第三話 王国からの使者と、皇帝の宣言
帝城に来て三ヶ月が経った頃、ラインハルト王国からの使者がカルスタ帝国に到着した。
アリアがそれを知ったのは、朝の廊下で侍女頭のセリアが慌てて走ってきたときだった。セリアは四十代半ばの、はきはきした物言いの女性で、アリアのことを随分と気にかけてくれていた。
「アリア様、大変です!ラインハルトから使者が来ています。それも、王太子殿下ご自身が!」
アリアの心臓が冷たくなった。エドワードが来た。なぜ?
答えはすぐにわかった。セリアによれば、カルスタとラインハルトの間で新たな条約を結ぶための交渉のためだという。しかし名目はそれだが、どうも様子がおかしいとセリアは言った。
「王太子殿下が、アリア様のことを指名しているそうです。『元婚約者に会わせろ』と」
謁見の間に呼ばれたアリアは、そこで久しぶりにエドワードの顔を見た。相変わらず整った顔立ちだが、どこかやつれている。目の下に影があり、以前のような余裕は感じられなかった。傍らにはレナの姿はなかった。
「アリア……生きていたか」
「はい。皇帝陛下のご厚情で、ここに置いていただいています」
「帰ってこい」
唐突な言葉だった。アリアは眉をひそめた。
「……王国に、ですか?」
「レナの力が暴走した。あいつは体を壊して、今は床に伏せっている。急速な癒しの力は、使えば使うほど術者の命を削るらしい。医師も手をこまねいている状態だ」
アリアは息を飲んだ。レナが。あれほど輝いていたレナが、体を壊して。
「それで、お前の力が必要だ。じわじわと回復させるお前の光なら、レナを助けられると医師が言っている」
「……それは、確かに私の力で助けられるかもしれません」
「なら帰ってこい。婚約のことは考え直す。レナとの件も……」
「お断りします」
アリアははっきりと言った。エドワードが目を見開く。周囲の廷臣たちもざわめいた。
「何故だ!レナが死にかけているんだぞ!お前の親友だろう!」
「レナを助けることは、もちろんやぶさかではありません。でも、それはカルスタの地でできます。レナをここへ連れてきてください。私は、もうあの王国には戻りません」
エドワードの顔が赤くなった。
「カルスタの国まで重病人を運べと言うのか!」
「帝国の医師と輸送隊なら、安全に運べます。私から陛下にお願いすることができます」
「お前は……変わったな」
エドワードが、信じられないものを見るような目でアリアを見た。アリアは静かに、しかしはっきりと答えた。
「変わりました。ここで、初めて自分の力を正当に評価していただきましたから」
謁見の間に沈黙が落ちた。
そのとき、上座の扉が開いた。アドリアンが入ってきた。黒の正装に金の刺繍、皇帝の威厳を全身から放ちながら。廷臣たちが一斉に礼をとった。エドワードが反射的に一歩引いた。
「ラインハルトの王太子とやら、私の城で大きな声を出すな」
皇帝の声は静かだったが、その静けさが却って重かった。圧力というより、揺るぎない事実を述べる声だった。
「カルスタ皇帝陛下……」
「アリアは私の城の住人だ。帰れとも連れて行けとも、お前に言う権利はない」
「しかし彼女は我が国の……」
「元婚約者を捨て、国外に追放した女を、今更我が物のように扱うな。それとも、ラインハルト王国では追放した者を後から引き戻す権利があるのか?」
エドワードの言葉が詰まった。法的にも道義的にも、皇帝の言葉は正しかった。
「…アリアよ。お前は本当にここに残るのか」
アリアはエドワードを見つめた。かつて好きだと思っていた顔。でも今は、ただ遠かった。過去のものとして、静かに見ることができた。
「はい。残ります」
「……後悔しないか」
「もうしています。レナを裏切り者と憎んでいたことを」
アリアは静かに続けた。
「レナを連れてきてください。私が治します。それだけです。彼女はあなたの傍に戻れるよう、必ず回復させてみせます。それ以上でも以下でもありません」
「……後悔しないか」
「もうしています。レナを裏切り者と憎んでいたことを。憎むのは簡単です。でも、それは何も生まない」
アリアは静かに続けた。
「レナを連れてきてください。私が治します。彼女はあなたの傍に戻れるよう、必ず回復させてみせます。それ以上でも以下でもありません。そしてエドワード様——あなたに一つ言わせてください」
エドワードが顔を上げた。
「私を追放したことを謝ってほしいとは思いません。でも、レナを選んだことは間違いではありませんでした。ただ、選び方が間違っていた。もし最初から正直に話してくれていたら、私だって応援できたかもしれない。人を傷つけずに済む方法は、いつでもある。それだけです」
エドワードは何も言えなくなり、やがて頭を下げて退室した。どこか放心したような背中だった。
二人きりになった謁見の間で、皇帝はアリアの隣に歩み寄った。距離は近い。アリアは正面を向いたまま言った。
「……よく言った」
「ありがとうございます。でも、本当にレナを連れてきてもらえますか?彼女は友人でした。怒ってもいますが、死んで欲しいとは思いません」
「もちろんだ。手配する。うちの医師と輸送部隊を向かわせる」
「ありがとうございます」
そしてアドリアンは、珍しく間を置いてから言った。
「アリア」
「はい」
「お前は……このまま、ここにいるつもりか」
アリアはアドリアンの目を見た。銀灰色の瞳が、いつもより少し、柔らかかった。問うているようで、懇願しているような目だった。
「……いていいのですか?」
「許可を出すのは私だ。お前ではない」
「では、させてください」
皇帝はふいと顔を逸らした。でも、その耳が赤かった気がした。アリアはこっそりと微笑んだ。
三日後、レナがカルスタに運ばれてきた。
やせ細り、青白い顔のレナを見たアリアは、言葉もなかった。三ヶ月前まであんなに元気だったのに。ベッドに横たわるその姿は、以前の面影を残しながらも、酷く弱々しかった。
それでもアリアはベッドの傍に座り、手を当て、光を注ぎ始めた。
「……アリア」
レナが弱々しく目を開けた。
「なんで……なんで助けてくれるの。私が……したことなのに」
「あなたは友達だから。そして、あなたの力は本物だから」
「私の力のせいで体が壊れた……本物なんかじゃ……」
「本物だよ。ただ、扱い方を間違えた。私の光でゆっくり回復させながら、使い方を教える。大丈夫。一緒に直しましょう」
レナは泣いた。声を上げて、泣いた。三ヶ月分の後悔と、痛みと、恐怖が一気に溢れたように。
アリアは手を離さなかった。光は静かに、でも確実に広がり続けた。




