第二十九話 空を泳ぎ、地に潜る
「急に生徒会の仕事が入った」と少々強引に理由をでっち上げて恭哉とメイサはデパートを飛び出した。このデパートは大通りに面して建っており、週末のお昼時であるこの時間帯は人が多い。二人はその間を縫うようにして走った。
「なあ、魔力を使ってひとっ飛びって訳にはいかないのか?」
デパート近くの結界といっても、ここから走って十分はかかるらしい。壊滅的被害を受けているならば、もっと急いだ方がいいと考えての提案だったのだが、メイサは首を振る。
「こんな所で魔力を使えば目立ってしまいます。守護者はあくまで秘密組織でなければいけません」
「見つかったとしてもこの辺りの人達だけだろ? それなら――」
「SNSが普及した今、一人に見つかった時点で終わりです。今見られたら夕方のニュースには出るでしょうね」
確かに、それは不味い。恭哉はやってないため分からない部分もあるが、SNSの影響というのは意外と大きい。一人がアップしたものが何万人もの人に閲覧されるということは珍しくもない。納得した恭哉だったが、メイサが心なしか浮かない顔をしていることが気になった。いつものような毒舌もない。
「友達のことなら、気にしなくていいと思うぞ。 別に何も言ってなかっただろ」
急用だからといって、約束しておいて途中で帰るというのは心苦しいところもあるだろう。しかし、未來理は全くその辺りを咎めるようなことはせず笑顔で送り出してくれた。「いい奴」だなと恭哉は素直に思った。惜しむらくは未來理が女子であること、もし男子なら友達に立候補している。
「ええ、まあ……」
尚もメイサの顔は晴れない。
「それにあれだ……えっと……」
「少し俺と同じ匂いがするから、一人でも平気だろ」と続けようとしたのだが、流石に憚られた。失礼すぎる。どう言ったものかと悩んでいると、メイサがくすりと笑った。
「ふふ、黒崎さんに慰められるなんて……不覚でした」
「おい、どういう意味だそれは」
「言葉のまんまです」
そう言ったメイサは、まだ何やら考えているようだったがいつもの調子に戻っていた。
守護者の「敗北」というものを、恭哉は初めて見た。
結界に入ると、街中とは明らかに異質な騒がしさがあった。今にもはち切れそうな緊張感の中で守護者達は戦っていた。響き渡る切迫した声と苦悶の叫び、血を流して倒れているのは十人ほどだろうか。
守護者が守護するもの、それはこの世界。その境界線である結界は絶対に突破されてはならない。文字通りの死守、守護者には引き分けも退散もない。守れなければ死ぬ。
不思議と恐怖はなかった。負ければどうなるのかについて以前考えたことがあるから? 恐らく違う。あの時は軽く想像しただけで、現実味を持って考えたりはしなかった。では何故目の前に広がるこの現実を受け入れられているのか。それは、恭哉がもう『魔眼』を発動させているからだろう。
これまで戦ってきて、『魔眼』は恭哉の意識関係なしに独りでに発動することに気付いた。その条件は戦闘が開始されることで、日常生活において発動することは滅多にない。
この『魔眼』が、恭哉に恐怖させることを許さない。視えるということは分かるということ、分かれば感情を制御することも可能だ。この地獄絵図とも言える光景を前にしても、恭哉の思考はクリアであった。
「私達より一足早く応援の守護者が着いているようですが、あれでは保ちそうにありませんね」
恭哉の表情から冷静であることが分かったのか、メイサが淡々と話す。倒れている守護者達から少し離れたところに目を向けると、五人ほどの守護者が戦っているのが分かる。その戦況は芳しくない。明らかに劣勢で、何とか倒れずにすんでいるというのが現状だろう。手に持つ得物を重そうに振り回し、敵を遠ざけているが、それもいつまで続けられるか分からない。
「ところで、あれはレイダー……だよな?」
「はい、私も一度しか戦ったことがありませんが、間違いありません」
それは魚だった。
全長三メートル近くありそうな、大きな魚。大きな顎と牙をむき出しにして守護者達に襲い掛かっている。そしてその魚は、空中を泳いでいた。水もないのに。まるで大きな水槽の中にいるように悠々と、快適に。
「おい、異世界の魚は空を泳ぐのか?」
