第十一章 喧嘩 ─ 宮田 高志 ─
初めての強盗を失敗に終わらせたうえ、多数の素人に捕らえられてしまった運のない男──それが俺、宮田高志だ。
その名と反して、今は地底よりも低くなった志は、どこかへ置いて捨ててきた。
だって仕方ないだろう。俺の人生、志を高くしてやろうとする前に、すでに低い地点から始まっていたのだ。
生まれた時から母は、女手一つで俺を育てていた。父親は誰かと聞けば「旅人よ」なんて訳の分からぬ答えしかしない母親も、相当に変わっている人だったといえる。
しかし俺は両親には似ず、相当に他人の目を気にする質だった。
少しでも侮蔑や差別の目を向けられたならば、真っ向から反発し、衝突し、決裂する。そんな俺が社会からはみ出すのに、そう時間はかからなかった。
だから。だから、だ。
数少ない友人だけは助けたい──と、思ったのは。
「高志……これにサインだけ、してくれないか。絶対、お前に迷惑かけることはないようにするからさ!」
こんな俺と、時たま飲んだり遊んだりしてくれた友人が持ってきた一枚の紙切れ。『連帯保証人』と書かれた欄。それに俺はサインをして、そして数日後、友人は姿を消した。
この強盗事件の発端は、他人への信頼というバカげた幻想を一瞬でも信じた、俺の浅はかさだったのだ。
金が、どうしてもすぐに必要になった。
今すぐ百万の現金を用意しておかないと、俺はあの借金取りに、内臓でも目玉でも売られてしまうだろう。友人が借りた金は十万だって聞いていたのに、バカにしている。
いや、バカにしてんのは借金残してトンズラこいたあいつか。ふざけやがって。
しかし今は、友人に腹を立てている場合ではなかった。
金を工面するために、強盗に入った店がまさか、俺の親父の経営する店だったなんて。
「高志、何でここに……」
親父はふらふらと、少しずつ俺に歩み寄ってくる。それを通すように、他の連中はスペースを開けた。
まるで海を割ったモーゼのように、こちらに来る親父。縛られたまま、ギッと睨みつけた。
「お前の店だって知らなかったんだよ、くそ親父!」
そう叫ぶと、あの偽物強盗のおっさんが「ええ、息子さん!?」と小さく驚いていた。でももっと驚いているのは、俺の方だ。
目の前の男、宮田吾郎。
こいつが親父だと知ったのは、俺が高校生に上がったばかりの頃だった。
入学したての高校の門に、突然こいつが立っていた。下校しようとした俺を凝視し、涙を流し、そして「俺がお父さんだよ!」と言い放ったのだ。
当時、長髪だった髭面のすこぶる怪しい親父に後ずさりし、涙を流す男に追いかけられた俺のその後の高校生活がどんなもんだったかは、想像するにたやすいだろう。
母親を呼び出し問い詰めたら、あっさり「これがあんたの父親よ」と認められた時は、気が遠くなる思いだった。
そんな出会いを思い出して、ぎりっと歯ぎしりをする。
「お前のせいで、俺の人生メチャクチャだよ!」
「だ、だって俺に息子がいるなんて、あいつ教えてくれなかったからさあ。教えてくれた後も、なかなか会わせてくれないし」
「あんたが放蕩ばっかしてるからだろ!」
バックパッカーなんて横文字で聞こえのいい言葉を逃げ道に、こいつは母親と別れた。
その頃もう母親の腹ん中には俺がいたことなんて知らずに、のん気にも世界中を遊びまわっていたのだ。そんな奴をどうして、父親だなんて認められる。
それに、母親も母親だ。楽しげに「あんたのお父さんは旅人よ。流浪の民なの」なんて話すから、やはり似た者夫婦だ。
睨み合っていると、また偽物強盗のおっさんが口を挟んできた。
「え、もしかして水江さんとの子ども? てことは、いくつよこの子!?」
どうやら親父とは、昔からの友人であるらしい。俺の母親の名前も知っていた。
「俺が海外行く前の子だから、二十六? 七?」
すると、今まで黙っていた小野寺の野郎が「え、そんな年なの!?」と驚きやがった。
うるせえ! まだ男の二十七なんてこれからなんだよ、こんちくしょう!
「お前、そんな歳で何、強盗して捕まっちゃってるわけ?」
「うるせえ! あんたに一番言われたくねえ台詞だよ!」
俺たちの親子喧嘩に、あたりの空気がだんだん呆れたものに変わっていくのがわかった。
うう、なんて居心地が悪い空間なんだ!
誰かこの空気を、何とかしてくれ!!
なんて、願った時だった。
「……あれ、おかしいですね」
コソドロ男が、不意に小さく呟いた。
「何か臭いません?」
その言葉に、他のやつらもあたりを見渡す。
「そういえば、なんか変な匂い……」
小野寺が鼻に手を覆いながら、眉間にシワを寄せる。
「みなみもしかして、屁ぇこいたー?」
「バッカじゃないの! あずま、あんたこんな時に!」
似た顔がならんで、ぎゃーぎゃーと喧嘩をし始めた。その間に親父は立って、まぁまぁなんて宥める。
「この匂い……もしかして!」
俺を取り押さえたスーツの男が、ハッとしたように店の玄関扉に駆けつけ、そこを開けた。
すると、まるでライオンの唸り声のような音を響かせて、赤い炎がその扉から飛び込んできた。
「うわあ!」
スーツの男も、驚き背をのけぞらせる。
それは紛れもなく、火事が起こっていることを知らせる警告音。熱気と何かがはぜる音が喫茶店内に満ちて、一気にその場が緊張したことが、俺にもわかった。
ままま……待てよ!
たしかに空気をどうにかしてくれとは言ったけどさぁ!
燃やしてくれなんて、頼んじゃいねーよ!!
◇ つづく ◇




