第30章
一番は佐伯さん。投球練習の球が速かったこともあり、右打席のやたらベースから離れた位置に立った。
「美嘉ちゃん、右打席に立ってるけど?」
「ああ、佐伯さん、球が体の外からくるほうが見やすいからって。まあテニスはフォアハンドとバックハンド、両方使うしさ」
遠くから三球見て、ツーボールワンストライク。すべて速球、百二十キロ後半は出てそうだ。
「びびって手も出ないんじゃね?やっぱ女の子だよなー」
相手側から野次が飛んできたが、佐伯さんは聞いていない。次の一球、真ん中に来た速球を踏み込み、ちょこんと合わせた。打球はふらっと上がって一塁後方、うまく落ちたがファール。ボール三個分くらい切れた。
「あちゃー、アウトか。惜しい」
佐伯さんが戻って来かけたが、ネクストの桐谷さんに「美嘉ちゃん、ファールは次も打っていいんですの」と教えられ「あ、そっか」とまた打席に戻った。球場全体が爆笑。
「いやいや、お恥ずかしい」と照れたように言った佐伯さんの眼鏡の奥、しかしその眼は真剣なまま。
そして次の球も踏み込み、流し打った。しかしこれは内角の速球に詰まり、平凡な一飛。
「惜しかったですわ。でも美嘉ちゃん、かっこ良かったよ」
「えへっ、ありがと。薫ちゃんも頑張って」
どこか艶めかしくハイタッチして、次は右打席に桐谷さんが入る。構えは小さく、すっと立っているだけという印象。
また最初の三球は見るだけ、ワンボールツーストライクに追い込まれた。
この二人はテニス経験者だけあって反応は良いし、何より冷静だ。緩いカーブとシュートらしき球が来たし、後続が球種を見定めるのにも役立っている。
「まあ、いろんな方向に曲がるんですのね」
おっとりした口調で呟いた次の球、桐谷さんは短く持ち直したバットでカーブについていった。ぼてぼての三塁ゴロだったが、良いスタートを切っている。焦った三塁、赤岩の送球はツーバウンドになった上に逸れ、内野安打。初回から走者が出た。
こちらのベンチは早くもお祭り騒ぎだが、女の子がきゃあきゃあ言うと実に賑やかだ。
そして、その空気から切り離されたように静かな氷の女王が、神経質そうに打席の土をならす。異様に重心が決まった構えをとり、肩に置いたバットを跳ね上げた。
初球。
「危ないっ」僕が叫んだ時には、前田は後ろに倒れ込んで頭部付近に来た球を避けていた。半端なスピードの球だったし、おそらくは故意だろう。
「あの盆暗、さゆに何しくさるんじゃあ」
「姉、落ち着けよ。前田を見習え」
前田はまた、何事もなかったようにユニフォームの土を叩き落として足元をならしていた。帽子を取って形だけ謝罪していた森田もそれに面食らったのか、やや間を置いて二球目を投げた。




