第三十七話 不意打ちと信頼のような何か
地下の武闘場はすっかり元通りになっていた。ケルベロスが暴れ回って生じた爪痕や大穴はどこにも見当たらない。しかし、ここで戦った記憶は鮮明に思い出せる。対峙したケルベロスの巨軀、荒々しい息遣い、うなり声、そして、纏わり付いてくる死の匂い。あそこまで死を身近に感じたのは初めてだった。
「そんなに警戒しなくて大丈夫だよ。今日は邪魔はなしだ」
それは即ち、前回の急襲は事故でも偶然でもなく意図的なものだったことを意味するのだが、玲二には全く悪びれる様子はない。やはり、冗談にもならない冗談の使い方がメイサに似ているなと思いながら恭哉は口を開いた。
「それで、寄生型のレイダーを倒す手段とは何なんですか?」
この人なら、苦労して一本を取った恭哉に「実はそんなものありません」と普通に言いそうだ。若干の疑いを込めた視線を向けると、玲二は心外だとばかりに肩を竦めいつの間にか隣に控えていた老執事から一つのケースを受け取る。細部は異なるが、エスパーダが入っている箱に似ていた。プロトタイプが入っていたものより少し小さい。
玲二がゆっくりとケースからある物を取り出す。それは何やら複雑な紋様が描かれた紙にぐるぐる巻きにされていた。その紙を剥がしていくと徐々にその姿が見えてくる。
「……短刀?」
「というより、ダガーだね。これを使えば寄生された人を傷付けることなくレイダーだけを攻撃できる」
恭哉の呟きに玲二が手に持ったそれを示しながら答えた。よく見ると、確かにダガーだ。鍔があり、刃も両側についている。しかし、恭哉はそのダガーに違和感を持った。刃物関係に詳しいわけではないのだが、何となくバランスが悪い気がするのだ。厳めしい柄と鍔の長さ大きさに比べ、刃の部分が異様に短い。何か意味があるのだろうか。
「餌まきも終わったところで、じゃあ始めようか」
玲二はさらりと物騒な言葉を交えてそう言うと、首を捻る恭哉から取り上げるようにダガーを老執事に返した。そして、木刀や竹刀、薙刀、槍などおよそ武道で扱われる全ての武器が立て掛けられている壁際へ歩き出す。恭哉もそれに続いた。
玲二はすぐに木刀を手に取った。こちらはどうしようかと恭哉は少し考える。使い易さで選ぶなら、恭哉のエスパーダである『紅蓮』と同サイズである木刀一択だ。だが、剣術において一般的に間合いが長い方が有利と聞く。
この時、恭哉は重大なミスを犯していた。レイダーを倒す手段が見つかったからか、はたまた単なる気の緩みか、隣に西園寺玲二がいるという事態への警戒態勢がほんの少し綻んだ。
それでも、『魔眼』だけは玲二の動きに反応した。
トン、と玲二がこちらに一歩踏み込んだと思ったら下から鋭い軌道で木刀が迫ってきていた。
「っ!」
声を出す暇もない。恭哉は強引に上半身を逸らせそれをかわす。だが、そこで安心できるはずもない。息つく間もなく繰り出された蹴りが鳩尾を狙う。これを躱すのは無理と判断した恭哉は後ろに跳んで何とかいなした。
さらに一歩二歩と距離を取り、ようやく一つ息を吐く。今の攻防、おそらく一秒も経ってない。それなのに、恭哉の頬を汗が伝った。流麗な踏み込みからの斬撃と鋭い蹴り、そのどれもが全くの躊躇いもなかった。
「まだ始まってないのに、卑怯だって言うかい?」
静かな武闘場に玲二の楽しげな声が響く。
「勘違いしちゃいけないよ。確かに僕は君の剣の技量が見たいと言った。一本を取ればいいともね」
楽しくて愉しくて、今この瞬間この世界で、自分よりよりハッピーな者はいないかのような声が。
「でも、だからって試合をするとは誰も言ってないよ。よって始まりのかけ声なんてものは有り得ない。よく考えてみなよ、殺し合いをするとき『今からあなたを殺しますが、如何でしょう』なんて言うかい?」
ゆっくりと息を吐く。こういう時、『魔眼』というスキルは本当に助かる。現状を視て、今何をするべきかを明確にしてくれる。例え今まで会ったことのない奇人を前にしても。
思いの外冷静な恭哉を見て、玲二は驚くどころか満足げな笑みを浮かべた。
「こんな事を言うと、大概の人は憤慨するか恐怖するかなんだけど、やっぱり君は違うみたいだね」
「そんなことないですよ。運動神経、成績、どれも平均の俺です。人と違うなんて滅相もない」
唯一他人と異なるところがあるとすれば、人が当然のように持っている友達がいないことだろうか。なんか悲しい。
「いやいや、それこそないよ」
玲二はスッと恭哉の手元に視線をやった。
「あれだけの不意打ちを現状でできる最善の形で回避して、さらにしっかり得物も手に入れてる」
恭哉の右手には一振りの木刀が握られていた。先程の斬撃と蹴りの僅かな隙間を狙って取っておいたのだ。
「そのせいで、僕は追撃できなかったんだから」
「まあ、西園寺に息巻いて来たんで、瞬殺されるわけにはいかないんですよ」
少々得意気になったせいか、恭哉はうっかりメイサの名前を出してしまった。
「へえ、やっぱりあの子は君を頼ったんだね」
玲二に驚いた様子はない。それどころか、想定内のような口振りだ。一体何をすれば、何があれば、玲二は動揺するのだろうか。
「じゃあ、ナイトを待っている姫のためにも早く一本取らないとね」
しかし、西園寺玲二にも分からないことはあるらしい。
「玲二さんとあいつ、本当に兄妹ですか?」
「……どういう意味かな?」
にやりと笑う恭哉に、ほんの一瞬だけ玲二の笑みが消えた気がした。
「言葉のままですよ。あいつはただナイトを待つようなタマじゃない」
「やっと見つけましたよ。ヤドカリさん」
少女の声に、双葉未來理の姿をした、双葉未來理でない何かが反応する。
「またお前か」
「はーい、メイサちゃんですよ~」
余りにも呑気な口調に、ソレはぐにゃりと顔を歪めた。
「お前には何もできないと学んでいないようだな」
「それは分かってます」
そこで一旦言葉を切ると、西園寺メイサはニコリと笑った。
「信用してないわけではないんですけど、うちのナイトは少し頼りなくて」
その言葉とは裏腹に、メイサの碧眼には一点の曇りもなかった。




