幕間 ─もう一度前へ─
葬儀の日は、よく晴れていた。あれほど荒れ果てていた空は嘘のように澄み渡り、街の煙突からは久しぶりに白い煙がゆっくりと立ち上っている。壊れた城壁はまだそのままなところが多い。崩れた建物も多い。
それでも、人々は前を向いていた。
瓦礫を運ぶ者。子どもたちを抱きしめる者。工房の前で折れた看板を掛け直す老人。誰もが、少しずつ日常を取り戻そうとしていた。
その街の中央広場には、数え切れないほどの人が集まっていた。
中央には、一つの棺。
機工士ジル。
この街を最後まで守り抜いた男。誰もが無言だった。泣き声さえ聞こえない。ただ風だけが、献花の白い花びらを揺らしている。私は棺の隣へ立ったまま風にただ静かに吹かれていた。
実感なんてない。
工房へ帰れば、いつもの椅子で昼寝をしている気がしてならなかった。
「……本当に寝てるみたい」
思わず笑ってしまう。
「また起きて、『ギル、仕事じゃ』って言いそう」
返事はない。
それでも、その穏やかな顔はどこか満足そうだった。
「ギル。」
優しい声がした。
振り返ると、レナさんが立っていた。
黒い喪服に身を包み、それでもいつもと変わらない穏やかな笑顔を浮かべている。
「レナさん……」
「ありがとうね」
その一言だった。
「え……?」
「最後まで——あの人の隣にいてくれて」
私は首を横へ振る。
「私……何もできなかった。」
「そんなことないわ。」
レナさんは棺へ視線を向ける。
「あの人ね……ふふっ」
少しだけ笑った。
「昔から、ギルの話ばかりしてたの。」
「え?」
「今日も失敗した、とか、歯車を削りすぎた、とか。機工具を隠したら泣いた、とか——」
思わず吹き出してしまう。
「そんな話まで……」
「毎日よ」
レナさんは小さく肩を竦めた。
「寝る前も。休みの日も。本当に、孫が可愛くて仕方なかったのね」
私は目を伏せた。
「でも、一回も褒めてくれなかった」
ぽつりと漏らす。
「もっとちゃんと褒めてほしかった。認めてほしかった。追いつきたかった」
涙が滲む。
するとレナさんは、少し驚いたような顔をした。
「え?——知らなかったの?」
「……何を?」
「あの人——」
くすりと笑う。
「私には、毎日自慢してたわよ」
「……え?」
「『あいつは儂なんかより筋がええ。』って」
私は固まった。
「『まだ言わん。まだ早い』って」
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥で、何かが崩れた。
「……もう」
涙が溢れる。
「本人に言ってよ……」
喉が震えて声にならなかった。
レナさんは静かに私の頭を撫でる。
「案外不器用な人だったわ。機械は直せても、人の気持ちは上手に伝えられなかったのね」
その手は、とても温かかった。
母親の手みたいだった。
△▼
少し離れた場所では、アドネアが街の人たちと話していた。
負傷者の確認。復旧作業の段取り。都市修復機構の残った機能の調査——と休む暇なんてない。
それでも彼女は、一度だけこちらへ歩いてきた。
「……終わった?」
私は頷く。
「うん」
「じゃあ」
アドネアは一枚の紙を差し出した。
「これは?」
「依頼書」
「……え?」
目を丸くする私へ、アドネアは少しだけ笑った。
「北地区の水路がまだ壊れてる。工房も屋根が抜けたまま。あぁそうだ、橋も一本、応急処置だけ」
紙にはびっしりと修理箇所が書かれていた。
「街中から届いてる」
「全部、『ジルの工房』宛て」
私は息を呑む。
「みんな、待ってるんだよ」
「……」
「ジルはいなくなった」
アドネアは真っ直ぐ私を見る。
「でも、工房はまだ終わってない」
その言葉に、私は依頼書を胸へ抱いた。
何枚もある。
どれも、人が生きていくために必要な仕事だった。
水車。
時計塔。
昇降機。
義手。
古い機工人形。
冒険者達の肉体機工補助まで——。
どれ一つとして、欠かせない、この都市の要。
誰かの日常を守る、大切な仕事だった。
工房の煙突が、小さく鳴った。
カラン。
思わず空を見上げる。
「……聞こえた?」
私が笑うと。
レナさんも。
アドネアも。
同じように笑った。
「ええ」
「聞こえたわ」
二人は声を揃えて——
「『ほれ、次の仕事じゃ。』ってね」
私は依頼書を抱え直す。
涙はもう流れなかった。悲しみが消えたわけじゃない。
きっと、一生消えない。
でも。
その悲しみを抱えたまま歩くことを、あの人は教えてくれた。
私は工房へ向かって歩き出す。
煙突から昇る白い煙が、青い空へゆっくりと溶けていく。
その煙はまるで。
一人の機工士が、最後まで守り抜いた街の未来を、静かに祝福しているようだった。




