第20話 誓いの鐘
婚礼の朝。
王城の女子の領域に、朝日が差し込んでいた。ジゼル監修の最高品質のドレスを、ヴェルナとミーナに手伝ってもらいながら、一枚ずつ、丁寧に纏った。
純白の絹。銀の刺繍。淡い水色の雪の結晶。そして、頭には、銀と水晶でできた、獣人国の花嫁の冠。
「お嬢様、本当に、お綺麗です……」
ミーナの目から、涙が止まらなかった。
「ミーナ、泣かないで。化粧が落ちたら、アッシュ様がガッカリするよ」
「お嬢様!」
ヴェルナが、ぷっと噴き出した。
「リリアーナ、いい性格になってきたわね」
「あなたの影響よ、ヴェルナ」
笑い合った。
「リリアーナ様。時間です」
オーランド執事の声が、扉の向こうから響いた。
深く息を吸った。
(行こう。エマ。行ってきます)
――大聖堂。
ヴァルガルディアの中心にある、巨大な石造りの大聖堂。獣人国の歴代の王が、ここで婚礼を行ってきた、神聖な場所。
馬車から降りて、深い息を吸った。大聖堂の前の広場には、すでに獣人国民が、何千人と詰めかけていた。私を見て、歓声を上げた。
「銀の妃様!」
「リリアーナ様!」
「美しい!」
ヴェルナとミーナを左右に従えて、大聖堂への階段を、一段ずつ、上った。膝が、少しだけ、震えている。大聖堂の扉が、両側から、開かれていく。
中には――ガレオン様が、いた。
漆黒の婚礼装。銀の刺繍と、銀のマント。背中には、銀狼族の血統を示す、銀色の毛皮の襟。
私を見た瞬間、息を呑んだ。そして、低く、優しく、笑った。
「リリアーナ。お前は、世界で一番、美しい」
彼に向かって、歩み寄った。心臓の音が、耳の奥まで、響いている。大聖堂の左右の席には、獣人国の貴族たち。グリゼルダ団長、ドラゴ宰相、アッシュ、ジゼル。そして、東方連邦国の大使、南方島国スピナの大使。私たちの提案通り、ザイデルン包囲の同盟を象徴する、二人の使者が、最前列に座っていた。
祭壇の前まで歩み寄ると、銀狼族の長老が、儀式の言葉を始めた。
「銀狼族の伝統に従い、王ガレオン・ヴァルガルドと、その運命のつがいリリアーナ・フォン・アッシュフォードの、婚礼の儀を、ここに執り行う」
「ガレオン王。汝は、リリアーナを、三百年の命を共にする伴侶として、迎えるか」
「迎える」
揺るぎない声だった。
「リリアーナ・フォン・アッシュフォード。汝は、ガレオン王を、三百年の命を共にする伴侶として、迎えるか」
胸の奥が、熱く、震えた。火刑台で失いかけた命が、今、こんな場所に立っている。
「迎えます」
私の声も、揺るがなかった。
「では、互いの誓いを」
長老が、銀の盃を、私たちに渡した。中には、銀狼族の伝統の、白い蜂蜜酒。
ガレオン様が、まず、盃を受け取り、ひと口、飲んだ。そして、私に、盃を、渡した。ガレオン様の唇が触れた縁から、ひと口、飲んだ。蜂蜜の、甘い味。
「銀狼族の伝統の誓い、成立しました。お二人で、結婚指輪を、お互いの指に、はめてください」
私の左の薬指から、銀の婚約指輪を、そっと外した。そして、新しい、もっと繊細な、銀の結婚指輪を、その指に、確かめるように、はめた。中央には、淡い水色の宝石と、漆黒のオニキスが、ふたつ並んで、光っていた。
「私の漆黒と、お前の水色。二つの色で、ひとつの指輪だ」
「ガレオン様……」
震える指で、彼の左の薬指に、結婚指輪を、はめた。同じデザインの、銀の指輪。
「これで、私たちは、永遠です」
「永遠だ」
私の手を、強く握った。
「では、最後の誓い。ガレオン王、リリアーナ妃に、口づけを」
私の頬に、両手を添えた。息が、止まった。世界中の視線が、一点に集まる中、彼の唇が、私の唇に、重なった。
大聖堂の中で、何千人もの貴族と国民が、私たちを見守っていた。口づけが、終わると、大聖堂の中に、歓声と、拍手が、響き渡った。
「ヴァルガルド国王、ガレオン陛下、並びに王妃リリアーナ陛下、万歳!」
