第六章 人質 ─ ついてない男 ─
昔から俺の悪いところは、後先考えずに行動してしまうところだった。
今もそうだ。何も考えずに、ただ腹が立ってナイフを取り出してしまった。
おもわず目の前にいた小野寺を人質にしてしまったが、もちろん怪我をさせようなんて考えちゃいない。
それでも腹の虫がおさまらず舌打ちをすれば、腕の中の小野寺の体が小さく震えた。
(まったく、本当についてないぜ……)
クソジジイこと偽物強盗のドッキリとやらに、俺は心底腹が立っていた。
人からおちょくられたりからかわれたりすることが、大っ嫌いだったからだ。
俺が嫌いな人種というのは、人をいじったり笑ったりすることで己の地位をあげようとする、能無しの明るいやつらだ。目の前のおっさんだって、大っ嫌いな人種である。
芸能人でもないくせに、何がドッキリだ。ムカつくんだよ。
(さて……どうするか)
グッと右手のナイフを持つ手に力を入れる。すると小野寺が「ひっ」と小さく悲鳴をもらした。
「お……落ちつけ、落ちつくんだ!」
小野寺の反応を見た偽物強盗が、慌てて声を発した。
言っている本人が、まったく落ちついていない。偽物強盗はカウンターの向こうから、わたわたと両手を蟹のように上下に振って、変な踊りをしている。その手にはまだ、札束が握られていた。
「うるせぇ! さっさと金をよこせ!」
さっき自分が言い放った台詞を言われて、偽物強盗は小さくうなる。
しかし、こいつも馬鹿ではなかったらしい。
「……先に、小野寺くんを離してくれないか」
交渉なんかをし始めやがった。
くそ。たしかに今は、俺の方が分が悪い。
現状、俺の手はナイフと小野寺でふさがっている。偽物強盗が金を渡してきたとして、それを取るためにはどうしても、どちらかを手放さないといけなくなる。どっちかを手放した時点で、アウトになるだろう。
小野寺を解放すればこいつから反撃をくらうかもしれないし、ナイフを手放したとしても同じことだ。
俺はしばし考えこむと、偽物強盗に言った。
「金をカウンターの上に置け。でないと、こいつの顔に傷をつける」
「ひぇっ……」
身を硬くした小野寺に、腕の力をこめて囁いた。
「お前は置かれた札を、俺のズボンポケットに入れろ。変な動きをしたら、すぐにかっ切る」
小野寺はコクコクコクと、どこぞの民芸品のように何度もうなずいた。
カウンター越しの偽物強盗は観念したのか、静かに金をカウンターに置いた。俺の人質になったまま、小野寺はそのお金に手を伸ばす。
だが、遠かったらしく少しの距離が金と手の間にできていて、わずかに届かなかった。
「あ、あの。少し腕を、緩めてくれませんか」
情けない声で、小野寺が振り返り言う。
うわ、男のくせに潤んだ目なんかで見るんじゃねえよ。気色悪い。
「チッ。じゃあ、こうすりゃ届くだろ」
首に回していた腕を少しずらして、今度は胸元を羽交い締めした。
すると。
「ひゃあ!」
小野寺のやつが変な悲鳴をあげたので、俺は驚いてしまった。
「な、なんだよ、手を移動させただけだろうが」
そう言いつつも、手のひらの感触の違和感に気づく。
(ん? こいつ、見た目によらず鳩胸というか、胸板厚いな……)
気になって小野寺の胸元を、わさわさと触ってみたら。
「きっ…………きゃあああ! 何触ってんのよ、変態ー!!」
「はっ!?」
「お、小野寺くん!?」
突然の小野寺の悲鳴に、俺も偽物強盗も驚いた。
な、なんだこいつ!
もしかして心は女とかいう、トランスジェンダーってやつか!?
「し、静かにしろ!」
「やだぁ、もう、お嫁にいけない〜!」
ああーん、なんて泣き始める小野寺。
(おいおいおい、マジで何なんだこいつ!?)
ぞわりと鳥肌が立ちそうになった時だった。
カランコロン、と、どこか間抜けな物音が鳴った。
それは、この喫茶店の扉を誰かが開けて入ってきたことを知らせる、ベルの音だった。
(まさか、こんな喫茶店に来る客なんていたのかよ!?)
慌てて扉の方を見やると、そこには若い男が一人スーツ姿で立っていた。視線をまだカウンターに向けておらず、のん気にスーツジャケットを脱ぎ畳んでいる。
「はあ、疲れた。ねぇマスター、今日はアイスコーヒーがいいなぁ。……ん?」
俺、小野寺、偽物強盗を一人ひとり見渡したのち、スーツの男は何度もまばたきをする。
や、やばい……あまりにも敵が多すぎる!
あせる俺に向かって、スーツ姿の男はいきなりカッと目を見開くと、畳んでいたジャケットから何かを取り出した。
「何をしている貴様!」
そして、俺に見せたのは──
「観念しろ! 俺は警察だ!」
男がビシッとこちらに向けたそれはまさしく、黒い警察手帳だった。
(……う…… 嘘だろぉー!)
ちくしょう!
ジーザス!
やっぱり俺は、ついてねぇよ!!
◇ つづく ◇




