第23話 囮
市場視察の朝は、よく晴れていた。
ヴァルガルディア中央市場は、色とりどりの天幕と、露店の声で溢れていた。私が馬車から降りると、待ち構えていた獣人国民が、一斉に沸いた。
「銀の妃様!」
「リリアーナ様、おめでとうございます!」
花を投げてくる者、深く頭を下げる者、子供を抱き上げて見せてくる母親。歓声の中を、ガレオン様と並んで、ゆっくりと歩いた。
(笑顔を、崩さない)
(でも、視線は、常に周囲を確認する)
市場の中央を過ぎたあたりで、アッシュが、耳元で囁いた。
「花屋、あと五十メートル」
「わかったわ」
深呼吸を、ひとつ。
花屋の前で、足を止めた。淡い紫の花が、店先に飾られていた。
「ガレオン様。少しだけ、あの花屋を見てきます」
「……気をつけろ」
彼は、少し距離を取って、店の外に立った。護衛たちも、一歩、後ろに下がる。計画通りの、隙。
店の中に入った。棚には、花瓶と、切り花が並んでいる。奥に立っていた「花屋の主人」――アッシュの部下が扮した男が、小さく頷いた。
(来る)
そう思った、次の瞬間。
背後の棚が、音もなく開いた。隠し扉。中から、黒装束の男が、短剣を構えて、飛び出してきた。
「――ッ!」
反射的に、熱を奪う術を、男の右手に向けて放った。短剣を握った指が、一瞬で強張る。
「なッ――」
短剣が、床に落ちた。同時に、店の奥から、もう一人。
「囲まれてる、と思ったか?」
低い声。花屋の主人に扮していた男が、正体を現した。顔の作りは変わらないが、纏う空気が、まるで違う。訓練された、殺気。
「二人がかりで、囲む算段だったのね」
「察しがいい。だが――遅い」
男が、腰の後ろから、投げ矢を抜いた。
その瞬間、天井が、爆ぜるように開いた。
「動くな」
アッシュの声。屋根裏に潜んでいた弓兵たちが、一斉に、二人の男に矢を向けていた。
「な――」
「花屋のオヤジが替え玉だってことも、隠し扉があることも、全部、こっちは知ってたんだよ」
アッシュが、天井から飛び降りてきた。白虎の尾が、ゆらりと揺れる。
「リリアーナ嬢は、囮に見せかけて、実は最初から罠の中心だった、ってわけだ」
熱で強張った男の腕を、足で踏みつけながら、笑った。
「悪いが、お前らの負けだ」
もう一人の男が、投げ矢を放とうとした瞬間、店の扉が、勢いよく開いた。
「リリアーナ!」
ガレオン様が、飛び込んできた。獣化した右腕の爪が、男の投げ矢を、空中で弾き飛ばす。
「無事か」
「はい。二人とも、捕らえました」
指先が、まだ、痺れていた。奪う力を、続けて使ったせいだ。膝が、わずかに、笑いそうになる。
ガレオン様が、それを、見逃さなかった。私を、そっと支える腕に、力がこもる。
「無理を、させたな」
「これくらい、平気です」
強がって、笑って見せた。床に転がる二人の刺客を、見下ろした。
「これで、実行犯は全員、捕らえた」
アッシュが、部下に二人を拘束させながら、頷いた。
「厨房の一人が、吐いた情報だと、残るは――『指示役』の黒幕、一人らしい。実行犯じゃなく、後方から三人に指示を出していた係。姿を見せない、慎重な奴だ」
「指示役……」
胸の奥で、何かが引っかかった。
(実行犯二人は、捕まった。でも、指示役が、まだ野放しなら――)
「アッシュ様。指示役は、王城の中にいる可能性、ありますか?」
「否定は、できない」
険しい顔で、アッシュが頷いた。
「厨房への潜入も、花屋への偽装も、内部情報がなければ組めない計画だった。誰かが、外部に情報を流している」
ガレオン様の金の瞳が、すっと細まった。
「王城内に、間者がいる、ということか」
「調べる。時間をくれ」
「ええ」
床に落ちた短剣を見つめながら、私は、次の一手を、静かに考え始めていた。