「銀狼王と、銀の妃に、三百年の祝福を!」
――式典後の宴。
王城の大広間で、夜まで続く宴が、開かれた。獣人国の貴族たち、そして東方連邦国とスピナの大使たちが、私たちに祝福を捧げてくれた。
「リリアーナ陛下。貴国の妃となられた今、東方連邦国は、貴国との通商と、軍事同盟の締結を、お申し出いたします」
東方連邦国の使者が、深く頭を下げた。
「島国スピナも、同じ意向です」
ガレオン様と顔を見合わせた。
(ザイデルン包囲網、成立)
「お受けいたします。両国との友好を、永遠に」
宴の後半。
ヴェルナが、私のブーケを、私に渡した。
「リリアーナ。ブーケの伝統よ。投げて」
「ええ、ありがとう」
ブーケを、女性たちの集まる方向に、放り投げた。
――そして、それは、計画通り、ミーナのところに、ぽとりと、落ちた。
「キャ――!」
ミーナの顔が、真っ赤になった。震える両手で、ブーケを受け取った。そして、私の方を、見た。
にっこり笑って、頷いた。
ミーナは、深い息を吸った。そして、大広間を歩いて、アッシュのところへ、まっすぐに歩み寄った。
「ア、アッシュ様」
「ミーナ?」
「これ……」
ブーケを、両手で、アッシュに、差し出した。
「もし、アッシュ様も、お嫌じゃなければ、私の――次の婚礼を、お願いします」
大広間が、ざわめいた。アッシュが、ぽかんと、ミーナを見つめた。そして――ぱっと、笑った。
「やっと、言ってくれた」
ミーナの手を、ブーケごと、握った。
「俺は、半年前から、お前を狙ってたんだぜ。返事は、Yesに決まってる」
「ア、アッシュ様!」
大広間が、わっと沸いた。
「もうひと組、おめでたいぞ!」
「アッシュ! ミーナ! おめでとう!」
ガレオン様の隣で、満足げに笑った。
「リリアーナ」
私を抱き寄せた。
「お前のおかげで、王城が、笑い声で満ちている」
「ガレオン様のおかげです」
「いや、お前のおかげだ」
彼が、頬に、そっと、口づけた。
――夜更け。
宴が終わって、私たちは、王城の最奥にある、王妃の私室に、二人だけになった。蝋燭の灯りが、揺れていた。
私を、ベッドに、そっと、座らせた。
「リリアーナ。疲れたか?」
「いいえ。今日は、本当に、幸せでした」
「私も、だ」
額に、頬に、そして最後に唇に、彼の口づけが、順番に、降ってきた。
「私の、永遠のつがい」
「私の、永遠の王」
その夜、私たちは、三百年の約束のもと、互いの腕の中で、眠った。
(エマ)
(私、結婚しました)
(明日から、新しい戦いが、始まります。でも、もう、独りじゃない。隣に、銀狼王が、いてくれる)
獣人国の冬は、終わりを迎え、春が、すぐそこまで、来ていた。
◆
――眠りに落ちる彼女の寝顔を見つめながら、ガレオンは、まだ、この現実を、噛みしめきれずにいた。
三百年。
孤独を、当たり前のものとして、生きてきた。獣人族の王として、強さを示し続けることが、自分の存在意義だと、思い込んでいた。
けれど、今夜、隣に、彼女がいる。指には、揃いの指輪。誓いは、もう、破れない形で、結ばれた。
(もう、独りじゃない)
その事実が、これほど、胸を熱くするとは、思っていなかった。
あの日、雪山で覚悟したことを、ガレオンは、まだ、彼女に話していない。だが、今夜だけは、その重みさえも、この幸福の中に、静かに沈めておくことにした。
明日からは、また、戦いが続く。ザイデルンの影は、まだ消えていない。彼女を、守り抜かねばならない。
だが、今この瞬間だけは。
ガレオンは、そっと、彼女の額に、額を寄せた。獣人族の、最も親密な仕草で。
「――ありがとう」
誰に向けた言葉かは、自分でも、よくわからなかった。運命にか、彼女にか、それとも、三百年待ち続けた、かつての自分にか。
雪解けの匂いが、開いた窓から、静かに、流れ込んでいた。