「グラウンドフィッシュと私達は呼んでいます。かなり珍しいレイダーです。どうしてこんな所に……」
そんなやり取りをしている間にも戦闘は続いており、グラウンドフィッシュの一撃を食らった守護者が一人倒れる。足でも捻ったのか、立ち上がれない。グラウンドフィッシュの追撃、近くにいたもう一人が走り出すが間に合わない。迫る顎、間一髪それを止めたのは恭哉だった。一人が倒れた時にはもう走り出していたのだ。
ガギッ
鉄を無理矢理擦り合わせたような音を立てて、恭哉のエスパーダ『紅蓮』とグラウンドフィッシュの牙がぶつかる。魔力を全身に循環させ、五センチほど後退しながらも恭哉はその突進力を生かした攻撃を受け止めた。
「西園寺っ」
ほんの少しの間の停滞、恭哉が言うまでもなく、天才西園寺メイサはそれを見逃さなかった。身の丈を超える大剣でグラウンドフィッシュの横から斬り掛かり、これを真っ二つにした。
「ここは私達が受け持ちます。あなた達は下がって傷の手当てを、傷の浅い方は後方で戦闘に加わる準備もしておいて下さい」
斬り捨てたグラウンドフィッシュには気にも留めず、メイサが言った。こくりと頷いた守護者達は、よろよろと後退していく。恭哉の近くにいた守護者も足を引きずりながら下がった。
「戦闘に加わる準備って……無理じゃないか? 動けそうにない人達ばかりだ」
「ああ言ってあちらを立てておいた方が、後々楽なんですよ」
「結構面倒くさいんだな」
「まあ、その辺は慣れですね」
恭哉は未來理の言葉を思い出した。メイサは意外と気遣いの人かもしれない。
「あと五体、やれない数じゃありませんが……動きが制限されるのが厄介ですね」
メイサがちらりと後ろに目を向けてから言った。間違っても怪我人の所に敵を向かわせるわけにはいかない。そのため迂闊に動けず、先程のようにあちらから仕掛けてくるのを待つしかない。
「どちらかが受け止めてもう一人が斬るのはダメなのか? 複数できたら回避すればいい」
「あのまま空を泳いでくれていたら可能ですが……っ!?」
その時、一体のグラウンドフィッシュが突然頭を下に向け急降下し始めた。そして、するりと音も立てずに地面に吸い込まれた。
「どうなってるんだ……あれは」
「黒崎さんっ、飛んでください! 狙われます!」
驚く恭哉に向かって手を伸ばし、メイサが叫ぶ。焦りの表情を浮かべているであろうことは、見なくても分かった。そう、恭哉はそちらに目を向けていなかった。恭哉が見ていたのは、視ていたのはその下、地面を泳ぎ回るその魚影、それは恭哉ではなくメイサの元へ進んでいた。
「まさかっ」
弾かれたように地を蹴った恭哉はこちらに駆け寄ってくるメイサをぶつかるようにして抱え込み、そのまま倒れ込んだ。宙に浮いている間に身体を捻り、肩で滑るように着地する。すると、先程までメイサがいた場所の真下から大口を開けたグラウンドフィッシュが勢い良く飛び出た。あの魚は地面も泳ぐ。グラウンドフィッシュの名は伊達ではないようだ。
「私を狙っていたとは、助かりました」
「西園寺一人なら避けられただろ」
グラウンドフィッシュが潜り込んですぐ、メイサは恭哉に気を回していた。あれがなければ、メイサが不覚をとる筈もない。
「いえいえ、なかなか熱い抱擁でしたよ」
「お前も羽のように軽かったよ」
軽口を返されたことが意外だったのか、メイサは数瞬の間目を丸くした。
「そういう言葉は結構ポイント高いですが、それはまた後日……一体やられて、敵も本気みたいですし」
「ああ、だが潜れると分かればそう難しくもない」
「やはり黒崎さんは視えているんですね。地に潜った敵が」
「西園寺は、視えてないと?」
「はい、普通は大まかに魔力を察知して躱します。大まかなので、ピンポイントで把握はできません」
これもまた、『魔眼』の持つ能力の一つらしい。
「そうか」
メイサがニヤリと、その可愛らしい外見には不釣り合いな、しかしメイサがするとやけに似合っているようにも見える不敵な笑みを見せた。
「でもそれなら、私達から仕掛けましょう。怪我人も沢山いますし、すぐに終わらせますよ。そしてデパートに戻ります」
邪悪なオーラを放つメイサを前に「最後のが目的だろ」とは言えなかった。




