだ分からない」


 アドネアは正直に答えた。


「でも——」

「でも?」

 

「タイミングが良すぎる。仮面の男が現れたこと。黒い龍脈。そして、この報告。一つひとつは繋がっていない。けれど、どこかで一本の線になっている気がして……」


「マスターは?」


「本部との連絡を取ってる」


「調査隊を出す予定?」


「そのつもり——」


 アドネアは少しだけ言葉を切る。

 それから、私を真っ直ぐ見つめた。


「でも……本当は」


 珍しく、自信のない笑みを浮かべる。


「ジルさんがいてくれたらって、何度も思っちゃったんだ」


 その一言に、胸が締めつけられる。

 きっと彼女は、この数日ずっと一人で抱えてきたのだ。

 街のこと。ギルドのこと。亡くなった仲間のこと。そして、これから起こるかもしれない新たな脅威のことも。私は機工具の肩紐を握り直した。


「——ジルのじいちゃんはいない」


 ゆっくりと言う。


「でも」


 アドネアが顔を上げる。


「工房は残ってる」


 腰のレストアレンチへ手を添える。


「それに——弟子もいる」


 少しだけ笑うと、アドネアもつられて笑った。


「そうだったね」


 その笑顔は、ようやく張り詰めた糸が少しだけ緩んだように見えた。

 時計台の方から、昼を告げる擬音が響いた。二人は同時に顔を見合わせた。


「……本当にこの音——センスない」


 二人で私が肩をすくめて少しだけ笑い合うとアドネアはいつものサブマスターらしい、少し意地悪そうな笑みを浮かべた。


「依頼書は山ほどあるわよ、機工士さん」


「えぇ……っと、お手柔らかに……お願い、ね」


「安心して」


 帳簿を抱え直しながら歩き出す。


「休む暇なんて、ちゃぁんと()()()()()()から」


「それ、怖すぎるよ……」


 二人で思わず笑う。何度か繰り返した、その笑い声はまだ少しぎこちなかったけれど。

 確かに昨日よりも、少しだけ前を向いた笑顔だった。


 すると——

 

