激突編(王宮) 7
王宮へと向かう馬車の中、イダンソは未だに怒りが解けないのか、終始無言であった。もともと、親子の関係としてはほとんど破綻しているハイビッシャー家では珍しくもないが、王宮へ向かうわずかな時間とはいえ、不機嫌な大人が一緒の車内の空気は悪い。ザーマはそんな悪い空気の中で、いろいろと考えていた。
それはもちろん、この結婚が完全にお流れ、中止になった後の事、如何にノイエに会って、許してもらうのかという事であった。一番最後に、ザーマがノイエを目にしたのは、ノイエが婚約解消を言われた日の夜であった。
ノイエに婚約解消を伝えたと王子は真っ青な顔のまま、一言それをザーマに伝えた。
ザーマはその言葉を受け取ると満足げに、その場を足早に駆け出す。それは、達成感、満足感、思い描いた結果にようやくたどり着くという未来への希望が足を軽くさせる。そして、太陽が沈み、夜のとばりが降りた学園をくまなく探し回り、宿舎の裏口で一人空を見上げるノイエを見つけた。
既に、季節は盛夏を過ぎ、夜は肌寒いと感じるほど冷え込む季節、ノイエは一人で何者も近づけない孤独な気配をまとって立っていた。先ほどまで、うるさいと感じるほど騒いでいた虫の音が急に物悲しい音楽に聞こえ、足元を照らすぐらいの月明りが、まるでノイエだけを照らすスポットライトのようにそこだけを照らしていた。明るく照らされているのに、ノイエ自身には暗い影がかかり、目元に光る雫のみが光を返していた。
陳腐に言えば、まるで絵のような光景に、ザーマは立ち止まり息をのむ。はじめ、ザーマはノイエに、励ましの言葉を、支えるための言葉を、いかにも心配しましたという顔でかけるつもりであった。しかし、その言葉を口から出すことはできなかった。
ここにきて、自分がこれまでどのようなことを行ってきたのか立ち止まって考えてしまった。
それは、最初は善意であった。ノイエが、お姉様が死んでしまうかもしれないという予知を覆すための最大限できる予防措置、必要な処置であると思って行動した結果だ。
……、しかし、それだけであろうか? その善意という気持ちの中に、自分のどす黒い欲望があったのではないだろうか?
思い返せば思い返すほどに、ザーマは自身が冷静に、冷酷に、一手一手を打ち進めていたことに気づく。人の気持ちを、感情を無視して、自分が思い描く結果にたどり着く為に、最良の手を最善の手だと騙して打ち進めていた。
それは、かつて、自分の母親がしてきたことより凶悪で、邪悪なことだと、ここにきて、ようやくザーマは気づく。そして、気づいたザーマの口から出てくる言葉は謝罪であった。何に対しての謝罪なのか、ザーマの口からは繰り返し、ごめんなさいと続ける。
そして、ノイエがこちらを向いているのに気づくと、それまでの愛おしいと感じていた顔に、所作に恐怖を感じた。それは、圧倒的な恐怖であった。自分がしでかした罪の重さが、形がノイエの姿に重なっておぞましい化け物ように見えた。
ザーマはその後、自領に引きこもる。王都には一切出ることはなく、いつの間にか決まった結婚話もほとんど寝耳に水の事であった。それを抗議しようにも、王都にいるはずのノイエことを思うと足が重くなり、とにかく、そちらに向かわないように振舞い続けた。
しかし、今回、この結婚が破談となることになれば、ザーマはノイエと同じ経験をした事になる。これだけで、全てが許されるはずはないと思っているが、何もせぬままでは、ノイエの下に顔を向けることができない。ザーマは、この破談をきっかけにして、再びノイエの傍に立てるのではないかと考えていた。
やがて、ハイビッシャー家の馬車は、王城の前に着き、助手を務める家令のバスが門衛に用向きを伝える為に馬車を離れると、イダンソはザーマに向かっていきなり言葉を発した。
「ザーマ、これから王宮に向かうが、お前は一切喋るな!王子の前で泣け!」
「……」
「聞いているのか? お前は黙って、ただ泣き続けろ!王子がいればそちらを向いて泣け!いいな?」
「……」
「返事はどうした!ザーマ!」
「ご当主様、用向きお伝えしました。これより先は、少し、声を落としてくださいまし、」
「ああ、チッ、分かった。」
イダンソは先ほどから考えていた作戦をザーマに伝えた。それは、大貴族が考えたにしてはあまりにも幼稚で下らないものであったが、容姿の整ったザーマが行えば十分に勝算が見込める作戦であった。同情を買うというのは、あまり良いものではない。
少なくとも、貴族同士の話し合いでは、見栄を張ることをあっても、同情を買うという選択肢はない。だからこそ、そんな手に訴えてでもこの結婚を実現させたいというイダンソの強い意志のようなものが感じられる作戦であった。
しかし、そんなイダンソの作戦の内容をザーマは聞いていない。ザーマにとって、父親のイダンソはただ声が大きな人でしかなかった。うるさいと感じることはあっても恐怖を感じることはない。むしろ怖かったのは、大きな声を出さなかった母親である。
ザーマには、前世の記憶があった。その中では、家族は時には怖く、うるさいと感じたとしても、温かいものであった。今、ザーマの家族にはその温かみを感じられなかった。だから、その、温かみを与えてくれたノイエの所に今一度いけるように、ザーマは王宮へと向かう。




