第26話 戦争回避
五カ国条約の調印から、ひと月。
獣人国には、久しぶりの、穏やかな日々が戻っていた。
「リリアーナ様、本日の治癒師団の報告書です」
グリゼルダ団長が、山積みの書類を、執務室の机に置いた。
「ヴァルデンツ王国の疫病、ほぼ収束しました。派遣した治癒師二十名、順調に成果を上げております」
「よかった」
書類に、目を通した。数字が、着実に、良い方向に動いている。父の領地――もう私の領地ではないけれど――の死亡者数も、ゼロになっていた。
「リリアーナ」
ガレオン様が、執務室の窓際で、外を眺めていた。
「どうしました?」
「いや……何でもない」
振り返った彼の顔に、一瞬、疲れのようなものが、よぎった気がした。
「ガレオン様、顔色が」
「気のせいだ。少し、疲れているだけだ」
「無理は、しないでください」
「お前にだけは、言われたくないな」
低く笑って、いつもの調子に戻った。私は、それ以上、深く問い詰めなかった。婚礼から、暗殺者編、五カ国条約――ここ数ヶ月、彼は、休む間もなく働き続けていた。
(少し、休ませてあげたい)
その夜、私は、ヴェルナとミーナを呼んで、久しぶりのお茶会を開いた。ミーナは、アッシュとの婚約が正式に決まって以来、いつも幸せそうな顔をしていた。
「リリアーナ様。アッシュ様が、来月、正式に婚約式を挙げようって」
「おめでとう、ミーナ」
「ヴェルナ様も、良い方、見つかるといいですね」
「わ、私は、当分、いいの!」
ヴェルナが、頬を赤くして、そっぽを向いた。
穏やかな笑い声が、王城の一室に響いた。窓の外には、獣人国の遅い春の、柔らかな夕陽が差し込んでいた。
今にして思えば、その静けさの底で、何かが、すでに崩れ始めていたのかもしれない。けれどそのときの私は、ただ、この穏やかさが、ずっと続けばいいと思っていた。