 昼時を知らせる時計塔の擬音とは違う、装備品が軽快に擦れる衣擦れの様な一定のリズムで軽やかに声が聞こえた。


「おーい、アドネア!」


 聞き覚えのある、妙に明るい声が響いた。


「依頼終わったぞー!報酬は金じゃねえ!肉料理で頼む!」


 私は思わず顔を上げる。


「あ」


 ギルドで会った冒険者だった。

 数日前も確か——こんな調子だった。

 アドネアに久しぶりに会いにいく時に出会った冒険者の一人。あの時は妙に絡まれて面倒だった記憶がある。あの時とは——なんだか雰囲気が違う。

 アドネアは呆れたように肩を落とす。


「ロッシ」


「工房では静かにしなさい」


「……あ」


 ロッシはようやく祭壇へ目を向ける。

 飾られた遺影。

 花。

 機工具。

 機工銃。

 さっきまで浮かべていた笑顔が、音もなく消えた。

 帽子を取る。

 ゆっくりと胸に抱く。

 一歩——また一歩。

 祭壇の前まで歩くと、静かに頭を下げた。


「……間に合わなかったか」


 その声には、もう冗談の欠片もなかった。

 工房に沈黙が落ちる。誰も言葉を挟まない。長い時間が流れたあと、ロッシは目を閉じたまま呟く。


「すまねぇ。約束、守れなかった」


 私は思わずロッシを見る。その横顔は、数日前の横柄な冒険者とは別人のようだった。


 アドネアが静かに口を開く。


「西部街道の件は仕方なかった——」


 ロッシは首を横に振る。


「仕方なくなんかない。俺がもっと早ければ」


 拳を握る。


「一時間……いや、三十分でも早く帰れてたら。違ったかもしれねぇ」


 その姿を見て、私はようやく分かった。

 この人は。

 みんなを安心させるために、笑っている人なんだ。

 ロッシはゆっくりこちらへ振り返る。

 今度は少しだけ笑った。


「……暗い顔ばっかしてても、ジルさんに怒られる……『湿っぽい空気は鉄まで錆びさせる』って、よく言われただろ?」


 思わず吹き出してしまう。


「……言いそう」


「だろ?」


 ロッシはニッと笑う。

 その笑顔は少しだけ無理をしているようにも見えた。

 それでも。その場にいた全員の肩から、少しだけ力が抜けた。

 ロッシは鼻をひとつ鳴らすと、祭壇の前からゆっくり離れた。

 さっきまでの重苦しい空気を追い払うように、大きく伸びをする。


「はぁー……」


 わざとらしく肩を回しながら笑った。


「三日ぶりに街へ帰ってきたってのに、誰も『おかえり』って言ってくれねぇ」


 アドネアが呆れたようにため息をつく。


「帰ってきて最初に言うことが、それ?」


「一番大事だろ?俺、結構寂しがり屋なんだわ。」


「初耳よ」


「言ってないからな」


 そんなやり取りに、思わず口元が緩む。

 ロッシはそれを見逃さなかった。


「お、やっと笑った」


「……え?」


「その顔だ」


 指を差されて、私は慌てて視線を逸らす。


「街中のみんながお前に期待してるのは、その顔なんだからよ」


「……何それ」


 出所のわからない気恥ずかしさが勝って、少し俯き気味に続けた。首を傾げると、ロッシは本気で驚いたような顔をした。


「——知らないのか?」


「何を?」


「お前、自分が街でどう呼ばれてるか」


 私はアドネアを見る。

 アドネアは一瞬だけ目を泳がせる。


「……言ってなかった?」


「何も」


「えぇ……」


 今度はアドネアが困ったように笑った。

 ロッシは腕を組み、大げさに頷く。


「ギルドじゃ有名だぞ。ジルさんの孫。若いのに腕のいい機工士。工房の看板娘だろ……それから——」


 にやり、と悪戯っぽく笑う。


「銀髪超絶美人」


「…………」


 一瞬、頭の中が真っ白になる。


「なっ……!」


 思わず顔が熱くなる。


「な、何言ってるの!?ん?そう言えばあなたこの前もなんかそんな事——」


「事実——だろ」


 ロッシはけろりとしている。


「街の若い連中なんか、お前が工房の店番してる日は用もないのに工具買いに来るって噂だぞ」


「え?」


「使いもしねえ肉体機工補助(ルミナム)を買うわ、釘一本だけ買って帰る奴までいるってぇ話だ」


「うそ……」


 思わずアドネアを見る。

 すると、彼女は苦笑しながら肩をすくめた。


「……本当」


「私も何回か見たことある。依頼を出しに来たと思ったら、『ギルちゃん今日はいる?』って。前、何度か良くギルドには来てくれてた時期があったじゃない?あの時からかなり噂になって——」


