第25話 亡命王女
通訳の女とコンラートの身柄拘束は、外交儀礼に則り、その日のうちにザイデルン大使館へ正式に通達された。捕縛の事実そのものが、遠回しの返答になる。私が女に託した言葉も、大使を通じて、本国へ伝わっているはずだった。
「ザイデルン国王ヴァレリウス・ザイデルンより、返書が届きました」
一週間後、ドラゴ宰相が、謁見の間で、書状を掲げた。
会場の空気が、張り詰めた。私は、ガレオン様の隣で、じっと、その封を見つめた。
「開けてください」
宰相が、封を切り、中の文面を読み上げる。
『ヴァルガルド獣人国 国王ガレオン陛下、王妃リリアーナ陛下。
貴国の妃殿下より伝えられた、我が国協力者の言葉、確かに受け取った。
我が国は、三度の暗殺計画に失敗した。これ以上の敵対行為は、無益であると認める。
だが、我が国には、無視できぬ事情がある。我が国王家の傍系、亡命王女アリエッタ・ザイデルンが、貴国の隣国、東方連邦国に長年匿われている。我が国は、彼女の身柄と、玉座の正統性を巡る問題を、常に抱えてきた。
もし貴国が、アリエッタ王女の処遇について、公正な仲裁の労を取ってくださるなら、我が国は、貴国及びヴァルデンツ王国に対する一切の敵対行為を、放棄する用意がある。
ザイデルン国王 ヴァレリウス・ザイデルン』
謁見の間が、ざわめいた。
「亡命王女……?」
私は、隣のガレオン様を見上げた。
「ガレオン様、ご存じでしたか?」
「噂程度には。ヴァレリウス王の異母妹が、王位継承権を巡る内乱を逃れて、二十年前、東方連邦国に亡命した、と」
「二十年、ですか」
「アリエッタ王女は、今、私と同じ年頃のはずだ。ザイデルン国内には、いまだに彼女を正統な王位継承者と見做す勢力が、根強く残っている」
頭の中で、状況を、整理した。
(ヴァレリウス王は、暗殺計画の失敗で、外への強硬策が使えなくなった。同時に、内側の火種――アリエッタ王女の存在が、いつ爆発するかわからない)
(つまり、彼が本当に恐れているのは、私たちじゃない。自国の分裂)
「ガレオン様。この仲裁、お受けしましょう」
「策があるのか?」
「アリエッタ王女を、東方連邦国から、私たちの婚礼同盟の一員として、公に迎えます。彼女の存在を、隠すのではなく、光の下に出す。そして――ヴァレリウス王に、彼女を『次の王位継承者候補』として正式に認めさせ、共同統治、あるいは円満な譲位の道を、提案します」
「ザイデルンが、それを呑むと思うか?」
「呑まなければ、我々は、東方連邦国・スピナ・そしてヴァルデンツ王国の三国と共に、アリエッタ王女の正統性を、公に支持します。ヴァレリウス王にとっては、内乱のリスクが跳ね上がる。呑んだほうが、まだ安全です」
ガレオン様の口の端が、ゆっくりと上がった。
「お前は、本当に、容赦がないな」
「照れさせてます?」
「照れている。少しは、手加減してくれ」
低く笑う彼を見て、少しだけ、肩の力が抜けた。
――一ヶ月後。
東方連邦国から、アリエッタ・ザイデルン王女が、獣人国に招かれた。物静かで、聡明な瞳を持つ女性だった。
「リリアーナ陛下。私を、光の下に出してくださって、感謝いたします」
彼女は、深く頭を下げた。
「二十年、影として生きてきました。……もう一度、自分の国と、向き合う勇気を、いただきました」
「アリエッタ様。あなたの選択次第です。玉座を望むも、望まないも」
「望みます」
はっきりと、答えた。
「私の兄は、恐怖で国を治めてきました。私は――違う統治を、してみたい」
三ヶ月後、ザイデルン国内で、ヴァレリウス王とアリエッタ王女の間に、正式な会談が行われた。獣人国、東方連邦国、島国スピナが、仲裁者として立ち会った。
会談の場で、アッシュの諜報部が集めた証拠――三度の暗殺計画の指示書、通訳女の証言、そしてヴァレリウス王自身の署名が入った密書――が、ザイデルンの重臣たちの前に、すべて公開された。
「王よ、これは……」
重臣の一人が、震える声で、書状を手に取った。
「我が国の名で、他国の王妃を暗殺しようとしていた、と……」
謁見の場に集まった貴族たちの顔色が、次々と変わっていった。
「――違う」
ヴァレリウス王が、初めて、声を上げた。
「これは、国のためだ! 獣人国と手を組んだヴァルデンツ王国が、いずれ我が国を飲み込む。だから、先に、芽を摘もうとしただけだ! 私は、この国を守ろうとしただけだ!」
「陛下」
古参の将軍が、低く、遮った。
「守ろうとした結果が、これですか。三度失敗し、自らの署名入りの密書まで残す。……これのどこが、国を守る戦略だと?」
「わ、私は――」
「陛下。三度も失敗した挙句、証拠まで残すとは」
将軍は、吐き捨てるように、続けた。
「我々は、陛下の強硬策に、これ以上、国の名誉を賭けられません」
一人、また一人と、重臣たちが、ヴァレリウス王から視線を逸らしていく。かつて彼を支えていた者たちが、今、誰も、目を合わせようとしなかった。
「お前たちまで……私を、見限るのか」
ヴァレリウス王の声から、王としての響きが、静かに、剥がれ落ちていった。誰も、答えなかった。答えないことこそが、答えだった。
「私は……」
「陛下」
私は、一歩、彼の前に進み出た。
「あなたは、選ばなかった。話し合いも、共存も。ただ、消すことだけを、選び続けた。――その結果が、これです」
「リリアーナ……妃殿下」
「共同統治は、もう提案しません。あなたに、その資格はない」
はっきりと、告げた。
「アリエッタ王女への、完全な譲位を、要求します」
ヴァレリウス王は、長い沈黙のあと、崩れ落ちるように、その場に膝をついた。誰も、彼を支えなかった。
その日、ヴァレリウス・ザイデルンは、王位を退いた。国民にも、重臣にも、見放されたまま、静かに、歴史の表舞台から消えていった。
アリエッタが、正式に、ザイデルンの女王として、即位した。
そして――ザイデルンは、獣人国、ヴァルデンツ王国、東方連邦国、島国スピナとの、全面的な不可侵条約に、署名した。
五カ国の代表が、獣人国の王城で、条約に調印する日。
私は、ガレオン様の隣で、その光景を見つめていた。
(エマ)
(戦争を、止めたわ)
「リリアーナ」
ガレオン様が、私の手を握った。
「お前が、獣人国に来てから、まだ一年も経っていない。それなのに、世界の形が、変わった」
「あなたが、隣にいてくれたからです」
「いや」
彼は、ゆっくりと、首を振った。
「お前が、そういう人間だから、私は、三百年待っただけの価値があったと、思えるんだ」
五カ国の旗が、王城の広場に、並んで掲げられた。長かった、獣人国とヴァルデンツ王国、そして敵対するザイデルンとの、緊張の日々に、ひとつの区切りがついた瞬間だった。




