第十四章 面白い男 ─ 宮田 高志 ─
幼い頃から、不思議だったんだ。
母親はなんで、自分を置いて旅に出た親父のことを好きだったんだろうって。待っていたんだろうって。
「だって、あの人面白いのよ」
俺が高校生の時だ。
初めて会ったばかりの親父につきまとわれ、うんざりとした俺の「あいつのどこに惚れる要素があったんだよ」という問いに対して、母親はあっけらかんとそう答えた。
「思いもしないことするし、見ていて楽しいのよねぇ」
そう語る母親は、遅い夕御飯を口に運ぶ。俺が適当にスーパーで買った、半額落ちの惣菜だ。
「でも、自由な人だし、気をつかって離婚届も送りつけたのにねぇ」
ごっくんと嚥下した母親は、ニッコリと笑う。
「でも返してこなかったから、残念だけど、まだあんたとあの人は親子なのよ」
どこか幸せそうにそう言った母親に、当時の俺は口をへの字にしてふて腐れた。
なぜ、唐突にそんなことを思い出してしまったのか。
それは、柱の炎を飛び越えこちらに来て、自分よりも図体のでかい息子を支えようとした親父のせいだった。
床にへたり込んだ俺の体を背中に預け、両足をふんばろうとしていた。
「ぬおおぉー!」
「な……っ!?」
おんぶをしようとしているのだと理解した。
しかし、俺の身長は百八十を超えているし、恰幅もそれなりにある。対して親父は、二十センチは低そうな中肉中背の中年のおっさんだ。無理がある。あわてて、背負おうとする親父を制した。
「バカ、無理だろ! お前だけさっさと行けよ!」
けれど、親父は抵抗しようとする俺の腕を離さない。
「で、出来るか、そんなことぉ!」
ぐぬぬ、と漏れ出る口は必死に食いしばられており、熱気とのしかかる俺の体重に、親父の顔は赤くなって嫌な脂汗を浮かべていた。
何だよこいつ。
さっさと逃げねーと、自分も危ないだろうが!
「ぐっ……! ゲホゲホッ」
ほら、言わんこっちゃない。
親父は店内にこもる煙に喉をやられ、咳を吐いた。それを見て、俺の喉は煙を吸い込んでもないのに、ぐっとつまる。
「親父……」
そう呟いたとき、炎が広がる店内に、別の声が響いた。
「いた! おい、早く逃げるぞ!」
それは、俺を捕まえ縛りあげてくれやがった、あの偽物警察男だった。
ハァハァと肩で息をしながら、こちらに近寄ってくる。俺たちの前に倒れているでかい柱を足で蹴りつつ移動させ、道を開けてくれた。
こいつ、わざわざ戻ってきたのか。
何て馬鹿野郎なんだ。
でも今は、その馬鹿さがありがたかった。
「おい、まずはこいつを連れてってくれ!」
気づけば俺は、そう叫んでいた。
「ゲホッ……、たか……、ゲホゲホッ」
まだ咳き込んでいる親父を、俺は偽物警察男に押しつける。俺の右足は死角になるように体勢に気をつけながら、親父を引き渡した。
「わかった、お前もついてこいよ!」
「ああ、すぐ行く」
偽物警察男の肩に担がれるようにされた親父が、こちらを向く。
「ま……、待ってくれ……、ゲホッ」
ああ、さっさと行けよクソ親父。
小さくなっていく親父の背中を見送った。
右足首はじくじくと痛みを増して、べったりと汗が体中にへばりつく。
暑い。熱い。
炎のサークルが、俺のまわりに形成しつつあった。
(焼けて死ぬって……苦しいのかな)
いや、それよりも先に、酸欠か二酸化炭素中毒で死ぬのが先か。
どっちみち楽ではないようだ。
これも、強盗なんてしようとした神様からの罰なんだろう。突き刺さっている自分のナイフが、その証拠だった。
(まぁ……しがみつくような人生でもなかったしよ。面白くもねぇ俺の人生、ここいらで……おしまいにしてもいいかもな……)
