第19話 招かれざる書状
婚礼前日。
王城の奥にある、私の私室。ヴェルナとジゼルの監修のもと、最後のドレス試着が行われていた。
ドレスは、完成していた。純白の絹に、銀の刺繍が織り込まれた、優雅で、力強い、獣人国の正式な婚礼装。胸元から肩にかけては、銀狼の毛並みを思わせる繊細な銀刺繍が踊り、スカートの裾には、淡い水色の雪の結晶が、無数に散りばめられていた。
「リリアーナ様……」
ジゼルが、両手で口を覆った。
「お似合いですわ。私の人生で、最も美しいドレスに、最も美しい花嫁を、見せていただきました」
「リリアーナ」
ヴェルナが、私の隣に立った。
「綺麗よ、本当に。あなたは、獣人国の歴代王妃の中で、最も美しい花嫁になるわ」
「ヴェルナったら、褒め過ぎ」
「大袈裟じゃないのよ、これ」
碧い瞳に、涙が浮かんでいた。
「リリアーナ、私――昨年まで、本気でガレオン様の花嫁になりたかった。あなたに会うまで」
「ヴェルナ……」
「でも、今は、わかる。あなたが、ガレオン様の運命のつがい。ガレオン様は、あなたのために、三百年待った人。私は、その物語の、ほんの脇役にすぎない」
「ヴェルナ、それは――」
「いいの、最後まで聞いて」
両手を握った。
「私は、明日、あなたの『最初の女性友人』として、最前列で、あなたを祝福する。そして、その立場を、誇りに思うわ」
「ヴェルナ……」
言葉に詰まった。
「ありがとう。本当にありがとう」
私たちは、ドレス姿のまま、抱き合って、しばらく泣いた。ジゼルが、温かい視線で見守ってくれていた。
――そのとき。
部屋の扉が、激しくノックされた。
「リリアーナ様! ヴェルナ様! ご無礼を!」
オーランド執事の声。慌てた、緊迫した声色。
「ガレオン陛下が、緊急の件でお呼びです。リリアーナ様も、ご同行いただきたいと。ザイデルンから、緊急の外交書状が届きました」
(――やっぱり、来た)
「すぐに参ります」
ドレスを着替えるのも惜しんで、上にローブを羽織って、ガレオン様の執務室に駆けつけた。執務室には、ガレオン様、アッシュ、ドラゴ宰相、グリゼルダ団長、そして数名の獣人重臣が集まっていた。
机の上には、深い赤の蝋封が施された、大きな書状。
「リリアーナ。これを読んでくれ」
手に取った。
『ヴァルガルド獣人国 国王ガレオン陛下、並びに王妃候補リリアーナ・フォン・アッシュフォード殿。
我がザイデルンは、貴国による我が国諜報員ノーラ・セルデンの不当拘束、並びにヴァルデンツ王国への政治的圧力(治癒輸出契約)を、許容しない。
貴国がノーラを即時釈放し、ヴァルデンツ王国への治癒輸出契約を破棄しない場合、ザイデルンは、貴国に対して、武力行使の準備に入る。
回答期限は、貴国の婚礼後、三十日。
ザイデルン国王 ヴァレリウス・ザイデルン』
部屋の空気が、凍りついていた。
「武力行使……」
ドラゴ宰相が、唸った。
「ザイデルンは、魔族の血を引くと言われる強国です。魔導兵団の規模は、獣人国の三倍。正面戦闘になれば、苦戦は必至です」
「だが、応じなければ、我が国の威信が揺らぐ」
グリゼルダ団長が、低く言った。
「リリアーナ様の地位も、揺らぎます」
「ガレオン様」
彼の肩に、そっと手を置いた。
「私が引き渡されることは、絶対にない。それは、確認させてください」
「絶対にない」
即答した。
「お前を、ザイデルンに渡すくらいなら、私はザイデルンに、宣戦布告する。だが、戦争にするのも、避けたい。お前と、結婚式の翌日から、戦争のことばかり考えるのは、私が耐えられん」
声に、本気の苦悩が混じっていた。
深く息を吸って、書状を、もう一度、読み返した。
ザイデルンの要求は、ノーラの即時釈放と、治癒輸出契約の破棄。狙いは、ヴァルデンツ王国への影響力の回復と、獣人国の弱体化。
選択肢を並べてみる。全要求を呑むのは論外――獣人国の屈辱になるし、私の立場も崩れる。全拒否は戦争突入。部分的な譲歩は、相手に弱みを見せるだけで効果が薄い。
残る一手は、第三国を巻き込むこと。ザイデルンと対立している国家との同盟。そこを早めに固めれば、戦争は止められる。
「ガレオン様。ザイデルンと対立している国は、あります?」
「東方の砂漠連邦国、それと南方の島国スピナ。両国とも、通商路の権益を巡って、ザイデルンと対立している」
「では、それらの国に、私たちの婚礼式典への大使派遣を、急遽お願いしましょう。私たちの婚礼を、東方連邦国と島国スピナの代表が、公式に祝福する。これを実現すれば、ザイデルンは『獣人国を孤立させる』ことが、できなくなります」
「即日、書状を送らせる」
「それから、もう一つ」
机の書状を、もう一度、指でつついた。
「ザイデルンの要求の本当の狙いは、ノーラの釈放じゃない。私の影響力を、削ぐことです。私が獣人国の王妃となり、ヴァルデンツ王国に影響力を持ち、しかも獣人国の魔力で三百年の呪いまで解いた。ザイデルンにとって、これは『私個人を消す』のが、最も合理的な解決策」
「リリアーナ……」
「だから、ガレオン様。婚礼式典には、最高警備で、お願いします。私の命を狙う暗殺者が、必ず、紛れ込みます」
低い唸りが響いた。
「アッシュ。婚礼会場の警備を、最大級に。暗殺者を一人でも見落とせば、お前の首を貰うぞ」
「了解、陛下」
アッシュが、にやりと牙を見せた。
「リリアーナ嬢の身は、白虎部隊が責任を持つ。暗殺者には、生きて返さない自信がある」
会議が終わった後。
ガレオン様と私は、執務室の窓辺に立っていた。外は、もう深夜。獣人国の星空が、私たちを見下ろしていた。
「リリアーナ。明日、婚礼を、延期するか?」
「いいえ」
即答した。
「予定通り、婚礼を行います。ザイデルンに、私たちが屈さないことを、世界に示すのです」
「お前を、危険に晒す」
「私は、もう、危険を恐れません。ガレオン様の隣で、三百年生きると、約束しました。そのために、明日、結婚するんです」
しばらく無言で私を見つめた。そして、強く抱きしめた。
「リリアーナ。お前は、本当に、私のつがいだ」
「はい」
「明日、世界中に、それを宣言しよう」
星空の下で、明日の決意を、固めた。
窓の外、ザイデルンのある南の方角に、一際、赤い星が、瞬いていた。まるで、明日への警告のように。
けれど、私の左手では、ガレオン様の指の熱が、それよりずっと強く、私を包んでいた。




