第21話 新妻の朝
婚礼から、一夜が明けた。
王城の最奥にある王妃の私室で、目を覚ました。視界に飛び込んできたのは、白い天蓋。そして、右隣で、まだ深く眠っている、漆黒の髪の男。
ガレオン様。
昨夜、宴のあと、私たちはこの部屋でずっと抱き合っていた。何度も口づけを交わしたけれど、彼は、それ以上を求めなかった。
「暗殺者の予告がある日に、お前を抱くのは違う」
そう言って、私を、ただ強く、強く、抱きしめてくれただけだった。
(――やっぱり、ずるい)
銀の毛皮の襟に、そっと頬を寄せた。獣体ではないのに、彼の体温は、暖炉の火のように温かい。
「……起きていたのか」
低い声が、頭の上から落ちてきた。
金の瞳が、私を見下ろしていた。寝起きの、艶っぽい目。
「ガレオン様、おはようございます」
「ああ。私の妃。良い朝だ」
妃。
その響きが、まだ、こそばゆかった。
「リリアーナ。今日はもう、お前のすべきことは、何もない。一日中、私の腕の中にいてくれ」
「えっ、ガレオン様、それは、さすがに――」
「妃の役目だ」
「そんな役目、聞いてません!」
起き上がろうとすると、腕が、私を引き戻した。
「リリアーナ」
「は、はい」
答えた瞬間、彼の輪郭が、淡い光に包まれた。人の姿が解けて、見慣れた銀色の巨躯に変わる。
(――こんなときに、獣体になるなんて)
戸惑う私の頭の奥に、声ではなく、思念が直接、流れ込んできた。
『お前を、抱いていないだけで、私は限界だ。せめて、隣に、いさせてくれ』
思念の声に、もう冗談の響きはなかった。
けれど、腰に回された尻尾の先だけが、抑えきれないというように、ぱたぱたと小さく揺れている。
(――可愛い)
笑いを堪えながら、銀色の毛並みに、もう一度、頬を寄せた。
(ザイデルンの暗殺予告。三十日以内に、何かが起きる)
(でも――今日くらいは、新妻の特権で、甘えてもいいよね、エマ)
――午前中。
寝室で軽い朝食を共にした。獣人国の伝統で、新婚初日の食事は、王と妃だけで、誰の目にも触れずに摂るらしい。
オーランド執事が、銀の盆を扉の外に置いて、無言で下がっていく。二人だけで、温かいスープと焼きたてのパンを分け合った。ガレオン様は、自分の皿の白身魚を、フォークで、私の口に運ぶ。
「ガレオン様、私、自分で食べられます」
「これも、妃の役目だ」
「妃の役目、便利な言葉ですね」
「気に入っているのは私のほうだ」
低く笑った。ため息をつきながら、差し出されたフォークから、白身魚を口にした。
――昼。
部屋の扉が、慎ましくノックされた。
「陛下、リリアーナ様。アッシュ様より、緊急のご報告です」
オーランドの声に、緊張が混じっていた。
ガレオン様と顔を見合わせた。
「通せ」
アッシュが、軍服姿で部屋に入ってきた。普段の陽気な笑みは、消えていた。黄金色の瞳が、鋭く、研がれていた。
「陛下。リリアーナ嬢。やはり、来た」
机の上に、一枚の小さな銀のピアスを置いた。
「これ、何ですか?」
「ザイデルン諜報部の認証ピアス。今朝、王城の厨房に紛れ込んでいた新人の調理見習いから、押収した」
「厨房……?」
「昨夜の婚礼の宴で、料理人を増員した。獣人国民の中から、推薦のある臨時雇いを十二人。そのうちの一人が、ザイデルンの諜報員だった」
指先が、わずかに震えた。
(厨房――食事への毒)
「料理に、毒は?」
「いや。今朝の朝食、こいつが用意するはずだった。だが、新婚初日は王族専用調理人がすべて担当する慣例だから、こいつは厨房から出ようとした。そこを、白虎部隊が押さえた」
「自白は?」
「した」
にやり、と牙を見せた。陽気な笑顔ではない。獣人特有の、捕食者の笑み。
「実行犯は三人組。それに加えて、後方で指示を出す黒幕が一人。実行犯の残り二人が、王城内に潜伏中。ターゲットは、リリアーナ嬢」
ガレオン様の喉から、低い唸りが響いた。
「私の妃の、初日に、毒だと」
「陛下、落ち着いて」
アッシュが、両手を上げた。
「一人は捕まえた。残り二人は、まだ動いてない。厨房での失敗を知らないはずだ。……逆に言えば、こっちから仕掛けられる」
「仕掛ける?」
「泳がせて、動いた瞬間に押さえる。今、王城内をしらみ潰しに探しても、二人とも、もう変装して紛れ込んでる可能性が高い。焦って探せば、逃げられる」
ガレオン様が、腕を組んで、私を見た。
「リリアーナ。どう思う」
頭の中を、静かに整理した。
(相手は、私を狙っている。だったら、私が囮になるのが、一番早い)
「アッシュ様。私を、外に出してください」
「――は?」
「厨房が使えなくなった今、次に狙うとしたら、外出の機会です。市場視察でも、慰問でも構いません。私が動けば、彼らも動かざるを得ない」
ガレオン様の表情が、険しくなった。
「危険すぎる」
「ガレオン様。私は、もう火刑台で死にかけた女です。二度目の危険くらい、慣れています」
「リリアーナ」
「それに、あなたと、白虎部隊がいます。私一人で立ち向かうつもりは、ありません」
しばらく、彼は無言だった。それから、深く、息を吐いた。
「――わかった。ただし、条件がある」
「なんでも」
「お前から、絶対に、私の視界を離れるな」
「はい」