それがきっと、俺にはお似合いさ。
皮肉に笑い床に伏せ、目を閉じる。
何も見えないように頭を抱え、大丈夫、きっと苦しいのは一瞬で、そのうちすぐに楽になるはずだ……と覚悟を決める。
それなのに。
しばらくすると、現実に引き戻す馬鹿でかい声が、すぐ近くで聞こえた。
「バッカ野郎、お前! 怪我してんじゃねーか!」
驚いて顔を上げた。
あの偽物警察男が、一人舞い戻ってきていた。そいつの服はボロボロの煤だらけで、顔もさっきより赤黒い。
「お前、なんで……」
「マスターが教えてくれたんだ、お前が怪我をして動けないって」
マスターって……あんなハゲ親父には、似つかわしくない呼称だな。
弱く笑った俺の腕を肩にかけ、やつは力強く俺を引きずり始めた。
背は俺より低いが、鍛えているのかやけにがっしりとした体格のおかげで、親父よりもスムーズに俺を運ぶ。
痛む右足を引きずりつつ、眉をひそめて俺は吐き捨てた。
「お前も馬鹿だな。強盗なんか助けちゃって、どうすんの?」
ヘラッと笑ってやる。
そんな俺に、やつは視線を向けた。
「そのまえに、お前はマスターの息子さんだろ。見捨てられないよ」
「……本当に、馬鹿なんだな」
苦笑がもれた。
そんな俺にやつも笑って、なおも言葉を続ける。
「お前さ、さっき、マスターを先に連れてけって言ったよな。強盗したことは悪いことだけれど……大丈夫。また、やり直せるさ」
「……へっ」
甘っちょろいやつだぜ。
世間擦れしてないやつは、微笑みを浮かべると突然、声を張った。
「正義と共にあれ! お天道様と正義がいつだって、お前を見守っているぞ!」
「……何それ」
「俺の好きな、ヒーローのセリフ。お天道様は神様ってことなんだろうけどさ……」
そこでやつの柔らかかった瞳に、強さが宿る。
「正義って、自分自身のことなんだよ、きっと」
俺を引きずりながら、汗まみれで語る。
「世間からも神様からも、もし誰からも見られてなくても……自分は知ってるだろ。自分が何をして、何を感じたか」
「……」
「ここで俺がお前を見捨てたら、俺はきっと後悔する。だから、お前を助けるよ。自分の正義を裏切らないために」
聞いているこっちが、小っ恥ずかしくなるほどの臭い言葉と考え方だった。
俺は口をへの字にして、顔を伏せた。
やつに支えられながら、脆くなっている外階段を一歩ずつ降りた。どんどん気温が下がって、安堵の息が出る。
ああ、空気ってこんなにおいしいのか。
そんな当たり前に感動していると、やがて視界が開き、外に出る。
すると観衆ならぬ野次馬たちが、まるでコンサート会場のように、俺たちに対し拍手と歓声で出迎えたので驚いた。
「兄さん、すげえ!」
「きゃあああ! よかったよ~!」
似た顔が、興奮と涙でならんでいる。
「よくやったぞ、にーちゃん!」
「これはこれは、感動しました……!」
偽物強盗はガッツポーズを決め、コソドロ野郎はどこぞの紳士かのようにブラボーと拍手をしている。
今日の妙な強盗劇を共にしたやつらが、一人も欠けずに俺たちを待っていやがった。
みんな偽物警察男を讃えているが、そのなかで最前列にいたやつだけが、俺だけを見ている。
鼻水と涙を汚らしく垂れ流している、親父だ。
「……た……高志ぃぃぃ~~!」
「……はは」
スキンヘッドは日光で、顔は汗と涙と鼻水でキラキラ光っている。
きったねぇ面構えだな、おい。
こりゃたしかに、面白いやつかもしれない。なんて、母親の幸せそうな微笑みをなぜか、また思い出していた。
◇ つづく ◇




