第二十六話 特殊な二人
梅雨はあまり好きではない。
昼休み、厚い雨雲に覆われしとしとと降り続ける雨を眺めながら双葉未來理は心中で呟いた。未來理はよく言えば落ち着いた、悪く言えば地味な生徒だ。幼い頃から人付き合いが苦手で、友達と遊ぶより本を読んでいる方が好きだった。
高校生になった今でもそれは変わらず、入学して二ヶ月過ごしている教室には数えるほどしか友達はいない。そんな地味で目立たないアウトドアとは無縁な未來理にとって、梅雨という時期は特段嫌いになりそうにないものだと思われるかもしれないが、実はそうではない。
未來理のような人種には天敵が存在する。それは派手で、目立つことに誇りを感じているような未來理とは正反対の人種だ。彼らはところ構わず騒ぎ立て、否が応でも自分達が教室の中心に君臨していることを他者に認識させる。それは別に構わない。しかし、彼らは時に教室の隅に身を置くような者達にも触手を伸ばし、こちらの都合関係なしに触れてくる。ひどく高圧的で自分と同じ思考回路、価値観を強要するその触れ方に未來理は苦手意識を持ち、嫌悪感すら抱いていた。
そのような人達が外に行かず常に教室にいる梅雨時が未來理とは好きではない。
しかし、未來理のような人種はそれを口に出すことは出来ない。タブーと言ってもいい。教室内のヒエラルキーは絶対で、もしカースト上位の者に逆らった場合どんな制裁が待っているのかを高校生にもなれば皆知っていた。
そんなある種社会の縮図にも似た教室内を自由に動き回る特殊な、そして異端な存在がこのクラスにはいる。今大げさな笑い声を上げている連中のことではない。あの類の集団はクラスに一つは必ずある。大して珍しくもない。十人に一人、日本人のAB型の割合と変わらない。彼女はそういった者達とは一線を画す。
西園寺メイサ
日本人にあり得ない白金の絹のようなロングヘアーに浮き世離れした美貌を持った少女だ。成績も優秀で、先日行われた試験結果を貼り出された名簿の上から何番目かに名を記されていた。
性格も良い。明るく聡明で、誰に対しても分け隔てなく接する。
「誰に対しても」というのは言葉通りで、教室内の隅から隅まで当然未來理も含めてどんな生徒にも同じようにその愛らしい顔で微笑みかける。本来カースト上位の生徒が苦手な未來理はメイサにはそのような意識を持たなかった。メイサは彼らのように他人のテリトリーに土足で踏み込むようなことはしない。相手のことを慮って話してくれる。
それを勘違いした男子の大多数が告白したようだが、全て撃沈したらしい。その男子生徒達は自分以外にもメイサが優しく接していることに気付かなかったのだろうか。恋は盲目だ。それ以降、メイサはあまり男子に関わることはなくなった。これも気遣いなのか、他に意図があるのか未來理には分からない。
「雨止みませんねー」
真横から聞こえてきた騒がしい教室の中でもよく通る声に、未來理は肩を震わせた。そして声を掛けてきたのが今頭の中で色々分析していたメイサだと気付き、恥かしくて俯いてしまう。
「すみません。驚かせてしまいましたね。今日は図書室には行かないんですか?」
「うん、図書室はちょっと……」
自分が昼休みによく図書室で本を読むことは話したことがあるが、随分前のことだ。覚えてくれていたことが嬉しくて、未來理は顔を上げて答えた。メイサが合点がいったという顔をする。
「確かに、雨の昼休みの図書室はうるさいですから」
「普段使わない人がいっぱい来るから」
「小さなルールを守らないのが型破りとでも思っているんですかねえー」
メイサが窓の外にその青い瞳を向けたまま言った。未來理はその顔を何となく眺めた。座っているため自然と隣に立つメイサを見上げる形になる。本当に、ため息が出そうなほど綺麗な顔立ちをしている。メイサの魅力はそれだけではない。何というか、彼女の纏う雰囲気は独特で妖しさと狂気、力強さが混じり合っていてそれが人を惹きつけるのだ。
「その本、どんな内容か聞いても?」
「あ、えっとね……」
思わずメイサに見惚れていた未來理はハッとして手に持つ本のブックカバーを外した。相手がメイサでなければそんなことはしない。どのような本を読んでいるのか他人に教えるのはあまり好きではない。本によっては馬鹿にされそうで怖いのだ。しかし、メイサは未來理がどんな内容の本を読んでいても興味深そうに聞いてくれる。
「『神降ろしの少年』っていう本なんだけど、主人公は平凡な高校生の男の子でね、偶然神社で出会った神様に悪い神様を倒すのに体を貸して欲しいって頼まれて、それで色々な悪い神様と戦うことになるって話なんだけど……」
ああ、本当に私は話すのが下手だ。
好きな本のことなのに、ちゃんと要領よく伝えることが出来ずもどかしいやら悲しいやら。あまりの情けなさに未來理は頭を抱えたくなった。そんな未來理を余所にメイサは顎に手を当て何やら考え込んでいた。
「平凡な高校生が神様に会う……ですか」
「うん。主人公は最初突然に手に入った力に喜ぶんだけど、だんだん戸惑いも生まれてきて」
「その本、買いですね」
メイサが一つ頷いて言った。
「そ、そっか!昨日二巻が出たみたいだから、気に入ってくれたらそれも買うといいよ」
嬉しくなって、未來理の声のトーンは少し高くなった。
つい一、二週間前のメイサならここで話は終わりである。しかし、最近何かあったのか今のメイサは少し違う。ここからさらに半歩、いやその半分ほど踏み込んでくる。
「もし双葉さんさえ良ければ、一緒に買いに行きませんか? 他の本の話も聞きたいですし」
「はい、分かりました」
驚きで未來理はつい敬語になってしまった。
「決まりですね。日時は後ほどということで」
そう言ってにこりと笑うとメイサは出口に向かって歩いていく。未來理はその後ろ姿を見つめた。颯爽と歩くメイサを見ていると動かないはずの机さえ道を開けているようである。
その足取りはある席に近付くにつれて躍るように軽やかになった。このクラスのもう一人の異端な存在、黒崎恭哉の座る席だ。
彼が特殊で異端な理由はシンプルで、黒崎恭哉に友達がいないからだ。ぼんやりとした目と長めの前髪以外特に目立たない平々凡々とした容姿で、性格も悪いわけではない。それなのに友達がいない。それについて当の恭哉がいたって平気そうなものだから、未來理からするとメイサと同じくらい特殊な人種に見える。
寝ているのか寝たふりをしているのか、机に突っ伏している恭哉に近付くとメイサが背中をつつく。恭哉の反応はない。すると、にやりと悪戯っぽい笑みを浮かべたメイサが今度は脇腹をつつく。効果は覿面で、バネのように恭哉が飛び起きた。ケラケラと笑うメイサに抗議の視線を送る。二言三言言葉を交わしメイサは意地の悪い笑みを浮かべたまま去って行った。
未來理は二人のやり取りを見て自然と頬が緩むのを感じた。未來理は思ったのだ。西園寺メイサも普通の女の子かもしれないと。




