第三十話 時を跨ぐ
「こっちから仕掛けると言っても、一体どうするんだ?」
地に潜る魚の姿をしたレイダーグラウンドフィッシュ、それを相手に攻勢に出るとしても生憎恭哉とメイサは人間であり、地面をすり抜けるなんて芸当はできない。
「まあ、そう慌てないでください」
メイサはその流れる白金の髪を耳にかけると、涼しい顔をして続けた。
「やり方は難しくありません。少しコツが要りますが、それは私の問題ですし……取り敢えず黒崎さん、一体減らしてくれます?」
何てことないように付け加えられた言葉、普通なら「何を言ってるんだ」と苦笑を禁じ得ないところだ。グラウンドフィッシュと恭哉達の間には距離がある。近付いていって斬ろうにも、敵は接近に勘付いて地に潜ってしまうだろう。そうなってしまっては、もう恭哉の刀は届かない。だがそれでも尚、一体減らせとこの少女は言うのだ。
困ったことに、というと贅沢な話だと思われるかもしれないが、恭哉にはできる。少なくとも一体ならばほぼ確実に倒せる。その手段があった。
「あれは回数制限があるから、無駄撃ちはできないぞ」
「無駄にするかしないかは、黒崎さん次第だと思いますけど?」
「本当、軽く言ってくれる」
苦い顔をしてそう言いながら、恭哉は身体に流れる魔力に意識を集中させた。『紅蓮』からの魔力吸収量を増加させる。右足の親指に力を込め、敵の一体に目を向ける。それ以外は視界に入れない。魔力の十分な吸収量と『魔眼』、その二つの条件が揃わなければ、アレは使えない。
グラウンドフィッシュを睨むように見る。見て、視る。
右足で地面を蹴ったとき、グラウンドフィッシュは目の前にいた。一瞬にして恭哉が肉薄したのだ。身じろぎ一つさせる暇を与えず刀を一閃してグラウンドフィッシュを斬る。消えていったグラウンドフィッシュは自分に何が起きたのかさえ理解できなかっただろう。
恭哉が使ったのは、吸収型の守護者でも限られた人間にしか使えない歩法で、名を『時跨ぎ』というらしい。文字通り、生きとし生けるもの全てに同じ速さで流れている時、それを無視し、まるで時を跨いでいるような速さで移動する歩法である。恭哉はこれをあの白ゴブリンとの戦いで無意識に使った。
その後、何度か試して分かった事がある。それはこの『時跨ぎ』は身体への負担が激しく使えるのは二回、無理をして三回といったところで、まだ実戦ではあまり使えないことだ。それともう一つ実戦で扱うには問題がある。恭哉の意識が『時跨ぎ』の速さについていけないのだ。
この歩法の速さは瞬間移動のようで、そこにたどり着くまでの過程はすっ飛ばされてしまう。だから、恭哉からすれば足を踏み出したかと思えば目前に敵がいて、パニックになってしまいそうになるというわけだ。そこで、恭哉のスキル『魔眼』が必要になる。『魔眼』によって時跨ぎ使用後、自分がどこに立っているのか、敵との距離はどの程度なのかを無自覚ながら把握することができるのだ。
「注文通り、一体は減らした」
何はともあれ、あと四体。恭哉は一つ息を吐いた。
「お疲れ様です。いやあ、いつ見ても驚きます。凄く速いですね」
こちらの苦労を知らず、メイサははしゃいだ声を出す。まるで初めてサーカスを観る子供のようだ。
「この技、精神的にも疲れるんだからな。もっと労れ」
「いやいやー、まだ踏み込みと斬撃の間にロスがあります。それが改善されたら、ヨシヨシしてあげますよ」
「そんなのいらん」
美少女から頭を撫でられるという構図は悪くないが、相手がメイサならこちらから願い下げだ。
「さて、一体減ったことですし、そろそろ終幕といきましょうか」
メイサが相変わらずの楽しげな、少し小馬鹿にしたような笑顔で言った。ちらりと背後にいる倒された守護者達に目を向ける。守護者達は皆一様に、緊張した面持ちで戦況を見守っていた。守護者と言っても人間、感情があり感覚がある。恐怖することがあれば痛がりもする。そう考えると、やはりこの状況、敵を前に笑う西園寺メイサは異常と言えるだろう。
「それで、具体的に俺はどうすればいい?」
