奇跡編 1
日が沈み、真っ暗な王都を王家の紋が入った馬車がほとんど暴走といっていいほどの速さで走る。王都はそのほぼすべてが石畳の造りであるが、その車体は速度のせいかガタガタとすごい音を立てる。もともと、暗い夜を明るくする街灯などの照明器具があまり発達していない王国は、その王都とはいっても夜は何かの祭りでもなければ、とても静かなものであった。
それでなくとも、最近は凶事が続き、人々は何か起きないように、夜はしっかりと戸締りしてさっさと寝てしまう。そんな状況で、この馬車が響かせた音は夜の王都に良く響いた。何人もの人が、戸口をあけて、この闇夜を走る王家の馬車を見た。その尋常でない様子に、さらなる変事が起きるのでは不安が増した。
「急げ! 急いでくれ!」
「はい! 分かりました。危ないので、お座り下さい。お願いします!」
そんな静かな夜の破壊を企む、はた迷惑な馬車に乗っていたのは王子の側仕えコーショウであった。彼は深刻な表情で、馬車の中から御者に向かってとにかく急げと何度目かの無理なお願いを御者に命じる。御者は了解と答え、馬車の中で立ちながら命じるコーショウに座ることをお願いした。
馬車の目的地はドラムの屋敷である。ドラムの屋敷いる奇跡の使い手を王宮に連れてくるために、コーショウは馬車を急がせた。医者の見立てでは、刺されたサダーク王子は今夜が山場になるらしい。コーショウは少しでも、王子が助かる確率を求め、考え、ドラムの屋敷に高位の奇跡の使い手がいたという事を思い出した。すぐにメラク王子に許可を求め、コーショウは以前も案内を頼んだ御者に屋敷への案内を頼み、夜の王都を走らせた。
奇跡の使い手とは、一般的に治癒の奇跡、回復魔術の使い手を称する言葉である。その多くは、教会に属し、神の御業を習得したものにしか使えない。王宮で刺されたサダークを診断したのは薬師上がりの医師である。彼も決して腕が悪いわけではないが、あくまでも専門は解毒や調剤で、刺されたサダークに対しては止血、消毒、解熱などの処置を施すぐらいしかできなかった。
回復魔術は仕えるものが極端に少なく、素養が見込まれるものは全て教会が預かることになる。そこで専門的な教育を施すというが、実際は教会の力を保持する一つの力として独占されていた。定位の回復魔術は気休め程度のものであるが、高位のそれは本当に奇跡といわれるだけの力があり、明日をも知れぬ人々がその力をどれほど渇望しているのか、教会はその独占によって世界中どこでも一定以上の力を持っていた。
現在、王国ではその奇跡の使い手を頼める教会と険悪な関係にあると認識していた。少なくとも、大聖堂府は秘密裏に檄文を飛ばし、各国を扇動しているので、確実に敵であると考えられていた。サダーク王子はメラク王子に後事を託す際、自分の容態を決して明かすなと伝えていた。これは、内憂外患を抱えた王国の動揺を少しでも抑えるための考えで、メラクはその意思を継いで、初めコーショウの提案する奇跡の使い手を拒否した。
奇跡の使い手に頼るという事は、その者から兄の容態が知らることになる。また、最悪は、その者が奇跡と称してとどめを刺すことも可能性を考慮した。それでも、コーショウはメラクに食い下がり、言葉をつづけた。ドラムの屋敷いた奇跡の使い手は教会との関りがどうにも薄い事、何かあれば自分が責任を取ると約束してコーショウはメラク王子に詰め寄り、強引に許可を得た。
馬車はやがてドラムの屋敷の前で止まる。屋敷の前に門衛などが立っている様子はない。御者は取次を頼もうと、馬車を止めると、御者が降りる前に、コーショウが飛び出してドラムの屋敷をドン!ドン!と叩きつけ、大きな声を出した。
「夜分遅くに、申し訳ない! 王宮より参った! 誰か、誰かおらんか! 」
コーショウは何度か扉を叩き、中から返事が返される。
「はい、はい、どちらさんですか?」
「夜分にすまん。私はコーショウ、コーショウ・バッソと申す。王宮から火急の件で参った。」
「……王宮? ご用件は? 」
返事を返す者は、男なのか女なのか分からない不思議な声であった。こちらが身分を明かしても、特に慌てた様子がなく。どこか、超然とした様子で、用件を聞き返してきた。その様子に、コーショウは自分が疑われているのではないかと考え、腰に差した短剣を思い出す。
「疑っているのは分かる。こんな夜分に押しかけたものが怪しいと思っているのだろう。ここに家の紋がある。どうかこれで認めていただきたい。」
コーショウは、自分の家の紋が入った短剣を来客を確認するための小窓の前に見えるように持った。短剣のつかの部分に刻まれた紋章はバッソの家の紋であるが、暗闇の中でそれを確認するのはかなり難しいことであった。
「……、いや、見えるからいいけど、あんた、少し落ち着きな? 後ろの人、御者さんかな? 悪いが、そのまま少し待ってて頂きたい。」
門衛は小窓をあけて確認する様子もなく、コーショウと一言も発していない御者に声を掛け、門の前から気配が消える。
「信じてもらえたのか? 良かった。」
「ええ、しかし、なんで私にまで気づいたのでしょうか?」
コーショウは門衛に信じてもらえた事に安堵したが、御者は何か得もいえぬ不気味さを感じていた。