「…………」


 恥ずかしさで頭を抱えたくなる。


「知らなかった……」


「ジルさんは気付いてたけどな」


 ロッシが笑う。


「『あいつら機工具なんぞ見とらん。孫ばっか見とる』って」


 その声色が、少しだけジルの口調を真似ていて。

 思わず吹き出してしまった。


「ふふっ……」


「あ。」


 笑った。

 本当に久しぶりに。

 自然に。

 ロッシは満足そうに頷く。


「その方が似合う」


 静かな声だった。


「ジルさんも、きっとそう思ってる」


 私は祭壇へ目を向ける。

 遺影の中の祖父は、いつものように少しだけ口元を緩めていた。


 ——『笑っとれ』


 そんな声が聞こえた気がした。

 胸の奥が、少しだけ温かくなる。

 まだ悲しいし、涙は止まらない。それでも。

 もっと、笑ってもいいのかもしれない。


 その時だった。


 コンコン、と工房の扉が控えめに叩かれる。

 振り返ると、小さな女の子が立っていた。

 両手には、不格好だけれど一生懸命束ねられた野花を抱えている。


「……ギルお姉ちゃん」


 震える声だった。


「ジルおじいちゃんに、お花……」


 私は静かにしゃがみ込み、その花束を受け取る。

 街は、確かに悲しみに包まれている。

 けれど同時に。

 ジルが守り続けた人たちは、ちゃんと前を向こうとしていた。

 その姿を見て、アドネアとロッシは静かに目を合わせる。

 言葉は交わさない。

 けれど二人の胸には、同じ思いがあった。

 この街は、まだ終わらない。


△▼


 ロッシは荷袋を床へ置くと、中から黒ずんだ鉄の塊を取り出した。


「実は——街道の調査だけじゃなかった」


 アドネアが顔を上げる。


「もう一つ依頼を受けてたんだ。西部街道の先にある《第三龍脈中継塔》此処が異常の発生点だったんだ。龍脈の流れがおかしくなってた」


 私は思わず反応する。


「中継塔?」


 機工士なら誰でも知っている。

 都市へ龍脈を安定して送り込むための古代機構。街の生命線だ。

 ロッシは頷く。


「調べてみたら、外から壊された形跡はなかったんだが——」


「じゃあ……」


「中で壊れてた」


 工房の空気が変わる。


「歯車が一枚だけ抜かれててな」


 私は思わず膝上の服の上に縫い留めた機工具を握る。


「そんなこと……普通はできない」


 アドネアも頷く。


「機工士でも限られた人しか触れない場所よ」


 ロッシは懐から布を取り出した。

 包まれていたのは、一枚の歯車。

 黒く煤けている——しかし、一目で分かった。


「これ……」


 私は息を呑む。


「じいちゃんの加工跡……」


 ロッシが静かに頷く。


「だから持って帰ってきた」


 工房が静まり返る。

 ジルは数年前。街の龍脈網をすべて点検しているのだ。つまり——


「誰かが意図的に……?」


 私は歯車を見つめる。


「じいちゃんが整備した施設を狙ってる」


「俺もそう思う」


 ロッシが言う。


「街を襲った連中は終わりじゃない。都市全体の機構を壊そうとしてたんだ」


 アドネアはすぐに帳簿を開く。そこへ地図を広げた。


「現在修復待ちの龍脈施設は七か所」


 赤い印が並ぶ。


「でも技術者が足りない……ジルさんを失った今、修復できる人がほとんどいない」


 私は地図を見る。そこには街中へ張り巡らされた龍脈の線。まるで血管のようだった。一本止まれば街全体へ影響が出る。


「ギル」


 アドネアが真っ直ぐ私を見る。


「これは、クラス・ハーシュ・ギルドからの正式依頼……ジルさんの代わりじゃない」


「機工士・ギルベルタへの依頼よ」


 私は驚く。初めてだった。祖父ではなく。私自身へ向けられた依頼。

 ロッシが笑う。


「もちろん護衛は俺にまかせろ。西部街道はまだ魔物がうろついてる。一人じゃ危ねぇ」


 私は工具袋へ目を落とす。

 中には、じいちゃんのレストアレンチ、ハンマー——そして。昔作った歪な歯車。


 カチリ。


 胸の奥で何かが回る。私はゆっくり頷いた。


「——受けます」


 アドネアが依頼書へ判を押す。


「依頼名——第三龍脈中継塔修復」


 ロッシが笑う。


「これが——」

「ジルさんの弟子としてじゃない。」

()()()()()()()()()()()最初の仕事だ」


 工房の外では、人々が瓦礫を運び始めている。

 復興はもう始まっていた。その中心へ。

 ギルベルタもまた、自分の機工具を持って歩き出した。


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