第八章 確保! ─ 小野寺 みなみ ─
この世に生まれ落ちて十七年。死を覚悟したのは、生まれて初めてだった。
動かせない体に、突きつけられたナイフ。
味方だと思っていた新人さんがまさかの強盗で、しかも、こともあろうにこの私を人質にしたのだ。イケメンに騙された……あのときめきを返せ!
しかし、神様は私を見捨ててはいなかったのだ。
突如として現れた、警察官のお兄さん。カウンターを飛び越えて強盗を撃退した彼はまさに、姫を救い出してくれる王子様。
「か……格好いい……!」
思わずもれ出た言葉に、彼が強盗をねじ伏せたままこちらを見てくれた。
安心させようとしたのか、小さくはにかんだその笑顔に、私はたちまち恋に落ちてしまう。
「これしか無かったんだけど、いいかな?」
強盗を縛るためのロープを探しに行っていたニセ強盗のおじさんが戻ってきた。
その手には、工作などで使われる麻紐が握られている。茶色の細い、なんとも頼りない紐だ。
「大丈夫です。何重にもして巻きましょう」
強盗をねじ伏せたまま、お兄さんはおじさんに指示をして麻紐で強盗を縛り上げた。腕と手首、足首をそれぞれ縛ると、麻紐はすべて使い切ってしまった。
ぐるぐると巻けば、さすがに細いロープでも身動きは取れないらしい。強盗は「くそぅ!」と悔しそうに、小さくつぶやいた。
ふーんだ、ざまあみろ。
乙女にナイフを突きつけるだけでなく、胸まで触ったんだからこうなっても仕方ないのだ。
しかも、触ったうえに女だと気づかないなんて……まったくもって失礼なやつだ!
そんなことを考えていた私の横で、おじさんが慌てたように声をあげた。
「そうだ、あいつが奥に、閉じ込められているんだった!」
店長のことだ。彼は、ロッカーのある奥の部屋へと向かった。
残された私とお兄さんは静かになった空間で、縛られたまま睨みつけてくる強盗と、対峙する羽目になる。
声を先にあげたのは、強盗だ。
「サ店でサボるなんて、いいご身分だよな。刑事さんはよぉ」
あの爽やか笑顔はどこへ行ったのか、歪んだ笑みを浮かべている彼はまさしく、極悪である。
その言葉を受けて、お兄さんは小さく「うっ」と声をもらした。
「い、いや。たまたまだよ」
お兄さんはなぜか、小さく笑うだけだ。
どうしたんだろう。早く連行してくれればいいのに。
そう思った私は、そのまま口にする。
「あの、連絡はしないんですか」
「え?」
「いや、仲間の方に、連絡しなくていいのかなぁって」
こういう場合、すぐに応援を呼んだりするものではないのだろうか。
しかし、お兄さんは携帯電話を取り出さない。「そうだね」と頭をかいたのち、コホンと小さく咳をし、強盗の前に身をかがめて視線を合わせた。
「それにしてもお前、何でこんなことをしたんだ? まだ、若いじゃないか」
どうして、そんなことを聞くのだろうか。
同じことを思ったのだろう。強盗の眉間が、ぐっと深く寄った。
「何だよ、刑事さん。こんなところで説教かよ」
「いや、そういうわけじゃないけれど」
お兄さんはさっきから、困ったように笑うだけだ。その表情は、警察官にしては優しすぎるんじゃないのかなぁ……なんて私は思ってしまった。
強盗に対峙するお兄さんは、おそらく二十代後半くらいに見える。もしかしたら年下の強盗に対して、何かを諭そうとしているのだろうか。優しいな。
「……ふん」
強盗は居心地が悪くなったのか、小さく吐き捨てた。
「金だよ……とにかく、金が必要なんだよ!」
ぐっと唇を噛みしめるように、つぶやいた。
その表情はちょっとだけ苦しそうで、もしかしたらこの強盗にも、深い事情があるのかもしれないなんて考えた。
だって、私とそう年は変わりなく見えるのに強盗を決意するなんて、よっぽどのことだ。
(だからって、許されることじゃないけれど……)
下手に同情をするのは、よくない。
なんてことを考えた時だった。
「だ、誰だお前!?」
奥の部屋から聞こえてきたおじさんの声に、私たち三人は驚いて視線をそちらに向けた。
おじさんは部屋の扉から体を半分出すと、縛られている強盗に向けて言葉を発した。
「おいお前! ここの店長をどこにやった!」
「は? だから言ったろ、ロッカーに閉じ込めたって……」
「いや、だから、どこだよ!?」
「はぁ?」
なんだか、おじさんの様子がおかしい。
私とお兄さんは強盗をそのままに、慌てて奥の部屋まで駆けつけた。中ではおじさんは体をずらし、私たちにもロッカーを見られるようにしてくれている。
私たち二人は頭だけを突っこんで、その狭い部屋の中を見た。
さて、ここでもう一度、喫茶店『グラーチェ』の店長の特徴をくり返そう。
ここの店長とは、面白い人物である。
スキンヘッドに眼鏡、髭もじゃの顔。面白いことが大好きな彼は齢五十なのにやたらと元気で、最近メタボチックになったお腹を揺らして笑う。
それは、このお店に来る常連ならば誰でも知っている、店長の風貌である。
しかし。
「……え」
と私はもらし、
「この人……」
とお兄さんはうろたえ、
「お前は一体……」
とおじさんは震えたのち────
「誰だ!?」
と三人の声が、重なった。
ロッカーの中で、猿ぐつわを咬まされ、縛り上げられているその人物。
それはスキンヘッドに髭もじゃ──ではなく。
薄くなった頭頂部が少しだけ寂しい、中肉中背の、どこにでもいるような見知らぬ中年のおじさんだったのだ。
◇ つづく ◇




