第十二章 大ピンチ! ─ 宮田 吾郎 ─
人生五十年間、好き勝手にやってきた。
のらりくらりと行きたい所へ行き、見たいものを見て、食いたいモンを食う。
せっかく生まれてきたんだ。やりたいこと全部やっちまわなくちゃ勿体ない。
でも世知辛きかな、人生というものは、すべて思いどおりにはなりゃしない。
結婚した女房は俺の海外放浪旅についてきてはくれず、離婚届一枚だけをぺらんとエアメールで送ってきた。知らぬ間に生まれていた息子さえも、なついてくれず非行に走る。
あまつさえ、俺の店に強盗(しかも息子が犯人である)ときたもんだ。
そして、俺の夢だった小さな喫茶店は今、炎に包まれているのである。
「……しょしょしょ、消火器消火器!!」
店を飲み込もうとする悪しき炎をどうにかしようと、どこに置いたのかを忘れた消火器を探した。
「店長、消火器っす!」
さすがは、バイトの小野寺くん。俺よりもしっかり物の位置を把握していた彼は、重たそうに消火器をかついでやって来た。
そんな彼から勇ましくも消火器を奪い、ピンを抜き素早くホースをかまえたのは、ここの常連客であるサラリーマンの兄さんだった。
「皆さん離れて下さい! まずは出口を確保します!」
なんだ、この頼もしさは。彼はじつは消防士だったのか?
やけに張りきるサラリーマンは、炎が流れ込んでくる扉に向けて消火器を放射した。しかし、店内にどんどん炎が移っていく。
ああ、俺の城が! 老後の楽しみが!
嘆きつつも、火災保険にはちゃんと入ってたよなと頭の隅で考えながら、店内の人たちに目を向けた。
「ややや、やばいよこれー!」
ドッキリ企画を一緒に立案した友人、阿久津は慌てているだけだ。
「なんでこんな風になっちゃうの!?」
なぜかうちの制服を着ている小野寺くんの双子の姉、みなみちゃんは今にも泣きそうだ。
「私、こんなところで死にたくないですよ!」
やけに幸も髪も薄そうなおっさんは喚いている────って誰だ、お前は。
「まぁ、落ちついて落ちついて」
慌てていても仕方ない。少しずつ店内を浸食する炎が生み出す熱気と爆ぜる音は正直怖かったが、みんなをなだめた。
店長の俺が焦ってはならんのだ……俺の店なんだぞ!
サラリーマンはようやく活路を見出したのか、振り返り声をかけてきた。
「扉の火が弱まりました! 皆さん、僕の後についてきて下さい!」
そのかけ声に、みんなは慌てたようにバタバタと駆け寄った。
サラリーマンを先頭に、全員頭を低くして扉から出て行こうとする。俺は息子の高志に近寄ると、やけに固く結ばれた紐をほどこうとした。
「なんだよこれ、かったいな!」
細い紐だからか、よけいにほどきにくく感じる。そんな俺に、苛立つように高志は声をあげた。
「おい、あそこにナイフ転がってるだろ、それで切れ!」
「わ、わかった!」
なぜナイフが転がっていたのかは、このさい置いておこう。
隅に転がっていたナイフを手に取って高志の元へ戻る頃には、他のみんなは無事に外へ出られていたようだった。
しかし、その間にまた炎の侵食は進んでいる。
熱気も熱風も、先ほどよりもぐっと俺たちの身を、ジリジリと攻め始めていた。
焦る気持ちを抑えつつ、ナイフでザクザクと紐を切っていく。先に足元をほどき、次に手元。そして最後に腕を抑える紐を切ってやると、ようやく高志の体は自由になった。
「よし、行くぞ!」
「待てよ、んな急に力が入らねーよ」
立っている俺につかまるように、高志は体を床から立ち上がらせるが、よろりとふらつく。
炎と煙が立ちこめ始めた店内で、俺はそんな高志の体を支えた。まったく、世話のかかる息子である。
「大丈夫か?」
「……今さら、親父ヅラすんじゃねーよっ」
こんな時だというのに、高志はそんなことを言う。
フラフラとつかまる俺へ睨むような視線を向けた──次の瞬間。
「親父、あぶねぇ!」
「え!?」
急に、俺は高志に突き飛ばされた。
高志との間に、崩れかけの燃える柱が一本倒れてきて、瞬く間に炎の壁が、俺たち二人を分かちた。
「た、高志! 早くこっちに来い!」
俺は出口側に突き飛ばされたので、すぐそこに外へ通じる扉が見えていた。
しかし、炎の向こうの高志は歪んだ表情のまま動こうとしない。
どうしてだ、飛び越えられない高さの火じゃないだろう!
「……先に行けよ、親父」
「馬鹿野郎、何言ってんだ! 早く来い!」
しかし、高志は自虐的に笑った。
「無理だよ……足、いてーんだ……」
床にへたりこんだ炎向こうの高志を見下ろせば、先ほどのナイフが、彼の右足首に突き刺さっていた。
突き飛ばした時の衝動か、柱が倒れた際の衝撃か。
鋭利なそれが俺には、息子の足を痛めつけ、炎から逃しはしまいとする悪魔の手ように見えた。
◇ つづく ◇