「先程も言いましたが、やることは簡単です。黒崎さんは私にグラウンドフィッシュの位置を指を差して教えて下さい。そして地面から飛び出してきたところを叩きます。『時跨ぎ』の使用の必要はありません」
「それだけか?」
確かに、地に潜ったグラウンドフィッシュを視認できる恭哉からすれば、実に容易なことだ。小学生でもできる。
「では、いきます」
そう言うや否や、メイサはグラウンドフィッシュ達に魔力波を放った。土煙を上げながら向かう魔力の奔流、しかし、それは敵には当たらない。四体のうち二体が横に躱し、残りの二体がするりと地面に潜った。
「黒崎さん、どこですか」
メイサが静かに言った。慌てた様子はない。
「あそこだ」
地面のある一点を指差して、恭哉も冷静に返す。まあ、恭哉からすれば至極簡単なことをしているだけで、緊張しようもないのだが。
「了解です」
メイサは恭哉の指差した地点に大剣の刃先を向け、それを勢い良く地面に突き刺した。まさか直接攻撃しようと思ったのだろうか。しかし、その割には大剣は数センチほどしか刺さっておらず、傷を負わせることもできない。
「黒崎さん、きますよ」
心中で首をかしげる恭哉にメイサが言った。その声に若干の興奮が含まれている気がした。
「……っ!」
メイサが言い終えた直後、二体のグラウンドフィッシュが地面から、まるで何かから逃げるように飛び出した。もし潜っていたのが水中であったなら、盛大に水しぶきを上げていただろう。しかし、グラウンドフィッシュは地面から、無音で出てきた。だから、メイサの声がよく聞こえた。
「今ですっ」
足を踏み出し、一気にグラウンドフィッシュの元へ向かう。『時跨ぎ』に比べれば遅いが、魔力を持たない人間の数倍は速い。
「ふっ」
短く息を吐いて、無防備に晒されているグラウンドフィッシュの胴を斬る。振り返りざまにもう一体も両断した。
「よし、次は……っておい」
恭哉が目を向けたとき、メイサは既に大剣を振り上げていた。小柄で華奢な少女が、身の丈以上の幅広の剣を軽々と持ち上げている光景は何度見ても違和感がある。
そんなことを考えている間に、メイサは魔力波を放った。どうやら意図して地面に潜らせようとしているようで、狙いが僅かに上にずれている。メイサが意図したとおり、グラウンドフィッシュが地面に潜る。
「黒崎さん」
「分かってる。あそこだ」
「そこですね。黒崎さんは準備を」
再び大剣を地に突き立てる。そして数秒のうちにグラウンドフィッシュが飛び出した。相変わらず、何か慌てた様子である。先程と全く同じ光景であったが、異なる部分もあった。それは、グラウンドフィッシュが二体ともメイサのすぐ近くに出現したこと、そして恭哉とメイサの距離が離れていたことだった。
まずい。
メイサはまだ大剣を地面に突き刺したままで、そこから剣を引き抜いていたのでは間に合わない。
右手に持つ『紅蓮』を強く握る。魔力を吸収し、身体に流し込む。右足に力を溜め、解き放つ。本日二度目の『時跨ぎ』だ。力を入れすぎたせいか、有り余った脚力で蹴った地面が爆ぜた。砕けるアスファルト、それが飛び散る前に恭哉は移動していた。十分に視る時間がとれなかったため、一瞬自分がどこにいるのか分からなくなる。それでも『魔眼』は視界の端にグラウンドフィッシュを捉える。条件反射のように右手が翻ってそれを斬り伏せた。
二体目を探す。視えた。ちょうど大口を上げてメイサに襲い掛かろうとしている。あと少し遅れていれば危なかったが、どうやら間に合いそうだ。
ここで気を抜いてしまったのがいけなかった。
「なっ」
急に足の力が抜け、カクンと膝が崩れてしまう。そのまま体勢を立て直せず、意思とは裏腹に、しまいには両手をついてしまった。これはいけない。このまま間に合わなければ、メイサはグラウンドフィッシュの牙の餌食だ。
スローモーションのように時間が流れた。ゆっくりとグラウンドフィッシュの顎がメイサの頭に向かう。恭哉の動きはそれ以上にゆっくりで、これまで感じたことのない焦燥が胸を掻きむしった。




